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October 2004

October 31, 2004

カレンダー異聞

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日本でも秋口になると、来年のカレンダーが店頭を並びますが、ウィーンではかなり早い時期から、翌年のカレンダーが発売されています。
早い時期から発売されているものは、主に観光客向けのもので、オーストリアの風景写真、名所旧跡の写真、絵画、音楽関係などです。お土産物屋や文具店の店頭に並んでいますね。お土産には喜ばれるので、結構、買っている人が多いようです(ただし、休日がオーストリアの仕様になっているので、日本ではあまり実用的ではない場合もありますが…)。
日本では「カレンダー=無料でもらうもの」(会社では年末の納会で、いただいたカレンダーの配布大会があったりしますが…)という感覚だったのですが、最近やっと「気に入ったカレンダーはお金を出して買う」という人が増えてきました。

欧米では企業の販促用品としてカレンダーを使う習慣がないため、「カレンダー=買うもの」との認識が強いようで、その種類も豊富です。そのため、オーストリアでも、書店や文具店には、地元の方向けのカレンダーもたくさん並んでいます。地元の方向けカレンダーは、犬や猫といった動物、自動車、風景などの絵柄が多いようです(当たり前ですが、ウィーンの方が「シェーンブルン宮殿のカレンダー」を使いませんよね)。

こんな中で、ユニークなカレンダーに出会ったことがあります。それは動物のカレンダーなのですが、「主役」が「ブタ君」なのです。それも、全ページリアルな「本物の写真」です。私が見たのは卓上用のカレンダーで、ドイツ製でした。さすがに数や種類は少ないようで、意識して探しましたが、過去2回しか発見できませんでした。

写真は、そのうちの1点ですが、動物写真家の方が撮影しているらしく、色々な種類の豚が、「各種ポーズ」で登場します(今年日本でも話題のイノシシも登場)。思わず買ってしまいました。「果たしてどんな人が買うのだろうか?」という疑問が消えませんが…

その後、年末にウィーンを訪問すると、この「ブタ君カレンダー」を探すのが、私の「年中行事」となりました。しかし、なかなか見つけることが難しいのが悩みの種です。

どなたか、「ここに行けば、ブタ君カレンダーは万全」というお店があったらご紹介頂きたいものです。

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October 30, 2004

無事が確認できました

本日、避難している長岡市を訪問し、被災した親しい人と会うことができました。
残念ながら家は半壊状態で、住める状況ではないようですが、幸い人的被害はなく、お元気でした。

予想以上に救援物資が届いており、言葉が一番の贈り物だったようです。

とりあえず、元気な姿を見て、私も元気になりました。

明日から「オーストリアこぼれ話」を再開します。
また、楽しい話題をお送りしましょう。

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October 24, 2004

ナゾの「ヒモ付き」ボーリング場

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ボーリングは立派なスポーツで、日本でも一時、大変なブームになったことがありましたね。そのとき、日本では、ボーリング場が乱立しましたが、結局、ブームが去るのと同時に、閉鎖が相次ぎ、今では、倉庫やショッピングセンターなどに転身しているケースが多いようです。もちろん、今でもボーリング場は健在で、週末などは意外と込んでいます。

さて、オーストリアでもボーリングブームがあったのかどうかは、知る由もありませんが、今日は、ユニークなボーリング場をご紹介しましょう。

1986年の夏、私は友人2人と一緒にオーストリア旅行をしておりました。定番のザルツカンマーグートを訪問したのですが、ウォルフガングゼー周辺の宿が満室で、やむなく車を走らせ、ゴーサウの町で宿を確保しました。

ゴーサウは、ゴーセウゼーとハルシュタッターゼー、さらにゴーリング(イタリア方面へ向かうアウトバーへと続く)への分岐点となる町です。小さな町ですが、各方面に行くのに便利なためか、ホテルやガストホフが、意外と充実しています。
ホテルを確保し、夕食の後、友人と町を散策していたときのことです。ボーリング場の看板が目に入りました。
「こんな小さな町に、ボーリング場が…」、3人とも「目が点」になりましたが、同時に、好奇心旺盛な私たちは、「どんな所か見てみたい」という衝動に駆られました。

さっそく、ボーリング場を訪れると、町の規模にふさわしく、2レーンのミニ・ボーリング場でした。古い話なので、プレー料金がいくらだったか記憶にないのが、残念です。たまたま、空いていたので、さっそく「ゴーサウ・カップ争奪戦」を若干3名で開催することにしました。優勝者への賞品はもちろんビアであります。

レーンそのものも、本格的なボーリング場に比べると小さく、ちょうど、「ミニ・ゴルフ」の雰囲気です。よく見ると、まず投球場所とレーンの間に、ヒモが張ってあります。きTと、「この先には出ないように」という注意なのでしょうか。
そして、友人が第一投。ピンが何本か倒れました。そのピンを見ていた私たちは、びっくり仰天しました。何と、ピンの上部にヒモが付いており、そのヒモを引き上げることで、ピンを整列させる仕組みになっているのです。
もちろん、ストライクならば、すぐに、すべてのピンがいったんヒモで引き上げられ、セットアップされます。このシステムには、さすがに驚きました。もっともボールだけは、ちゃんと自動で投球場に戻ってきましたが…

ゴーサウのような小さな町にボーリング場があることも驚きでしたが、ミニレーンと良い、ヒモ付きピンといい、びっくりすることの連続でした。
その晩は、ボーリング大会の結果以上に、ボーリング場の話題で盛り上がったのは、言うまでもありません。

2004年の夏、ゴーサウゼーを訪ねるため、久しぶりにゴーサウの町を車で通過しましたが、ボーリング場を確認することはできませんでした。当時も、歩いていたから発見できたような気がするので、車で通っただけでは、わからないかもしれません。
今となっては、楽しい思い出となった「ゴーサウ・ボーリング大会」でした。

なお、余談ですが、私が毎年、夏に訪問する某ホテルの地下にも、かつてはボーリング場があった形跡があり、興味はつきません(入口のドアノブが、ピンの形をしているので、間違いないでしょう。ただし、今は入ることもできません)。

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October 23, 2004

ビアは汽車でやってくる

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オーストリアは山が多いこともあり、ハイキングが盛んです。
ウォルフガングゼーに隣接したシャーフベルクや、ウィーンから近いシェーネベルクなどを訪れると、ハイキングをしている人を、たくさん見かめます。皆さん、服装は軽装ですが、靴は本格的な登山靴をはいていることが特徴です。

登山鉄道やザイルバーン(ロープウェイのこと)が完備していることもあり、「登りは、この手の交通機関を使い、下りでハイキングを楽しむ」という楽しみ方が増えているようです。

このようにハイキングをする人が多いこともあり、山には、ハイキング客に食事や飲み物を提供するヒュッテなど施設が、充実していることもオーストリアの特徴です。
ヒュッテは、山の中腹や頂上付近にあるため、食材料や飲料を運ぶのが大変なはずです。一部はヒュッテまで、自動車が通ることができる道路(といっても居住者専用道路のような感じですが)が整備されているところもありますが、高い山の場合、さすがに車が通ることができる道路は厳しいようす。

ある時、登山鉄道でシェーネベルクの山頂まで行ったときのことです。山頂駅で、到着した列車を見ると、客車からビアや食材を下ろしているシーンを目撃しました。山頂駅からヒュッテまで若干距離があるため、人力トロッコで運んでいました。結構手間のかかる方法で搬入しているので、正直驚きました。なお、シャーフベルクでも、同じようなシーンを見たことがあります。

このほか、ザイルバーンしかないところでは、山頂までザイルバーンで運び、ここから荷物運搬用のリフトなどを使っているところもあるようです。

いずれにしても、手軽に飲んでいるビアですが、山頂まで運ぶのには、大変な労力がかかるということです。
私が、毎年オーストリアに行って感心するのは、これだけ手間がかかるにも関わらず、ビアのお値段がリーズナブルなことです(シェーネベルクの場合、山麓のガストホフで30シリングだったとき、山頂ヒュッテで38シリングでした。古い話で恐縮です)。
さらに、「こだわり」があるのか、ビアの多くが「生」という点も驚かされます(もちろん、瓶のところも多いですが)。

日本の場合、とんでもない値段になってしまいますが、この点、オーストリアの姿勢は見事の一言に尽きます。
だから、山頂でのビアややめられません。

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October 22, 2004

ウィーンの「ダフ屋さん」

日本でも、有名な公演やスポーツイベントではヤミでチケットを販売する「ダフ屋」が出没します。実はウィーンでもダフ屋の皆さんが活躍しています。以前は国立劇場連盟のブッキングオフィスの中庭に、結構いましたね。
また、ウィーンでは民間のチケットオフィスでも、結構チケットを売っているので、ダフ屋の皆さんも大変でしょう。

