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September 27, 2007

フォルクスオパーの「地獄のオルフェウス」

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オペレッタファンの皆さん、お待たせしました。2007/2008シーズンの注目公演、フォルクスオパーの浅草オペラシリーズ第三弾、「地獄のオルフェウス」(天国と地獄)を、観ることができましたので、その模様を紹介しましょう。今回は、諸般の事情から、プルミエを観ることができませんでした。

新ディレクターになって初めてのフォルクスオパー鑑賞だったので、色々な意味で楽しみでした。また、劇場のエントランスにも写真のような新しい電飾が付けられていました。

「天国と地獄」はオペレッタを知らない人でも、日本で一番有名な曲と言っても良いでしょう。何しろ、小学校の運動会から刷り込まれているのですから…

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オッフェンバックのオリジナルは、古代ギリシャをベースにしていますが、実態は倦怠期に陥った中年夫婦のお話(実際は、男女の色事に関するドロドロした話)という、オペレッタらしい内容です。何しろ、オリジナルの演出を知らないので、比較できないが、今回の演出は「完全な現代劇」です。そもそも、天国も地獄も、想像の産物ですから、現代劇にしても別に問題はないでしょう。実際、昔の公演でも、女性がセミヌードになって登場したこともあるようです。

出演者は、当然、ダブルキャストです。プリュント役がChristian Baumgärtel/Karl-Michael Ebner、ジュピター役がCarlo Hartmann/Kurt Schreibmayer(メリーウィドウのダニロ役などで何回か観ている歌手で、私のお気に入り)、オルフェウス役がSebastian Reinthaller/Tomas Sigwald、ジョン・シュティックス(プリュントの使用人)役がPerter Matic/Robert Meyer(おっと、ディレクターご本人が乱入!)、メルクール役がWolfgang Gratschmarier/Gernot Kranner、オルフェウスの妻ウリデイース役がJennifer Bird/Barbara Payha、ジュピターの妻ジュノー役がHelga Papouschek(シングルキャスト)、ダイアナ役がMartina Dorak(私の好きな歌手の一人)/Jhhanna Arrouas、キューピット役がGerald/Pichowetz/Gerald Pichowetz(本来はソプラノの女性歌手が担当するが、今回は男性。役者さんのようです)、ミネルヴァ役がEva Maria Riedl/Ulrike Pichler-Steffen、マーキュリー役がStefan Tanzer/Heinz Fitzl、ダイアナ役がJohanna Arrouas、バッカス役がRegula Rosin/Andrea Bönig(コミック役なので、歌手以外が担当することが多いそうです)、世論(実際は世論の代弁者)役がErni Mangold(シングルキャスト、本来はソプラノ歌手が担当しますが、この人は役者さん)でした。

従来の新演出では、新人を大量に投入する傾向がありましたが、今回は、要所要所にベテランを配置したキャスティングです。また、注目されるのは、新ディレクターがRobert Meyer氏が劇場出身であるところからか、いわゆる「歌手」ではなく、「役者」が結構投入されていることです。

「地獄のオルフェウス」は、神様役として個性的な歌役者が多く必要なのですが、今回は、その一部を役者で対応したようです。しかし、実際、第1幕第2場などでは、歌う場面が少なく、お芝居の部分が多いことを考えると、的を射たキャスティングのような気がします。なお、指揮はFlorian Ludwigでした。

なお、私が見たのはセカンド・クルー(つまり出演者が後者の方)でした(プルミエはファースト・クルー、ただしジョン・スティックスはRobert Meyer)。ただし、ジョン・シュティックスだけは、Perter Maticでした。

「序曲・プロローグ」は、地獄の場面です。のっけから、地獄の住人の扮装をしたバレエ団が大挙して登場しました。通常、世論が出てくるらしいのですが、今回は出てこなかったようです。

地獄から第1幕第1場へ移動する際は、奈落を上手に使い、短時間で場面転換が実現していました。プロローグの最後は、ご存じ、「天国と地獄」のギャロップで締め括ります。場面転換の際、地獄の炎が上盛大にがり、ちょっとびっくり…

