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June 06, 2005

誕生日を迎えた「陽気な未亡人」

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6月5日、新演出の「メリーウィドウ」(独名は陽気な未亡人)の初演がフォルクスオパーで行われました。
昨年の6月27日に旧演出最後の「メリーウィドウ」が上演されてから、約1年間、フォルクスオパーでは上演されませんでした。私が、同劇場で初めて見たオペレッタが「メリーウィドウ」だっただけに、ことのほか、思い入れがあります。何しろ、これで「はまった」訳ですから。以下、実際に私が見ての私見です。
指揮のレオポルド・ハーガーは気合いが入っていたようで、お芝居の場面でも座ることはありませんでした。これは、すごい。プログラムを見ると、フォルクスオパー初出演の歌手が大多数です。つまり、演出の変更にあわせて、メンバーの大々的な入れ替えを行ったことになります。第1幕の前奏曲は従来通りですが、舞台装置が案の定、かなり簡素化されています。これも予算の関係なのでしょか。

○「歌はうまいが、芝居は今ひとつ」
出演陣だが、全体的に言って「歌はうまいが、芝居は今ひとつ」という印象を受けました。演技力で、観客を巻き込めるだけの力が弱い感じがしたのです。ただし、主要な歌手の歌唱力は水準に達しており、歌唱力を中心に人選を進めた感じがします。ダニロ役のモーテン・フランク・ラールセン(Morten Frank Larsen)だが、従来のダニロが持つ退廃的な雰囲気はなく、陽気なプレーボーイのようなイメージでした。どちらかというとカミーュ役の方が似合うかもしれません。ハンナ役のノエミ・ナーデルマン(Nöemi Nadelmann)だが、雰囲気はぴったりでした。また、ヴェレンシェンヌ役のアドリネー・シモニアンも、雰囲気はぴったりでした。

○物語を短縮したため、シーンの意味づけがはっきりしなくなった
たとえば、第1幕でダニロがマキシムから帰ってくる場面、「ほとんど寝ていないから寝かしてくれ」と言う話になるのだが、その当たりがあっさり仕上げられていました。旧演出では、ここでダニロとニグシュの掛け合いが、結構おもしろかったところです。また、第2幕で、「あずまや」に居るヴェレンシェンヌとカミーュを、ゼータ男爵が発見してしまう場面ですが、本来、その前にゼータ、ダニロ、ニェグスの3人で秘密会談を「あずまや」で開くことを決める場面があります。しかし、このシーンが、ここも省略されているため、不自然な感じがしました。

○登場人物の位置づけが単純になってしまった
オペレッタの場合、登場人物の位置づけが重要で、通常、「笑いをとる役」が必ず入っています。(「こうもり」のフロッシュが代表例でしょか)。「メリーウィドウ」の場合、一般的にはニェグスが、その役を引き受けることが多いようです(このほかにも、オルガとその旦那も笑わせる場面があります)。しかし、新演出では、ニェグスは「まともな執事」(秘書みたいな感じ)になってしまいました。正直、「えっ、これがニェグシュ?」という「とまどい」を感じました。したがって、ニェグスのお芝居で笑わせるシーンは、ほとんどなくなっています。これも、舞台が盛り上がらない要因かもしれません。

○主人公の「いじらしいまでの心理的駆け引き」があっさりしてしまった
個人的には「メリーウィドウ」が人気のある要因に、観客には見え見えながら、なかなか自分の気持ちに正直になれない主人公達にあると思います。ここにオペレッタらしい「いじらしいまでの心理的駆け引き」があるのです。しかし、今回の新演出では、このような「心理的駆け引き」に関する描写が、あっさりとしてしまいました。たとえば、第1幕でマキシムから大使館に戻り寝ているダニロを見つけたハンナが、ダニロをからかいながら起こすシーンがある。また、ダニロが起こされた後、ハンナと意地の張り合い的なやりとりがありますが、このあたりもあっさりしてしまい、物足りなさを感じました。

○観客席で歌う場面があるが、あまり効果的ではない
途中、2回ほど、観客席に歌手が出てきて歌う場面があります(1幕の「ダニロ登場の場面」と「3幕の冒頭、ゼータ男爵が歌う場面。この歌は今までありませんでした」)。最近得意の演出のようです。しかし、観客を驚かせる効果はあるものの、カーテンコールならばいざ知らず、あまり効果がないように感じました。特に歌が後ろに抜けてしまうので、歌を味わうことができません。