さて、私はチケットを事前に手配してからウィーン入りするので、ダフ屋のお世話になることはないのですが、一度だけお世話になったことがあります。
2001年1月、その日はフォルクスオパー公演を見る予定でチケットを手配していたのですが、同じ日の午後(つまり、フォルクスオパー公演の前)に、シュタットオパーで「メリーウィドウ」の公演があることがわかりました(マチネですね)。日本を発つ前は、てっきり時間が重なっていると思っていたので、気にしていなかったのですが、「物理的に両方観ることができる」となると、つい、「何とかしたい」という気持ちがわいてきます(オペレッタに関しては欲張りな私…)。
しかし、さすがに前日ともなると、国立劇場連盟のブッキングオフィスでもチケットは売り切れです。「まぁ、あきらめるか」とブッキングオフィスを出ようとすると、中年の紳士がウィーンなまりのドイツ語で声を掛けてきました。

以下、その時のやり取りです。
中年紳士:「あなたは、今日、シュターツオパーで上演されるメリーウィドウを観たいのかい?」
私:「そうだけれども…」
中年紳士:「あなたはラッキーだ。私は、良い席のチケットを持っている(ここで、チケットを見せる)」
私:「ほーっ」
私:「この席で、この金額(実は、前日に発売される残券で、400シリングと書いてあった)ならお得だ! ラッキー!」(心の声)
中年紳士:「私は、このチケットを850シリングであなたに譲ることができる」
私:「えっ、400シリングじゃないの?」
中年紳士:「券面は400シリングだけれども、これは本来、1600シリングの席だ」
私:「うぅーん、400シリングなら手持ちのお金があるけれど、1600シリングだと足りないなぁ。残念」
中年紳士:「あそこに銀行のATMがあるから、引き出したら…」(粘る)
私:「うぅーん。じゃぁ、買おうか」

一緒に隣のATMへ移動中の会話。
中年紳士:「今日は、アンゲリカ・キルヒシュラーガーが出演するし、良い公演だよ」
私:「それは、私も知っている。キルヒシュラーガーは私も好きな歌手だよ」
中年紳士:「それは良かった。楽しみだね」
その後、ATMでシリングを引き出して、中年紳士にお金を渡して、チケットを受け取りました。
この中年紳士、再び、国立劇場連盟の方へ戻っていきました。

よくよく考えてみると、この人は、日本で言うところの「ダフ屋さん」なのでしょうね。
しかし、「残券を“ディスカウントの定価”で購入し、その倍の値段で売る。それでも、良い席の場合、オリジナルの値段よりも安いので、お客様は喜んで買う」。「国立劇場連盟のチケット販売システムを活用した商売だなぁ」と感じた次第です。

もあた、日本の「ダフ屋」が、いかにも「その手の人」という雰囲気で、近づくのをためらってしまいますが、ウィーンのダフ屋さんは、一見すると「親切な中年のおじさん」という感じでした。ウィーンらしく、公演内容や出演者もご存じのようで、日本のダフ屋とは、かなり違います。

公演チケットは、もちろん本物で、楽しく鑑賞できました(シュタットオパーの「メリーウィドウ」については、色々なご意見があるようですが…)。
さて、「メリーウィドウ」の鑑賞終了後、カーテンコールの途中で、劇場を飛び出しました。そして、シュタットオパー前から、タクシーに飛び乗り、フォルクスオパーへと直行です。このときのドライバーさんは、インド系の方(ターバンを巻いていた)でしたが、急いでいる理由をよくご存じのようで、開演10分前にフォルクスオパーに到着しました(当日の公演は「カルメン」でしたが…)。オペレッタとオペラの「はしご」は、さすがに疲れましたが、「ダフ屋さん」とともに、ウィーンの楽しい思い出になりました。

ところで、その後も、旧国立劇場連盟ブッキングオフィスに何度も行く機会がありましたが、この中年紳士はもちろんのこと、同業者の皆さんが、チケットを買いに来るお客様に声を掛けているシーンを何度も見かけました。
さて、彼は今でも、同じような「商売」をしているのでしょうか?

※ダフ屋さんからの購入をお勧めするものではありません。

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October 21, 2004

ウィーンのメーデーは「フォルクスムジーク大会」?

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日本では、今や「メーデー」は死語になりつつあります。実際、メーデーの中央集会は、5月ではなく、ゴールデンウィーク前半の4月に行われるようになりました。私が子どもの頃は、父親がメーデーに参加するため、プラカードを作っていた記憶があります。

数年前、日本のゴールデンウィークにはじめてウィーンを訪れました。目的は、もちろん、オペラとオペレッタ鑑賞です。

到着翌日が、5月1日でした。とりあえず、公演チケットを受け取るため国立劇場連盟のブッキングオフィスへ向かいました。ところが、リングには車どころか、路面電車も走っていません。完全に道路閉鎖をしているのです。そこへやってきたのが、メーデーのデモ行進です。どうやら中央会場は、新市庁舎前広場のようです。しかし、このデモ行進、私が考える「デモ行進の常識」を覆すものでした。何と、多くの労働組合の先頭を飾るのは、組合員で構成するバンドなのです。その多くが、オーストリア伝統のフォルクスムジークを演奏するブラスバンドです。これに正直、びっくりしました。沿道で見ていると、演奏する曲は、おなじみのマーチです。労働組合の皆様には申し訳ないのですが、このバンドの演奏を聴くだけでも、得した気分になりました。

当然、労働組合のカンパ募集などもやっていますが、殺伐とした雰囲気がなく、のどかなウィーンらしいメーデーだと感じた次第です。

それにしても、労働組合が専属バンドをもっているところが、オーストリアらしいですね。

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October 20, 2004

いまだ健在、街頭記念写真屋さん

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日本では見かけなくなりましたが、オーストリアの某所では、街頭記念写真屋さんが健在です。
街頭記念写真屋さんとは、観光地などで、カメラマンが観光客の写真を撮り、それを短時間で、現像・プリントして、その場で販売するというものです。

色々なシステムがあるようですが、私が知っているものは、あらかじめオーダーをとってから、販売するシステムではなく、「台紙付きのプリントを並べて、写真に写っている本人が買うのを待つ」という結構リスキーな商売です。カメラが普及する前は、結構あったようですが、最近は少なくなりました。

さて、私がよく知っている街頭記念写真屋さんは、ウォルフガングゼーのシャーフベルク登山鉄道山麓駅で営業しています。カメラがこれだけ普及した現在、15年以上も営業しているのは、大げさですが「現代の驚異」と言えます。
なぜ、シャーフベルク登山鉄道の山麓駅で、この商売が長く続けることができるかというと、考えられる理由が、いくつかあります。

その1 登山鉄道で山頂へ向かったお客様が山麓へ戻るまでに時間がある(その間に現像、プリントが可能)

その2 ハイキングのお客様は別として、登山鉄道で往復するお客様が多い(写真を買ってくれる可能性のあるお客様が多い)

その3 純粋な観光地なので、「せっかくだから記念に…」というお客様が多い

その4 山頂へ上った時間別に掲示することができるので、人数が多くても比較的自分の写真を探しやすい(自分の写真を探す楽しみが、販売につながる)

ただ、それだけでは、買ってくれるお客様は増えません。実は、写真撮影に工夫があるのです。というのは、カメラを意識していない自然な表情を撮るようにカメラマンが工夫しているのです。以前は、片手で握ることができる日本製カメラを使っていました。そして、改札口から入って、列車に向かう乗客を正面から、移動しながら撮影していました。これから登山電車で山頂に向かうという楽しい旅であるため、老若男女、皆、楽しそうな表情をしています(カメラマンが本人に気づかれないようにとっているため、いわゆるポーズをとる人はいません)。たしかに、自然な表情の写真というのは、意外と少ないものです。

私が、このカメラマンに気づいたのは、2回目にシャーフベルク登山鉄道を訪問したときです。その後、友人と列車で山頂へ向かうとき、カメラマンの存在がわかっていたので、意図的に「カメラ目線」を送ってしまいました。もちろん、そのときは、1枚購入したのは、言うまでもありません。

なお、現像所は出口に隣接したログハウスにあり、できあがった写真は山麓駅の出口に掲出されています。

2004年の夏にのぞいたところ、まだ、営業をしているようでした。もし、皆様もシャーフベルク登山鉄道に乗車する機会がありましたらぜひ、街頭記念写真屋さんを探してみてください。ただし、商売のじゃまはしないようにしましょう。

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October 19, 2004

軍事史博物館

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ウィーンには多数の博物館や美術館がありますね。とくに博物館には特殊なジャンルを扱った施設もあり、興味深いものがあります。例えば、エスペラント博物館、拷問博物館、シュナップス博物館など、いわゆる「専門系博物館」が数多くあります。今回は、その中から、「軍事史博物館」をご紹介しましょう。