第1幕第1場は、本来、神話時代のギリシャ・テーバイ郊外の野原ですが、本公演では「現代の集合住宅」になっていました。

さらに、オリジナルでは、アノステ(実はプリュント)は羊飼いという想定ですが、現代の都会に羊飼いは居ませんので、革ジャンを着た「かっこいいイケメンのお兄さん」といった出で立ちで登場しました。

自分の音楽学校に通う女性生徒に目がないオルフェウスと、アノステと浮気中のウリデイースが、夫婦げんかをする場面や、ウリデイースをバイオリン音楽で責め立てるシーンは、オリジナルと同じ進行です。ただし、本来はオルフェウス本人がバイオリンを弾き、ウリデイースを音楽責めにするのですが、今回の演出ではオルフェウスの教え子(女性)が、バイオリンを弾くようになっていました(昔のフォルクスオパー版では、オルフェウス本人がバイオリンを弾いていたようです)。

また、本来は、ウリデイースは毒蛇に噛まれて倒れることになっていますが、今回の演出では、アノステが大麻か何かをウリデイースに吸わせ、意識がもうろうとなったところで、怪しげなお酒を飲ませて、ノックアウトするという形になっていました。今の世相を反映した、女性の落とし方なのでしょうかね。

オルフェウスが、妻がいなくなったと喜ぶシーンは、はじめは泣き顔で歌い出して、後半は笑顔に転換するだけに見所です。しかし、世論に、「後世のためにもジュピター大神ジュピテールに頼んで妻を黄泉の国から取り戻しなさい」と命じられて、渋々天国へと向かうことになります。

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世論はErni Mangoldが演じたが、もともと役者さんだけあって、このあたりの演技力は抜群です。なお、ちょっとだけ、歌う場面があるのですが、これは観てのお楽しみ。

ここで、暗転により第2場へ移ります。第2場は「天上のオリンポス」であるが、ここはオリジナル通りです。非常に短時間で舞台転換をするのですが、明るい天上を巧みに表現している(ただし、かなり抽象的な舞台装置ですが)。今風なところは、天上へ地上からエレベーターが通じているところでしょうか(実は地獄にもエレベーターが通じています)。

朝帰りのベニュスとキューピット(男性です。この方も役者らしい)が眠っていますが、皆さん、なかなか特徴的な衣装を身につけています。神々は、男女とも前に金属製の鎧のようなものをつけて、地獄の住人と差別化を図っているようです。

ダイアナが、恋人のアクテオンがいなくなってしまったと訴える場面では、アリア「ダイアナが野原に降りてみると」が歌われます。ただし、悲しいにしては愉快そうに歌う彼女に、ジュピターは、処女のシンボルであるダイアナが情事にふけられては神々の体面が傷つくと、アクテオンを動物に変えてしまったと説教をします。
さらに、ジュピターとジュノーも夫婦仲が悪いという設定になっており、天上もてんやわんやといった感じで話が進みます。

天上では、ウリデイースを誘拐したのは、ジュピターだという噂が流れていますが、調査から帰ったマーキュリーが、プリュントが犯人だと報告し、その後、プリュントがお付きをつれて天上にエレベーターに乗ってやってきます(このエレベーターが重要なセット)。プリュントはシャンペンを手みやげに持ってくるのですが、天上の神様もシャンペンには目がないようで、銘柄を見てはしゃいでいました(キューピットが、ドンペリとか言ってはしゃいでいました)。なお、シャンペンは実際に入っているようで、途中で、神様連中がシャンペンで乾杯するシーンもありました。

ジュピターが、お付きの者をコントロールしていると言って、ジュノンを安心させようとするのですが、逆に神々の反乱を招き、皆から「プレーボーイ」呼ばわりされますが、この場面のでは「お堅いアルクメールを惑わすために」が歌われ、なかなか楽しいシーンになっていました。また、ジュピターが怒って雷を呼ぶシーンがあるが、ここで手に持った鏃から火花がでるようになっています(鏃が稲妻だからでしょう)。

その後、世論と共にオルフェウスが天上にやってきます。オルフェウスは、グルックのアノアをもじり、「妻を返してほしい」と歌いますが、プリュトンは断固拒否。しかし、結局、プリュントはウリデイースを返すことに同意しますが、それが本当に行われるかを検証するために、神々が全員、エレベーターの乗り、地獄へ到着したところで、第1幕がお開きとなります。