○懲りすぎている「ヴァリアの歌」の演出
正直、個人的に、今回一番がっかりしたのは、ハンナの聴かせどころである「ヴァリアの歌」の演出が最悪だったことです。本来、第2幕はハンナが、遠い故郷の雰囲気を味わってもらおうと主催したガーデンパーティという想定です。そこで、主催者であるハンナが、今の自分の気持ちを重ねて歌うのが「ヴァリアの歌」だと理解しています(表向きは、故郷に古くから伝わる歌を披露する形だったと思います)。従って、観客は歌をしみじみと鑑賞しながら、ハンナの心模様を感じ取る…という構図でした(ここが、いいんですね)。しかし、新演出では、「ヴァリアの歌」の世界、そのものを再現してしまい、観客が各自イメージをふくらませるという場を奪ってしまいました。具体的には、妙な「着ぐるみ」を着た「森の動物」が舞台を動き回り、「森の妖精」のバレーが歌の最中に繰り広げられます(男女のペア)。さらに、幻想的な雰囲気を醸し出そうとしているのか、一番前に半透明のスクリーンをおろしているため、歌手がよく見えません。最悪なのは、ハンナを空中ブランコ(ご丁寧に機械仕掛けで上下する)に乗せて、途中まで引き上げて歌うため、今ひとつ歌に集中できない感じがしました。ノエミ・ナーデルマンもお気の毒…
ここは、「第2幕、最大の聴かせどころ」なだけに、歌一本で勝負してほしかったところです。通常は、アンコールが必ず行われるにもかかわらず、スクリーンがかかっていることもあり、あっさり一回で終わってしまいました。私の正直な気持ちは、「良い歌は、余計な演出をせず、しっかりと聴かせてくれ」。

○踊りのシーンが少なくなり、楽しさが半減した
旧演出では、第2幕では、「ヴァリアの歌」に続いて、故郷を彷彿させるダンスが、バレー団により披露されていました。オペレッタは、「歌、お芝居、踊り」の三位一体で成り立つだけに、ダンスやバレーも重要な要素であると思っています。旧演出で、演じられていたダンスは「ハンガリー的で、どうも…」という向きもあったようです。しかし、想定している「架空の国」がモンテネグロあたりなので、東欧的な踊りは消して違和感がないと感じていました。つまり、パリの雰囲気とは正反対の踊りという意味です。今回、この踊りが完全に省略されてしまい、第2幕にメリハリがなくなってしまった感じがします。
また、ここは今まで、パーティーの趣旨から、ほぼ全員が民族衣装で登場し、変化があったのですが、普通の服装になってしまった点も、残念です(ご予算の関係でしょうか)。

○今ひとつ盛り上がらなかった「女、女、女のマーチ」
第2幕で、もう一つ盛り上がる箇所は男性歌手による「女、女、女のマーチ」です。ここは合唱ですが、途中、一人一人がパートを担当して、女性に対する考え方をアピールする演出が一般的です。今回、「女神様」みたいな女性2人が登場して、その前で歌う展開になっていました。また、前述のニェグスが「道化役」ではなくなってしまったこともあり、「楽しい歌」の雰囲気が弱まってしまいました。また、旧演出では、2回演奏され、3回目は、冒頭のフレーズがちょっと演奏されたところで「もう疲れた、だめ」という台詞が入って、皆舞台の袖に引き上げるという、観客の心をつかむ演出でした。しかし、今回は、あっさりしていて、観客も「あれっ」という間に終わってしまいました。

○消えたカンカン・ソリスト
旧演出では、第3幕の冒頭、専門のカンカン・ソリスト(バレリーナによる)のすばらしい妙技が観客を魅了していましたが、新演出では、それがなくなってしまいました。このカンカン・ソリストの演技が、舞台を華やいだ雰囲気にしていただけに残念です。また、旧演出では、毎回、盛大な拍手がわき上がり、次に続き、「グリゼッティンの歌」、「天国と地獄」によるカンカンへの前奏曲となっていただけに、寂しく感じたのは私だけでしょか。

○消えた「天国と地獄」
オリジナルの台本では、もちろん第3幕では、「天国と地獄」は入っていません。しかし、最近では「定番」になっているようです。「天国と地獄」の音楽に合わせて盛大に披露させるカンカンが、第3幕の「お楽しみ」でもあります。旧演出では、観客も心得ていて、この段階で手拍子が加わり、オペレッタらしい舞台と観客席の一体感が醸し出されていました。今回、カンカンの時間は長め目にとっている点は良いのですが、音楽が変わってしまい(オリジナルなのかどうかは、知識が乏しくて不明)、舞台上の「観客」は盛り上がっているものの、客席はシーンとしている妙な光景が繰り広げらました。まだ、観客が演出になれていないことが原因かもしれませんが、どうなのでしょうか?

○「唇は語らずとも」の時に人が多すぎる
今までは、第3幕でカンカンが終わると、いったん舞台上から人が消え、ハンナとダニロの2人だけになります。そこで、どなたもご存じの「唇は語らずとも」が歌われ、「2人の世界」が繰り広げられる…その後、皆が集まってくる点手という展開でした。今回は、観客、踊り子など、多数の人がいる中で、歌われるため、今ひとつ雰囲気が高まらない展開でした。

お開きの後、結構、ブラヴァも出ていて、盛り上がったように見えました。確かに、歌手陣の歌は総じて良かったと思います。ただし、私としては、「奇をてらった演出」のように感じられました。
舞台装置は、予算の関係もあり、かつ今の時代なので抽象的なものは仕方がないと思います。しかし、「おとなの恋の物語」という位置づけを考えると、歌をじっくり聴かせる場面があっても良い感じがしたプルミエでした。

「偉大なるマンネリ」という言葉があります。同じ演目を、長年、高い水準で上演し続けることなのですが、実は、これは演出を変える以上に難しいとのことです。今回の新演出は、色々な意味で話題になるでしょう。
なお、後日、新聞評などの情報が入った段階で、「第2弾」をお伝えしましょう。


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