一般的に第二次世界対戦の戦勝国には、戦争博物館や軍事博物館が多数あります。しかし、第二次世界大戦の敗戦国には、その経緯から軍関係の博物館はあまり見かけません(余談ですが、イギリスには王立戦争博物館や空軍博物館など軍事関係の博物館が多数あり、その充実ぶりには目を見張るものがあります)。

ウィーンで数少ない軍事関係の博物館が「軍事史博物館」です。ある年の冬、ウィーンを訪れた時、日中の時間をもてあましてしまい、興味半分で「軍事史博物館」をはじめて訪問しました。このときは、エピソードがあって、たまたま手持ちの地図をもって出かけたのですが、路面電車の最寄り停留所名が変わってしまい、いつまで経っても目的の停留所に着きませんでした。とりあえず、終点まで行き、手持ちの地図を見てから、停留所にある路線図から、最寄り停留所の名称が変わったことを発見しました。

「教訓:地図は新しいものを入手すること」

さて、その「軍事史博物館」ですが、重厚な煉瓦造りの建物です。歴史のあるオーストリアだけに、展示エリアを見たときは、正直驚きました。というのは、ナポレオン時代の武具や軍旗などが、展示されているのです。よく、このように古いものが残っているものだと、感心しました。当然、その後の各種戦争に関わる歴史的資料も多数展示されており、オーストリアと戦争の関わりが、大変よくわかるようになっています。
もちろん、近代戦争である第一次世界大戦の資料も多数展示されていますが、「軍事史」の名前が示すように、兵器よりは戦争にかかわる遺品の方が多いという印象を受けました。
また、第二次世界大戦の展示ゾーンでは、ナチス政権下の各種プロパガンダ・ポスターや軍服や階級章、軍用品なども展示されています。ドイツでは、ナチスのシンボルである「ハーケンクロイツ」は見ることができませんが、ウィーンの「軍事史博物館」では、ポスターなどがオリジナルのままで展示されているため、ハーケンクロイツも見ることができます。このほか、ウィーンの博物館らしく、企画展も時々行われています。

屋外には比較的新しい戦車は装甲車も展示されています(ただし、冬季は屋外展示場には出ることができません)。兵器の展示を期待して訪問すると、期待はずれになるかもしれませんが、歴史の一面を見ることができ、色々と考えさせられます。

なお、ウィーンの博物館の定番である「ミュージアムショップ」や「ビュフェ」も完備しています。「ミュージアムショップ」では、これまた定番の展示品絵はがきやポスター、各種書籍などが販売されています。場所柄、オーストリア国防軍の広報資料なども置いてあります。

ビュフェでは軽食もとることができます。私は、たまたま昼食時にかかったため、はじめて訪問した時は、このビュフェでフランクフルターとビアを頂きました。
すべての人にお勧めできる博物館ではありませんが、ちょっと違った歴史にふれたい方は、ぜひ一度訪れてはいかがでしょうか。

なお、下記のサイトから詳細な情報が入手できます。

http://www.bmlv.gv.at/hgm

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October 18, 2004

幻のザルツブルクで冬季オリンピック

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今日は、オリンピックのお話です。オーストリアでは、1964年(第9回)と1976年(第12回)の2回、いずれもインスブルックで冬季オリンピックが開催されています。

1964年のインスブルック大会は、残念ながら私の記憶にはありません(東京オリンピックは地元だったこともあり、子供心にも鮮明に記憶に残っています)。ちょうど、東京オリンピックの半年前に開かれたそうです。この大会から、スキーのジャンプ種目に、従来の70メートル級(現・ノーマルヒル)に加えて、90メートル級(現・ラージヒル)が新設されました。そして、私もインスブルックを訪問した際、印象に残っているクイーゼルのジャンプ台が、オリンピック用に改修されました。このジャンプ競技場は円形競技場の様な客席と聖火台を設置して開会式場としても利用されました。

さて、オーストリアで2回目となる1976年の大会は、実は予期せぬ経緯で実現したものです。その前の大会である札幌大会の際、閉会式(真駒内スケート場だったですね)では、金メダルを掲げた笠谷選手らが参加し、電光掲示板には「4年後にデンバーで会いましょう」の文字が描かれていました。しかし、第12回大会の開催地に予定されていたアメリカのコロラド州デンバー市では、開催地に決定した1970年5月直後から、自然環境破壊と財政上の問題からオリンピック開催反対の機運が高まりました。そして、札幌オリンピックから半年後の1972年11月の選挙で、オリンピック開催に反対している市民連合の得票が過半数を超えて、デンバー大会組織委員会は身動きが取れなくなり、IOCに対して大会開催の返上を通告したのです。翌1973年2月、IOCは投票により代替地として、オーストリアのインスブルックを選びました。インスブルックが選ばれた理由は、3大会前に開催したばかりで、12年前の施設のほとんどが再利用可能であることと、急きょ決まった大会運営に慣れているであろうとの判断からだったそうです。この結果、短期間で2回の冬季オリンピック開催が実現したのです。

ところで、オーストリアでは、2006年冬季オリンピックに、ザルツブルクが立候補しています。しかし、2006年の冬季オリンピックは最終的にはイタリアのトリノに決定しました(決選投票の結果、スイスのシオンを破っての決定)。残念ながら、ザルツブルクは「落選」となってしまいました。写真は、オリンピック誘致活動が盛んだった1997年に、ザルツブルク州の某ホテルで頂いた「おなじみのモーツァルトのお菓子」ですが、パッケージにオリンピックのステッカーが貼ってあります。このステッカーには、モーツァルトの横顔も描かれており、モーツァルトも誘致活動に一役買っていることがわかります。

仮に、ザルツブルクで冬季オリンピックが開催された場合、どの当たりが会場に使われたか、興味深いところです。
さて、3回目の冬季オリンピックは、果たしてオーストリアで開催されることがあるのでしょうか?

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October 17, 2004

“山ラッコ”

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今日も「ピカチュー」に続いて、動物くんの話題です。

「アルペン・マーモット」(Alpine marmot)という動物をご存じですか? リス科の草食動物で、大きさは成長すると40~60センチになります(草木を噛み切る、鋭い歯を持っています)。毛は茶色で、日当たりのよい斜面に巣穴をつくり、生息しています。また、“ピュー”“キュー”というような泣き声をあげることがあります(私は聞いたことがありませんが…)。

ところで、「マーモット」(Marmot)とは、フランス語で「山ネズミ」のことを指すそうです。英語読みだと、「モルモット」とも読めますが、これはモルモットがヨーロッパに持ち込まれたとき「アルペン・マーモットに似ているから…」と付けられた名前だとのことです(私は最近まで、逆だと思っていました)。

名前のとおり、ヨーロッパ・アルプスに生息しているのですが、オーストリアで、一番有名な「アルペン・マーモット」の生息地は、グロース・グロックナーでしょう。とくに今や一大観光地となったフランツ・ヨーゼフ・ヘーエでは、展望台の下に「アルペン・マーモット」がおり、観光客に愛嬌を振りまいています。私が、初めて本物の「アルペン・マーモット」を見たのは、やはり、このフランツ・ヨーゼフ・ヘーエでした。今から、15年以上も前のことです。展望台から下をのぞくと、巣の穴からちょろちょろ出てきて、斜面を走り回っていました。観光客が投げるエサを喜んで食べている姿も印象的です。意外とすばしっこいため、写真を撮ろうと思うと、すぐいなくなってしまう…そんな印象があります。

ところで、オーストリアは日本と同じく、いわゆる「観光みやげ」が非常に多いと、私自身は思っています。とくに有名観光地になると、その土地にちなんだ「観光みやげ」(さすがに「○○まんじゅう」はありませんが)がたくさん販売されています。ここ、フランツ・ヨーゼフ・ヘーエでは、やはり「アルペン・マーモット」は、重要なキャラクターのようで、Tシャツやステッカー、絵はがき、ぬいぐるみなど、色々な商品に登場しています。
また、グロース・グロックナー・ホッホアルペン街道沿いの町でも、「アルペン・マーモット」は人気者のようで、写真のように噴水などにも使われています(これはハイリゲン・ブルートで見つけたもの)。地元の人が親しみを込めて使っているのか、それとも「観光客うけ」をねらっているのは定かではありませんが、重要な「観光キャラクター」であることには違いありません。

実は、日本にも数少ないながら「アルペン・マーモット」がいます。その代表が、長野県の大町山岳博物館です。この博物館には、大町市と友好提携しているインスブルック市アルペン動物園から贈られた「アルペン・マーモット」がいます。以前、私の友人が、この博物館を訪ねた際、わざわざ「アルプス・マーモットがいるよ」と教えてくれました。同博物館のホームページで確認したところ、2004年6月現在、オス1匹が飼われているとのことです(日中は巣に入っていて、出てくることは少なく、友人も「現物」は見ることができなかったとのことです)。

http://www2.city.omachi.nagano.jp/sanpaku/alpine.htm

また、こちらは未確認ですが、千葉県にある「市原ぞうの国」にも「アルペン・マーモット」がいるようです。こちらは、最近、「入荷」したようです。

いずれにしても、日本では馴染みのない動物ですが、現物を見ると、なぜか印象に残る「アルペン・マーモット」なのです。

さて、ここまでふれてこなかった表題の「山ラッコ」ですが、初めてフランツ・ヨーゼフ・ヘーエで「アルペン・マーモット」を見た時、当時日本で人気を集めていた「ラッコ」に似ていたため、一緒に旅行をしていた友人と「勝手に命名したもの」です(ちょっと、別の意味もあるのですが、あまりにも個人的な話題なので、ナイショ)。そう言われれば、似ていると思いませんか?