しかし、地獄の歓迎に神々も、まんざらでもないというところが、オペレッタらしいところです。第2場は、お芝居の部分が多いのですが、なかなかテンポの良い展開で観ていて飽きることはありません。
第2幕第1場は、「地獄のプリュントの部屋」(というかウリデイースの部屋になっている)です。ウリディースは、来たばかりだというのに、プリュントに相手にされず、飽き飽きしています。プリュントの使用人ジョン・スティックスが、有名な「私がアルカディアの王子だった頃」を歌って彼女を口説くのですが、一発で袖にされてしまいます。ちなみに、ウリデイースは、黒いランジェリー姿で熱演しています。

地獄へやってきたジュピターはプリュントに、ウリデイースに会わせるよう要求すするのですが、拒否され、逆に宴会場へ案内されます。この宴会場では、一緒に地獄に来た神々が盛り上がっており、何となく派手なエンディングが予想されま。本来、冷静なはずの世論も、地獄の住人の魅力に負けて、本性があらわになってきます(世間体を忘れ、快楽に邁進してしまいます)。もちろん、オルフェウスは、地獄の女性にぞっこん。

ジュピターはハエに化けて、ウリデイースの部屋に忍び込み、彼女に一目惚れするのですが、ハエの扮装が、笑えます。ジュピターは身分を明かして、オリンポスヘと誘いますが、地獄に飽きてしまったウリデイースは、即座にOK。ここの二重唱は、笑えるシーンの連続です。実は、この場面を、隣の部屋からジュノーがしっかり見ており、嫉妬心が燃え上がるという話になっています。結局、ウリデイースをバッカスの巫女に変装させて、地獄を脱出する算段をしたところで、第1場が終わります。

第2場は、「地獄の大宴会場」です。天上の神様も地獄の住人も入り乱れて、飲めや歌えの大酒宴となり、バレエ団のモダンバレエも加わり、おなじみの「天国と地獄」が盛大に演奏されます。ジュピターと「バッカスの巫女姿」に変装したウリディースが逃げようとすると、プリュトンに見つかつてしまいます。ここで、「バッカスの巫女姿」に変装した女性が、もう一人登場し、宴会場は大混乱となります。実は、最初につれてきた「バッカスの巫女姿」の女性こそ、ジュピターの妻ジュピテールだった…という落ちになっています。動揺するジュピターが、これまた見物です。

そこへ、オルフェウスが、世論と共に登場します。天上にウリデイースを連れて行きたいジュピターですが、仕方なくオルフェウスに「地上に戻るまでは決してウリディースの方を振り向いてはならない」との条件で、妻を返すことにします(ウリデイースに飽きているオルフェウスの行いを見ていると、どうせ約束は破るだろうと踏んでいる訳です)。しかし、オルフェウスは、なかなか振り向きません。そこで、業を煮やしたジュピターは雷を起こし、オルフェウスを強制的に振り向かせてしまいます。プリュントは「ウリディースは黄泉の国に残る」と主張しますが、ジュピターが「彼女をバッカスの巫女にする」と宣言。また、このあたりになると、本来、世間体の代表である世論が、ジョン・スティックスに惚れてしまい、追いかけ回すというサイドストーリーも盛り込まれています(やはり世間体は、欲望には勝てないという本質を突いたお話ですね)。

最後は、地獄で天上の神々、地獄の住人がそろって大合唱の後、「天国と地獄」のギャロップが盛大に演奏され、フィナーレを迎える展開です。とにかく、浮気と男女の恋物語が基本なので、人間関係の複雑なこと…
私が見たのはセカンド・クルーの方でしたが、全体的に歌唱力のある歌手が多く、歌も結構聴かせる舞台になっていました。

個人的な感想としては、ジュピター役がKurt Schreibmayerが良い味を出していました。ジュピターは大神なので、太っている方がイメージに合うのかもしれませんが、軽妙な演技は役にぴったりでした。また、ウリデイース役のBarbara Payhaは、歌がうまい上に、演技力もあり、舞台を盛り上げていました。