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October 16, 2004

オーストリアにも生息していたピカチュー

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日本のテレビ・アニメーションは、外国でも高い評価を受けています。とくに海外旅行をするとテレビで、日本のアニメーションを放送していることも多く、ちょっとびっくりすることがあります。なぜなら、吹き替えになっていて、ドイツ語やイタリア語で、日本の主人公が話をしているからです。最近は、海外への輸出を考えて、国籍や人種が曖昧なキャラクターを設定しているケースも多いと聞きました。
さて、最近人気の高いアニメーションに「ポケットモンスター」があります。これは、人物以上にポケットモンスターが主役という位置づけになるためでしょうか、海外でもキャラクター・グッズを数多く見かけます。

毎年夏に訪問しているザルツブルク州の小さな町で、実は、このポケモン・グッズを見つけました。写真は、その町に一軒だけあるおもちゃ屋さんのショーウィンドウです。店頭には流行のキックボードや、幼児用の乗り物と並んで、ピカチューの巨大なぬいぐるみが…。他にも、ピカチューのイラストが入ったバッグなども並んでいました。
うぅーん、ジャパン・アニメ恐るべし… オーストリアの子どもたちにも人気があるようで、実際にピカチュー・グッズをもっている子どもを見かけたこともあります。
これからも、きっと色々なアニメーションが日本から「輸出」されることでしょう。
オーストリアの田舎で見つけたピカチュー、何か懐かしい気がしました。

ところで、オーストリアの子どもたちは、ピカチューが「メイド・イン・ジャパン」だということを知っているのでしょうか。

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October 15, 2004

ご機嫌なパトロールカーと警察

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数年前、ちょうど5月1日の「メーデーの日」にウィーンに滞在していたことがあります。「ウィーンのメーデー」は、デモ行進中、リングが自動車通行止めになるなど、最近の日本では考えられないほど、規模の大きな「催し」です。このデモ行進については、興味深い情報があるので、いずれご紹介しましょう。

今日は、その時、シュタットオパーの前で見たパトロールカーのお話です。言葉で説明するよりも写真をご覧ください。新型ビートルを使ったパトロールカーが止まっていました。すかさず、写真を撮影したのは言うまでもありません。この写真、デジタルカメラで撮影したので、翌日、日本にいる友人に電子メールで送りました。彼もいたく気に入ったようで、折り返し「壁紙にしたよ」というメールが届きました。

日本でも、デモンストレーション的な要素が強い「特殊なパトロールカー」が各警察本部に配置されているようですが、さすがに新型ビートルはいないでしょう。このパトロールカーですが、白にオレンジのラインがユーモラスに感じるのは私だけでしょうか。

ところで、以前から疑問に思っていたことに、警察車両や警察署の表示が二種類あることです。一つはGendarme(ゲンダルメリエ)、もう一つはPolzei(ポリツァイ)です。
ちなみにGendarmeの車両は、白と緑のツートンカラーだったと思います。

実は、Gendarumeとは、国家憲兵隊という組織だそうです。ヨーロッパには、いわゆる国家警察の他に、国家憲兵隊という組織がある国が多いようです(フランス、オランダ、イタリアなどにあるようです)。
普通、「憲兵隊=軍隊に所属する警察」というイメージがありますが、オーストリアの場合、内務省の所属で、任務も完全に警察組織となっているようです。現在のGendarumeは地方管轄の警察組織で、首都・大都市(国家警察の管轄)以外のすべての地域を管轄する組織とのことです。

余談ですが、オーストリアには「コブラ」(GEK COBRA)という対テロ特殊任務部隊がありますが、この部隊もGendarmeに属しています。国家憲兵隊ですが、軍事色が無いため、実は日本の警察特殊部隊SATも研修に訪れているようです。そういえば、時々、日本のテレビでも「コブラ」の訓練風景などが紹介されます。ちなみに、オーストリアのGendarumeに特殊部隊が創設されたかというと、1975年にパレスチナ解放人民戦線が、ウィーンで開催中の石油輸出国機構の会合を襲撃、2名を殺害、 大臣たちを人質に取る事件が起こったことがきっかけとのことです。

あまり、この手の部隊が活躍する場面が訪れることがないのを祈るばかりです。

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October 14, 2004

個性的だったラウダ・エア

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オーストリアの新興航空会社にラウダ・エア(Lauda-air)という会社があります。元F1レーサーのニッキー・ラウダ氏(日本ではニキ・ラウダという読み方が一般的ですね)が創業した会社です。

1986年に航空自由化を受けて、本格的に運行が始まりました。チロリアン航空が、インスブルックをベースに短距離路国際線や国内線から始まったのに対して、ラウダ・エアは、最初からオーストリア航空への対抗心からか、国際線も積極的に運行していました。日本には就航していませんでしたが、ボーイング767-300などの機材を使って、バンコク、香港、シドニー方面に路線を持っていました(ただし、チャーター便としては飛来しています)。その後、1994年頃から、ボンバルディアCRJ(カナダ製)という小型のジェット旅客機を使って、バルセロナ、マドリード、ブリュッセル、ジュネーブ、マンチェスターとストックホルムのヨーロッパなどへも路線を広げています。

オーストリア航空がエアバス製の機材に切り替えている中、ラウダ・エアはボーイング系の機材を使っているのがおもしろいところです(B777-200やB737シリーズを使っています)。

しかし、航空自由化は、逆に過当競争を招き、多くの航空会社が経営危機に陥ります。ラウダ・エアも例外ではなく、1997年に、生き残りを賭けて、それまでライバル関係だったオーストリア航空と提携を始めました(その頃、オーストリア航空も大変だったようです)。そして、2000年には、ニッキー・ラウダ氏が、持っていた株式をオーストリア航空に譲渡し、経営権を手放してしまいました。本人は、F1チーム(確か、ジャガーだったと思います)のコーチに就任しています。

さて、客室乗務員ですが、ディアンドル姿のチロリアン航空に対して、ラウダ・エアは、カジュアルな服装が特徴です。アメリカでは、サウスウェスト航空という新興エアラインが、斬新な経営で高い業績を納めていますが、この考え方をまねた感じがします(イギリスのヴァージンアトランティック航空ほどではないですが)。客室乗務員の服装も好対照で、全員ジーンズに赤のベースボールキャップが制服というのも珍しいですね。この帽子ですが、正面の刺繍が凝っていて、音符がデザインされています。

私は、1997年にザルツブルク-フランクフルト線(機材はCJR)で搭乗しましたが、当時、この路線にはチロリアン航空も就航していました。そのため、ライバル関係にあるチロリアン航空と差別化を図るために、機内食もホットミールが提供されていました(フライトタイムはジェット機なので、1時間を切っています)。食器も写真のような三角形のユニークな形で、フォークやナイフも本格的なもので、当時、感激したことを覚えています。

オーストリア航空傘下に入ってからは、一体経営となり、最近では便名からもラウダ・エアという名称が消えています(ラウダ・エアの機材を使って運行する便も、オーストリア航空の便名になっています。いわゆる「この便は、ラウダ・エアの機材と乗務員で運行します」というやつですね)。私は、結局1回しか乗ることがなかったのですが、現在でも、三角形の食器は使っているようです。

ところで、日本のコミューターエアラインであるフェアリンク(現在はアイベックスエアラインに名称変更)が使用しているボンバルディアCRJという小型ジェット旅客機は、ラウダ・エアから購入したものです(2機を購入)。

また、ニッキー・ラウダ氏ですが、その後、F1チームのコーチを辞めて、2003年に新しくNIKIという航空会社を興しています(本拠地はウィーン)。ご本人、よほど飛行機が好きなのでしょうね。
ちなみに、NIKIという航空会社のサイトは、以下のアドレスです。ご興味のある方は、ご覧になってみてください。

http://www.flyniki.com/

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October 13, 2004

番外編:ウィーン国立歌劇場日本公演で思ったこと

2004年10月3日から始まったウィーン国立歌劇場日本公演ですが、「ドン・ジョヴァンニ」4公演(会場:東京文化会館)、「フィガロの結婚」3公演(会場:NHKホール)ですが、15日の「ドン・ジョヴァンニ」をもってお開きとなります。私は予算とチケット入手の関係もあり、「ドン・ジョヴァンニ」を10月6日に鑑賞しました。

2000年の来日公演の際は、あまり気にならなかったのですが、今回は「オーケストラの響き」が何か物足りないと感じました。これはオーケストラの仕上がり云々ではなく、明らかにホールの違いによるものだと思います。たしかに、東京文化会館はオペラを上演できる数少ないホールで、改修により音響効果も良くなっているのも事実だと思います。しかし、地元ウィーンの劇場で聴いた音とは明らかに違う…と感じました。本来は、比べてしまうこと自体が問題なのかもしれません…

ところで、個人的に残念なのは、我が国で唯一の本格的歌劇場である「新国立劇場」が、この手の引っ越し公演で全く使用されないことです。同劇場では、小ホールは各種団体に貸し出しているようですが、大ホールを海外の歌劇場に貸したという例は耳にしたことがありません。色々と理由はあると思うのですが、残念でなりません。おそらく、来日した歌手やオーケストラ・メンバーも、もし新国立劇場で上演する機会があれば、日本の劇場に対する評価もずいぶん変わると思います。

さて、10月6日ですが、終了後のカーテンコールの際、海外の有名劇場の引っ越し公演ではめずらしく、「ブラヴァだけ」ではなく、「ブーイング」がありました。指揮者の小澤征爾氏をはじめ、歌手が一人ずつ出てくる際に、ブーイングがあったので、具体的に「誰がブーイングの対象となったのか」はわかりました。ただし、理由が今ひとつはっきりしないこともあり、この場での公開は差し控えたいと思います。

2000年のウィーン国立歌劇場来日公演の際、私は2公演鑑賞しましたが、その時は、ブーイングの記憶がない(あったのかもしれませんが、気づかなかった)だけに、意外な感じがしました。
しかし、地元ウィーンでは、ブーイングは良く起こります。とくに演出を新しくした場合、「演奏や歌手はブラヴァ、演出はブーイング」といったシーンを見ることがあります。ウィーンの人は保守的な人が多いようで、現代的な新演出が最初から受け入れられるケースは希なようです。当然、演出家や指揮者も、その点は十分承知した上で、新しい演出にチャレンジする訳ですから、さして驚かないのかもしれません。

スポーツでもそうですが、良いプレーには声援、悪いプレーにはブーイングをすることが、結果として選手のレベルを上げると言われています。
これは、オペレやオペレッタの世界にも言えることでしょう。厳しい観客の声に真摯に耳を傾けながら、自分たちのポリシーをわかってもらう…口で言うのは簡単ですが、現実には、かなりのプレッシャーがかかると思います。
それにしても、来日公演でブーイングが出るようになったということは、日本の観客の水準も上がってきた…ということでしょうか。色々と思いを巡らした来日公演でした。

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October 12, 2004

交差点とロータリー

日本でも鉄道駅前の広場を通称「ロータリー」と言うことがあります。しかし、本来は、交差点を円形にして、回りながら違う方向へ向かう道路様式を指すようです。ご本家は、確かイギリスだと思います。

以前、イギリスをドライブしたことがありましたが、ほとんどの交差点がロータリー方式になっていて、戸惑った経験があります(日本ではあまり見かけない様式なので、勝手がわからず、地元のドライバーからブーイングを受けました…当たり前か…)。
また、規模の大きなロータリーの代表が、パリ凱旋門の下です。私は実際に車で行ったことはないのですが、作家の浅田次郎氏が、ある雑誌のコラムで、このロータリーに入ったきり、出られなくなり、地元タクシーの誘導でやっと抜けることができたと紹介していました(「その時は、永遠に回り続けるのではないかと思った」と書かれていますが、経験した方は、この感覚がわかると思います)。

さて、オーストリアでも今まではどちらかというと、日本と同じ交差点方式が中心だったように思います。ところが、ここ数年、私がレンタカーで訪問している町や、その周辺で「交差点をロータリー方式に変更する工事」が積極的に行われています。

確かにロータリー方式にすると、信号がありませんから、コツを飲み込めば、普通の交差点よりは早く通過することができます(とくに進路を変更する場合)。当然、信号待ちによる渋滞も、基本的には発生しません。
この他、ロータリーでは、かなり半径の小さいカーブを曲がるため、スピードを落とさざるを得ない、つまり、スピード抑止効果もあるわけです。
最近、ロータリー方式が増えている「真の理由」は存じませんが、法定速度を平気で上回る人が多いオーストリアなので、もしかしたら後者が「真の理由」かもしれません。

なお、ドイツでは、2001年に発効した新規交通規則で、「ロータリーに入る時にはウインカーを使ってはならない。ロータリーか出る時にはウインカーを(今まで同様)使用する」となったようです。私はオーストリアで車を運転する時は、周りに合わせていたように思いますが、もしかしたら、入る時にもウインカーを使っていたかもしれません。

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October 11, 2004

フルーク・プラッツ

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ドイツ語では一般に「空港」は、「フルーク・ハーフェン」(Flughafen)と言いますが、地方をドライブしていると、地図や道路標識に「フルーク・プラッツ」(Flugplatz)という標識を見ることがあります。この「フルーク・プラッツ」ですが、航空路が設定されていない町にあるのが一般的です。私が毎年、夏に訪れるザルツブルク州の「とある町」にも「フルーク・プラッツ」があります。たまたま、予定もなかったこともあり、興味半分で、道路標識に沿って、車を進めました。すると、私の車の上空をグライダーが颯爽と降りてきました。道の終点が「フルーク・プラッツ」です。そこの駐車場には、ウィーンやドイツナンバーの自家用車や、グライダーを搭載してきたと思われるトレーラーなどが並んでいます。
「フルーク・プラッツ」とは、スポーツ航空用の飛行場だったのです(日本では、滑空場という名称で呼ばれている飛行場に近いものです)。

そのため、事務所は、日本で言うところの「飛行クラブ」になっているようです。駐機場には、個人(もしくはグループ)で所有しているグライダーが並んでいます。最近は自力で上空まで昇っていくモーター・グライダーという機種も増えているようで、この「フルーク・プラッツ」にも両方が駐機していました。また、滑走路は普通の飛行場のように舗装されたものではなく、芝生になっていました(舗装された滑走路を持つフルーク・プラッツがあるかもしれません)。そのため、のどかな雰囲気が漂っています。

たしかに、この町は谷にあるため、上昇気流があり、グライダーのフライトには絶好の場所なのかもしれません。また、グライダーを上空まで曳航する小型機も常駐しており、離発着を繰り返しています。何と「優雅なスポーツ」ですね。
また、駐機場に隣接した庭には、ビーチパラソルとデッキチェアがあり、皆さんで楽しくグライダー談義に花が咲いているようです。

余談ですが、「ドイツは第一次世界大戦後、軍用機の使用が禁止された関係で、グライダーが非常に盛んになった」という話を、どこかで聞いたことがあります。

美しい谷の上空に広がる青空を飛ぶグライダー、私も乗ってみたいのですが、グライダーのオーナーに友人がいない限り、難しそうです。
ある年、この谷にある町で、ある催し物のポスターを発見しました。この「フルーク・プラッツ」で開催される「フルーク・フェスト」のものです。内容を見ると、飛行場の開放を中心に、グライダーの体験飛行など楽しい催し物が盛り込まれています。あいにく、私が日本へ帰ってから開催される日程であったため、見学することはできませんでしたが、一度はオーストリアの空をグライダーで飛んでみたいものです。

ちなみに、現実的な話題で申し訳ありませんが、日本国内でグライダーによる航空スポーツにチャレンジする場合、グライダー・クラブでの操縦ライセンス取得に60~100万円、クラブ所属費用が10~15万円、そしてフライトにかかる経費がグライダーで30分間、 7000円~1万円程度とのことです。果たして、オーストリアでは、どのくらいの料金で楽しめるのでしょうか。