プリュント役のKarl-Michael Ebnerは、派手な演出で目立っていましたが、歌は今一歩だったような気がします。もっとも聴かせる場面が少ないという面はありますが。
タイトルロールのオルフェウスは、以外と出番が少なく目立たないのですが、Tomas Sigwaldは女性に目がない男性を見事に演じていました。

もともと、架空の場所でのお話ですから、現代劇になっていても、それなりに楽しめる舞台になっていました。また、かなりきわどい演出もありますが、さすがフォルクスオパー、下品になる直前で、しっかりとセーブしていました。このあたりの感覚が、ウィーンなのでしょうね。結構、地元のお客様にも受けていたようで、フォルクスオパーにしては珍しく花束が投げ込まれていました。

舞台装置は見事とは言えませんが、日本では、まず許可されない火を大胆に使った演出には、度肝を抜かれます(実際、炎の熱さが客席まで伝わってきました)。

また、この手の近代演出オペレッタの場合、ご年配のお客様が帰ってしまうことがあるのですが、今回は大丈夫だったようです。

なお、後日、キューピット役の俳優さんがORFに出演しておりました。写真は、そのときの模様です。
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Comments

先般「地獄のオルフェウス」について詳しいレポートをお願いしますなんて申し上げましたが、これほど詳しくお知らせいただけるとは思ってもいませんでした。一回ご覧になっただけでのレポートであれば尚更感心せざるを得ませんが、余り入れ込んでご覧になるとかえって楽しむゆとりがなくなるのではないかと余計な心配をしてしまいます。オペレッタはもっと気楽に楽しみましょうよ。

舞台の「地獄のオルフェウス」は以前バーデン市立劇場の来日公演で観たことがありますが、レベルの高いオーソドックスな演出でとても楽しめました。映像では観たことありません。商品ソフトがあれば教えていただきたいです。以前からオッフェンバックの明快で耽美的そして一寸毒のある音楽にはまっている私です。
今回のフォルクスオーパー版は全体としては良く出来ているようですが、当節流行の時代の置き換えが私的には気に入らないところ。神代の昔からみんなのやってることは相変わらず・・・それでいいのではないでしょうか。現代の視点から神代の話を取り上げるのは夢が無くその必然性は特に無いような気がします。
新奇な演出(舞台装置も含めて)がこのところよく話題となりますが、それで気を散らされずに音楽を楽しめるのでしょうか?大半の人がこの流れを受け入れているのでしょうか?「新しいものはすぐ古くなるが、本当に良いものはいつまでも良い」と言うのが私の持論です。

ところで12月には同じくオッフェンバックの「ホフマン物語」がプレミエですね。かなり以前フォルクスオーパーで観た「ホフマン物語」は正統的で良い公演でした。数年前のシュターツオーパーのものは装置が前衛的(ダリ風)で、これがミスマッチとならず結構楽しめました。今はどうなっているでしょうか。


Posted by: Unicorn(ユニコーン) | September 29, 2007 16:08

ユニコーンさん、コメントありがとうございます。

ご心配頂き、感謝。私は語学が堪能ではないため、ある程度、話の筋を頭に入れておかないと、楽しめないものですから、初めて観るオペレッタの場合、事前に調べております。ですから、公演中は、結構楽しんでいます(ただ、終わってから記憶が新しいうちに記録をまとめるのが、多少大変かな)。

今回、音楽に関しては、さすがフォルクスオパーという感じで、見事でした。ただし、火を多用したのがどうかという気がします(気が散るので)。

なお、今回の新演出ですが、地元メディアでも好意的に取り上げられていました。また、私が観た時のお客様の反応も上々だったので、比較的成功している部類だと思っています。

ただ、時代設定がはっきりしている演目で、これをやってしまうと、ご年配の方は、皆さん帰ってしまいます(前の「マリッツア」が、これで大失敗)。

私も、ユニコーンさんと同じく「新しいものはすぐ古くなるが、本当に良いものはいつまでも良い」という考え方です。その点、「メリーウィドウ」は、正直、前の演出の方が好きでした。

ただし、演出に関しては、たまにやってくる私のような人間と、観ようと思えば、毎日でも来ることができる地元の皆様とは感覚が違うと思います。


ところで、ユニコーンさんは、フォルクスオパーの「椿姫」のような演出はいかがですか?

Posted by: オペレッタにはまっている男 | September 29, 2007 17:44

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