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October 10, 2004

突然出てきた日本公演プログラム

以前、ウィーンの地下鉄U4に、家族と乗っていた時のことです(ハイリゲンシュタットから中心部に戻る途中だったと主IM巣)。ウィーンの地下鉄はボックス型のクロスシートになっており、通常、2人ずつ向かい合う形になります。
向かいには壮年の男性が座っていました。家族と日本語で話し合っていたところ、向かいの男性がドイツ語で、「あなた達は日本人か?」とたずねてきました。「日本から来た旅行者ですよ」と答えたところ、手に持っていたバックから突然、「2000年ウィーン国立歌劇場来日公演プログラム」(もちろん、日本の会場で売っている例の立派なもの。当然、日本語版)を取り出し、私に「見ろ」と差し出してきました。突然の出来事に、私も、家族も、あっけにとられてしまいました。

実は、2000年のウィーン国立歌劇場来日公演は、私も二つのプログラムを東京で鑑賞しただけに、懐かしく拝見しました(エディタ・グルヴェローバ主演の「シャモニーのリンダ」を観ています)。

あいにく、次が私たちの降りる駅だったので、手にとって短時間見ただけで、すぐ、その男性に返し、分かれました。この男性、ウィーン国立歌劇場の関係者として来日したのでしょうか。しかし、なぜ、来日公演から2年以上経過しているにもかかわらず、プログラムを持って地下鉄に乗っていたのでしょうか? それとも、日本人にこのプログラムを売ろうと思ったのか? 興味はつきません。

今年もウィーン国立歌劇場来日公演で、立派なプログラム(お値段は2500円)を購入しましたが、帰りの電車の中で、ふと「ウィーンでの珍事」を思い出しました。
しかし、予想外のことが起こるウィーン、これがたまりません。

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October 09, 2004

不思議な「アルペン枕」

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オーストリアでホテルに宿泊した時、奇妙な枕を見かけることがあります。もちろん、枕そのものは普通のものなのですが、実は、セッティングが興味深いのです。

どう興味深いか? 上の写真をご覧ください。「山型」にしてあるのです。ウィーンでは見たことはありませんが、私が毎年訪問するザルツブルク州の地方都市や、シェーネベルクの麓にあるプッフベルクのホテルなどでお目にかかります。

枕カバーの両側を持って、グーッと引っ張り上げると、こんな形になりそうですね。

オーストリアは山岳地帯に多いこと、何となく「山の形」に見えることから、勝手に「アルペン枕」と命名しました。

必ずしも「ある地域」のホテルやツィンマーは、「すべて枕がこの形」という訳ではなく、同一地域でも、普通のセッティングだったり、「アルペン枕」だったり、千差万別です。また、あるホテルでは、行った年によって「アルペン枕」だった時と、普通のセッティングだった時の両方がありました。
なぜ、このような形にしているのか、非常に興味があるのですが、その理由は未だに不明です。

えっ、「ひいきのホテル」で、この枕があるのなら、ホテルの方に聴けばいいって…確かにそうなのですが、そこまで詳しくコミュニケーションできる語学能力がないので、断念しております。

なお、寝る時は普通の形に戻して、使用するのは言うまでもありません。一度、試しに「このままの形」で使おうとしたら、頭の両側に枕が来てしまい、寝にくかった経験があります。

何かの由来があるのか、あまり意味がないのか、誰が広めたのか、興味は尽きません。

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October 08, 2004

三位一体教会

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日本では、何やら政府の構造改革で「三位一体の改革」という話が良く出てきます。しかし、「三位一体」とは、元々は、ローマ・カトリック教会の中心的教義(ラテン語で、Trinitas:トリニタスと言うそうですが)です。つまり「宗教用語」ということになります。それにしても、インターネットの日本語サイトで「三位一体」を調べると、宗教用語の解説が出てくるところが、少なく、もっぱら「政府の構造改革」のお話で…
さて「この三位一体」とは、キリスト教の根本教理の一つです。「父なる神、子なるイエス・キリスト、聖霊の三者は、等質で不可分とする」という説のことで、よくお祈りのときに出てきます。
私はキリスト教を専門に研究している学者ではありませんので、詳細な解説は控えますが、キリスト教の信仰が厚い方なら、皆ご存じの言葉です。

ところで、ウィーンには「三位一体教会」(三位一体協会ではありません。これだと「構造改革の総本山」みたいになってしまいます)があります。先日、ウィーン滞在中、時間が空いたので、たずねてきました。オーストリアは各宗派の教会が多く、教会巡りも興味深いものがあります。大変失礼な言い方ですが、「この規模の町に、立派な教会だなぁ」という場面に何度も出くわしました。これもオーストリア人の信仰と関係が深いのでしょう。

ウィーンにある三位一体教会は、フリッツ・ヴォトルーパという方が設計された非常に有名な建物のようです。普通の教会は町の中にありますが、三位一体教会は郊外(といってもウィーンの住宅地)にあります。私は、地下鉄U4でシェーンブルン動物園の最寄り駅であるHietzingへ行き、ここで、路面電車60系統に乗り換えました。Maurer Hauptplatzで、バスの60A系統に乗車して4分ほどで、三位一体教会の最寄り停留所、Kasemgasseに到着です。最初は、「この停留所の向かいにでもあるのだろう」と思っていましたが、見あたりません。しかし、そこはウィーン。しっかり案内表示が出ており、これに従って丘の上を目指すと、10分ほどで目指す教会に着きました。ところで、このように停留所だけわかっていて、ルートは今ひとつはっきりしない時に威力を発揮するのが、ウィーン市交通局のWebサイトにあるルート検索システムです。出発地の停留所(もしくは駅)名と目的地の停留所(もしくは駅)と出発時刻(もしくは到着時刻)を入力すると、オンラインでルートと時刻が表示されます。もちろん、利用はインターネットにさえ接続できれば、無料です。

さて、教会の建物ですが、私の予想に反してモダンな建築で、教会のシンボルである十字架も表からは見えません(祭壇にはありますが)。かなりユニークな形です(これは写真をご覧になって頂くのが一番でしょう)。

オーストリアでは、通常、特別な教会は別にして自由に中にはいることができます。しかし、この三位一体教会ですが、土曜日と日曜日に時間を指定して、ガイドツアーで回るようになっています。祭壇も、カトリック式のきらびやかなものではなく、非常にシンプルなものでした。訪問した日は、平日だったので、人が少なかったのですが、周りの静けさも含めて「ウィーンらしい場所だなぁ」感じながら、周辺を散策しました。

余談ですが、「三位一体」は、今までキリスト教関係の方以外、正しく読めなかったのですが、構造改革政策のおかげで、正しく読める方が増えたのは結構なことです。

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October 07, 2004

E-boot発進

オーストリアは湖の多い国です。ザルツカンマーグートの各湖をはじめ、ノイジードラーゼーなど、大小さまざまな湖があります。
日本のように大規模な開発をしているところが少ないので、自然が残っているところも魅力です。とは行っても、湖ですから、水上レジャーが盛んです。ヴァッサ-スキー(水上スキー)を始め、最近ではパラセーリングも多くなったようです。

その中で、各湖で必ずといっていいほど見かける「乗り物」がE-bootです。U-bootではありませんし、その仲間でもありません。E-bootとは、ズバリ、バッテリーと電動モーターで動く「電気ボート」です。電動モーターなので、アクセルを強く踏んでも、スピードはあまり出ず、初心者にも安心して乗ることができます。事実、動力付きながら「免許なし」で乗ることができます。貸しボート屋さんが持っていることが多く、「手漕ぎや足漕ぎのボートは、ちょっと疲れそう…」という軟弱なお客様がよく利用しています。そういう私も、以前、友人夫婦とオーストリアで落ち合った際、ウォルフガングゼーでE-bootを借りて楽しい一時を過ごしました。たしかに、ガソリンエンジンを使うわけ出はないので、音も静か(本当に音がしません)ですし、公害の問題もない、ある意味、「オーストリア的なレジャーボート」かもしれません。

今年の夏、久しぶりに「ザルツカンマーグートの真珠」と言われるゴーサウゼーへ行ったのですが、人工的な音がほとんどしない静かな湖を、静かに進むE-bootに、その良さを再び実感しました。最近は、一人で乗ってもおもしろくないので、ご無沙汰ですが…

えっ、なんで、E-bootなのかって。それは、「電気」の頭文字からとっているようです。

当時、一緒にE-bootに乗ったSさんご夫婦、次はお子様と一緒にオーストリアの湖で、E-boot体験はいかがですか

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October 06, 2004

オーストリア航空の機内で見つけたシュターツオパー

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オーストリア航空の日本就航は、1989年7月のことです。この年、たまたま、前の仕事を辞めた時期だったこともあり、気分一新ということで、オーストリア旅行に行きました。帰りに憧れの「オーストリア航空555便」に搭乗することにしたのです。

この日本線ですが、当時の航空情勢を反映して、非常に複雑なフライトでした。というのは、オーストリア航空の機材を使用しながらも、全日空とアエロフロートの3社共同運航便だったのです。さすがにアエロフロートの客室乗務員は乗務していませんでしたが、全日空からは乗務員が派遣され、同社の制服で乗務していました(噂では、当初、オーストリア航空は日本航空に話を持ちかけたらしいのですが、断られてしまい、当時ヨーロッパ線に周航しはじめた全日空との提携になったようです。あくまでも「噂」です)。

機材は、当時、オーストリア航空の長距離路線用の最新鋭機、エアバスA310-300(ファーストクラス12席、ビジネスクラス37席、エコノミークラス123席の合計172席仕様)でした(私が長距離路線で乗った双発機でした。洋上飛行でなかったので、安心していましたが…)。なお、A310が入るまで、オーストリア航空には、短中距離用のMD-80シリーズしかなかったのです。それだけにA310にかける期待の大きさが感じられます。
日本線周航当初、オーストリア航空には2機のエアバスA310-300が在籍し、アメリカ線(ニューヨーク)と日本線に周航していました。そのため、1号機には「New York」、2号機には「TOKYO」というニックネームが付けられており、私が登場した555便は、この「TOKYO」でした。

最近、久しぶりに当時にアルバムを見ていたら、何と映画上映用スクリーンの裏側にウィーンシュターツオパーのイラストが描かれているではありませんか。当たり前ですが、上映時には、反転させて、スクリーンに切り替えます。すっかり、忘れていましたが、小型機材にもかかわらずファーストクラスを設けていることを合わせて、オーストリア航空の長距離国際線にかける情熱を感じます。A310は、最終的に1992年までに4機導入されたはずです。

アエロフロートとの共同運行ということで、しっかりモスクワ・シェレメチボ空港経由で、私も初めてソ連の大地に足を下ろしました(といっても、暗いターミナルビルの中だけですが)。モスクワ経由だったために、フライトタイムもウィーンから成田まで、12時間30分ほどかかりました。

その後、同路線は機材が大型4発のエアバスA340になり、やがて関西空港にも周航するようになりました。A340の導入に合わせて、長距離国際線の先駆者だったA310は売却され、現在は、オーストリア航空には在籍していません。結局、私も、1回しか搭乗する機会がありませんでした。
あのスクリーンに印刷されていたシュターツオパーのイラストは良い味を出していたのですが、後継機のA340やA330には、大型スクリーンがないこともあって、引き継がれませんでした。

そういえば、一時、全日空も自社機材でウィーンまで行っていたことがあります(最も、ウィーン経由、パリ行きでしたが)。ウィーン・シュヴェヒャート空港珍しいジャンボジェットだったので、注目を集めましたが、こちらは人気がなかったのか、短期間でパリ直行便に改められてしまいました。

この他、興味深かったのが、当時の両エアラインのウィーン・オフィスです。日本航空は今でもケルントナーシュトラーセに面したビルにオフィスがありますが、新規参入した全日空は、何とシュタットオパーの向かい、しかも道路の面した1階(日本式)にオフィスを設けました。しかし、その後、全日空は徐々にウィーン線から手を引き、オフィスの場所も変わってしまいました。

一方、オーストリア航空もスターアライアンス・メンバーとなり、競争力を確保するため、チロリアン航空やラウダ・エアを事実上吸収し、現在に至っています。また、機体の塗装も大きく変わり、昔の面影はありません。個人的には、日本線周航当時の初々しい雰囲気が好きだったのですが…

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October 05, 2004

ここは音楽鑑賞専用席?

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ウィーンシュターツオパーは、すばらしい歌劇場であることに皆さんも異論はないと思います。一見すると、第二次世界大戦後、約10年かけて復興させた劇場とは思えない見事な建物で、オーストリア人のオペラに賭ける情熱が伝わってきます。

第二次世界大戦末期1945年3月の空襲で、外壁とエントランスホールの70%を除いて、焼け落ちてしまったという悲しい歴史があります。復旧に際して、大きな議論になったのが、ボックス席(Logen)の扱いだったそうです。カール・ミヒャエル・フリットゥム著の「ウィーン国立歌劇場」によると、封建的なボックス席か、民主的な座席(階上席)にするかという点でした。政治家も巻き込んだ大論争の末、最終的にボックス席が残され、ほぼ被災前の形態になりました。

私が初めてウィーンシュターツオパーで見たオペラは「トスカ」でした。しかし、直前になってチケットを購入したため、良い席はすでに入手できず、ボックス席の前から3列目(しかも舞台に近い2.Rnag 3.Rechtsだったと思いますが、忘れました)でした。お値段も格安でした(日本円に換算すると950円。今は10ユーロとなっています)。「高い、高いと聞いていたウィーンシュターツオパーにしては、やけに安いなぁ」と思い指定のボックス席へ向かいました。席についてびっくり仰天。「えーっ、この席じゃ舞台は見えないじゃないか」。そうなのです。指定された席に座って前を見ると、反対側のボックス席は見えますが、どんなにがんばっても舞台は見えません。かろうじて前から2列目の席に乗り出すと、舞台の1/4が見える(しかも上の方だけ)…という状況でした。もちろん、上演中は、そんなことができるはずはありません。19時、定刻通り開演となりました。見事な演奏、そして、すばらしいアリア、しかし、「舞台の見えないオペラは、○○○○のないコーヒー」のようなもので、今ひとつピンときません。「よく舞台が見えない席を売るものだ」と内心、思ったものです。正直、立ち見の方がよほどまともです(どちらが楽かは別ですが)。かつてボックス席は「部屋単位」で発売していたのでしょう。映画などを見ると、「お付きを引き連れて、オペラ鑑賞」というシーンがありますね。従って、見えない席は、「お付きの方」が使っていたと考えるのが普通でしょう。このボックス席を、席単位で販売するようになったために生じた「珍事」かもしれません(「珍事」と捉えたのは私だけで、オーストリアでは当たり前の話かもしれませんが…)。
とは言ってもびっくりしたことは、座ってしまうと舞台が全く見えないものの、音響効果が抜群であることです。「さすがウィーンシュターツオパー、侮れないな」と思ったものです。しかし、さすがに舞台が見えない中では、集中力が持続できず、途中で、ウトウト…(ご出演の皆さん、申し訳ない)。

その後、案内のリーフレットを良く見ると、座席表に「斜線」が入っており、舞台が見えない旨の説明がありました。その後、何としてでも舞台が良く見える席を確保するようになったのは言うまでもありません。しかし、未だに「トスカ」はちゃんとした席で見ていないのが残念です。

日本の音楽ホールでは、「舞台の見えない席」は基本的に存在しません。もし、今の日本で、このような席が存在したら…きっとクレームの嵐になることでしょう。
私にとって、ほろ苦いウィーンシュターツオパー初体験でしたが、今となっては懐かしい思い出です。

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October 04, 2004

隣に列車が走っている!?

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以前は、オーストリアだけではなく、ドイツやスイスを鉄道で回っていました。便利なパス(ユーレールパス)が発売されていて、これを購入すると、その都度乗車券を購入する必要がなく、乗り降りも便利なので、もっぱらこれを愛用していました。
だいぶ前になりますが、インスブルックからクーフシュタインへ向かう途中の列車での出来事です。
そのときは、パスを持っていたので、追加料金の心配がないため、長距離特急列車に乗車しました。ご存じのようにオーストリア国鉄は、「原則」として、右側通行です。なぜ、「原則」なのか…これが、今回のお話と関係があるのです。

さて、インスブルックを出発するとき、外がよく見えるように、進行方向右側の座席を確保しました。ある駅を通過してから、ふと、窓の外を見ると線路が見えるではありませんか。「はて、引き込み線か何かかな?」と思っていると、列車の姿が…。普通列車が走っているではありませんか。そう、私の乗った特急列車は、本線上で普通列車を追い抜いていったのです。私の乗った特急列車は、次の駅から、再び、本来の線路(進行方向右側の線路)に戻っていました。

「本線上で、先行する普通列車を追い抜く」。日本では考えられないことなので、あっけにとられてしまいました。その後、日本に帰って詳しい方にお話を伺ったところ、ヨーロッパの国鉄では、「単線並列方式」という仕組みを採用しているとのことでした。
ちょっと専門的な話ですが、「単線並列方式」とは、線路が複線のように、二本あるのですが、実は厳密に上り線、下り線と分けるのではなく、「単線が二本並んでいる」方式のことです。つまり、一つの線路を、いつでも状況に応じて上り線にも、下り線にも使用できるシステムです。
もともと、一本の線路を閉鎖して保守をすることを前提としたシステムのようです。もっとも、列車の運行密度が日本のように高いと、一本の線路を閉鎖して保守をすると、ダイヤが大幅に乱れてしまいますが… なお、日本でも、山陽新幹線で当初夜行列車(東京―博多間)の運転が計画された際、単線並列方式が検討されたとのお話も伺いました。

その後も注意深く観察していると、一つの線路を閉鎖して、大々的な工事を行っている場面に出くわしました。また、信号についても、「上下線対応」になっているところもありました。

このシステムを使えば、ダイヤが乱れているとき、追い越し設備のある駅まで待たなくとも、本線上で先行する列車を追い抜くことができるため、便利なのかもしれません。

しかし、本線上で、列車が列車を追い抜くシーン、上空から見たら、さぞかし壮観でしょうね。
ところで、日本の某テレビ局の人気番組、「○○○○の泉」だったら、「走っている列車を走っている列車が追い抜くことがある」は、「何ヘー」でしょうかね。

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October 03, 2004

番外編:ウィーン国立歌劇場日本公演始まる

原則として、オーストリア旅行中の経験を綴ることを趣旨としていますが、今回は「番外編」としてウィーン国立歌劇場日本公演のことを書きつづりたいと思います。

今回の日本公演は、「小澤征爾氏の凱旋公演」という「ふれこみ」であったため、公演チケットの入手が前回(2000年)よりも極めて困難でした。私(家族も)も抽選制にもエントリーしましたが、「ドン・ジョヴァンニ」は全滅でした。
ウィーン在住の方にお話しすると、「値段も高いようだし、劇場もかなり違うでしょ。そんなに無理してみるほどの価値があるの?」というご意見をいただくことがありますが、出演者を見ると、「見逃せない公演」です。

「ドン・ジョヴァンニ」の場合、ドン・ジョヴァンニはトーマス・ハンプソン、騎士長がアイン・アンガー、ドンナ・アンナがエディタ・グルヴェローバ、ドン・オッターヴィオがミヒャエル・シャーデ、ツェルリーナがアンゲリカ・キルヒシュラーガーですから…。
さすがに、「お金持ちの国 日本」の面目躍如です。もちろん、主催の日本舞台芸術振興会の実力と「コネ」がものを言っているのは言うまでもありません(この団体にいらっしゃる佐々木氏の著書を拝見すると、大物歌手を招聘するために色々と工夫されていることがわかります)。
また、今回の「ドン・ジョヴァンニ」は、現在、ウィーン国立歌劇場で上演している演出ではない(旧演出)という点も、興味が引かれます。

実は、その後、某インターネットオークションでチケットを入手し、本日の「初演」を家族が見てきました。
さすがにエディタ・グルヴェローバのドンナ・アンナは見事で、声がしっかりと客席まで届いてくるのがわかったと言っていました。うぅーん、さすがグルヴェローヴァ。

ところが気になったのは、例の「拍手のフライング」です。今回もエディタ・グルヴェローバのアリアの後、すぐに拍手が起こっていたようです。当然、オーケストラの演奏はまだ続いているわけですから、これは指揮者の小澤征爾氏やウィーン国立歌劇場管弦楽団に失礼ではないでしょうか。
本来は、アリアを歌い終わり、演奏が静かエンディングを迎え、その余韻を1秒くらい楽しんでから、盛大な拍手をするのが「マナー」だと思うのですが…
プロ中のプロであるウィーン国立歌劇場の皆様から、日本の観客のレベルを…これ以上、書くのは無粋ですね。

ところで、最近、ウィーンでも「拍手のフライング」が多くなってきたようです。私の経験では、ウィーンシュターツオパーの方が多いようです。これも、観客に現地の方よりも外国人が多くなってきたためかもしれません。

先日、鑑賞したウィーンフォルクスオパーのガラコンサートでは、「拍手のフライング」がほとんどなく、大変見事な鑑賞姿勢だったことが、強く印象に残っています。

さて、日本では某有名新聞社が主催者に名を連ねていることもあり、「マスコミの評」は、「絶賛系」になることが十分予想されます。そこで、興味があるのが、「辛口」で知られるウィーンの新聞評です。とくに今回は、この時期、ウィーンでも結構良い出し物をやっています。層の厚さを感じるとともに、日本公演の布陣も含めて、ウィーン在住の皆様からの「現地評」に関する情報をお待ちしたいと思います。

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October 02, 2004

スピード違反にご注意を

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オーストリアへ行き始めた当初は、鉄道やバスなどの公共交通機関を使って旅行をしていました。
しかし、ある時、ザルツカンマーグートを回るのに公共交通機関では不便なので、レンタカーを借りてみました。幸い、親友のS氏と一緒だったので、ナビゲーターとドライバーを交互にやることで、海外ドライブにチャレンジしたのです。

オーストリアは、日本に比べると地方は交通量が少なく、道路標識も完備しているので、非常に運転しやすく、それ以来、「夏の地方巡りはレンタカー」が定番になってしまいました。

さて、昨年、旅行から帰ってしばらくするとオーストリアのレンタカー会社から、手紙が日本の自宅に届きました。“はて、何かな?”と思って封を切ると、スピード違反の反則金に関する明細書と通知が入っていました。なぜ明細書か。そう、レンタカー代金をクレジットカードで決済しているため、反則金そのものはレンタカー会社が立て替えて納付し、「反則金相当の金額をクレジットカードから引き落としました」という通知でした。しっかり、「代替え納付」の手数料も入っていましたが…

ただし、反則金の金額は「ヒミツ」…

スピード違反をした場所は、シュタイヤマルク州の田舎(片側1車線の道路)でした。日本のように、その場で警察官が停車を命じ、反則切符を切るのなら、わかったのですが、後から請求が着たのにはまいりました。しかし、日本でも最近は自動取り締まり機(オービス)が各地に普及していますから、外国人の方がレンタカーで走っていて、違反というケースも十分考えられます。日本の警察は、どうしているんでしょうね。

このほか、以前、イタリアのリゾート地では、自分の不注意で、駐車禁止の場所に車を止めてしまい、翌朝いったら車はあったものの、ワイパーに違反切符がついていたことがありました。こちらは、その場で所轄の交通警察署に出頭し、リラで反則金を払いました。イタリアのお巡りさんも、日本人が来るとは思わなかったらしく、びっくりしていました。

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October 01, 2004

ウィーンとお箸

最近はオーストリアでは、ウィーンを中心に日本料理のお店が増えてきましたね。ご存じの方も多いと思いますが、日本料理店は大きく二種類に分けることができます。一つはオーストリアを訪ねる日本人や、現地に滞在する方を対象にしたお店。そして、もう一つはオーストリア人をはじめとする現地の方(含む外国の方)を対象としたお店です。
一般的には全社のお店は、お値段も高めで、「お寿司」「天ぷら」など、メニューも日本人が喜びそうな内容になっています(私は、変なこだわりがあって、ごく最近までオーストリアでは日本料理店を利用したことがありませんでした。先日、現地滞在の方をお知り合いになり、ついに「この禁」を破りました)。

最近は、ウィーンでもヘルシーな日本食がブームなのでしょうか、オーストリア人を対象としたお店も増えてきました(Aではじまる店名のチェーンも増えていますね。ウィーンに行った方は、これだけで、店名がピンとくる方も多いでしょう)。また、ナッシュマルクトにも、日本系のお料理を出すお店もあります。実際に利用しなくとも、メニューやお値段を見ているだけでも楽しいものです。さらに、最近は、ウィーンのスーパーの総菜売り場には、お寿司のセットなどが並ぶようになりました。私が初めてウィーンを訪れたときには、考えられなかったことです。
ところで、夏期はテラス席で、お食事をしているオーストリア人を多数見かけますが、皆さん、見事にお箸を使いこなしています。中には、最近の日本人よりも、上手な方も多いような…

私の見る範囲では、フォークなどを使って召し上がっている方は、見たことがありません。ある意味、お箸で召し上がるのが、また雰囲気があるのでしょうね(私たちが、ビアホールで、ビールを飲むとき、ビアマグを使うと、雰囲気が出るのと同じ心理でしょうか)。
この前訪問したときも、テラス席でおいしそうにお寿司やお弁当などを、お箸を上手に使って召し上がっているオーストリア人を見かけました。そのとき、ふと思ったのが…「あの人たちは、いつ、どうやってお箸の使い方をマスターしたのだろうか」という、つまらない疑問です。残念ながら、この疑問をまだ解消するネタは手に入れておりません。
いずれ、誰かにたずねてみたいと思っています。

余談ですが、「鉄板焼き」がなぜ、日本料理に含まれているのか、疑問を感じることがあります。夏の風物詩、ラートハウスプラッツの「フィルムフェスティバル」では、各国の屋台が出店しますが、「日の丸」を掲げた屋台のお料理は…鉄板焼きでした。

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