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January 03, 2009

日本就航20周年 オーストリア航空の思い出

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2009年は「オーストリア航空の東京線開設20周年」にあたります。そこで、皆様からコメントが寄せられたので、調子に乗って「続き」です happy01 。

下の写真は、1989年夏期ダイヤのオーストリア航空時刻表です。懐かしいですねぇ(物持ちが良いという突っ込みはなしで…)。OSNHSU555および556(すごい便名ですが)便は、1989年当時、週2便運行でした。運行ダイヤは、OSNHSU555便はウィーンを11時25分に出発し、成田には翌日の8時00分到着(火曜と日曜発)、OSNHSU556便は成田を9時50分に出発し、ウィーンには同日の19時35分到着(月曜と水曜発)となっていました。週2便ですから、余り使い勝手は良くありませんでした。

コメントをいただいたように、確かにアエロフロートの乗務員が「運行支援のため、乗務していた」というのはあり得る話ですね。

当時、すでにオーストリア航空は、ウィーン-モスクワ線を、デイリーで就航させていましたから、この区間の運行については、問題は少なかったかと思います(機種はDC-9シリーズでした)。

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で、問題となるのは、やはり「未知の領域」であるモスクワ-東京間(フライトタイム9時間45分)になりますね。そこで、運行当初は、オブザーバーのような位置づけでアエロフロートの運行乗務員が支援にあたったのでしょう。ちなみに airplane A310の運行乗務員は機長と副操縦士の2人ですから、「第三の男」ということになりますね。

ころで、現在、ワイドボディ機の多くはツーマンクルー仕様になっているため、日本-欧州線のような長距離路線でも、原則として、運行乗務員は3名です(機長二人、副操縦士一人、これを業界ではマルチ編成と言うそうです。これに対して、完全に二組乗務させる体制をフル編成と言うそうです)。そのうち2人が常時、操縦にあたり、1人が交代で休憩を取るそうです。

さて、それでは、当時のOSNHSU555便・556便の運行乗務員は何名だったのか…残念ながらFeriは知りません。ウィーン-モスクワ間は2名で大丈夫だと思うのですが、問題は、その乗務員がモスクワ-東京間も引き続き乗務したかということです。微妙な乗務時間なのですよね。仮にモスクワで交代となると、デイリー運行ではないので、モスクワでのステイが長くなってしまいます(その場合、デッドヘッドと言って、便乗で、乗務せずに移動していた可能性もあります)。もし、通しで乗務していた場合は、当然、運行乗務員3名のマルチ編成だったことでしょう。このあたり、実際、どのような構成だったのか、興味深いところです。

ところで、A310-300は、A310の長距離型で、最大航続距離9600kmほどあり、同社では北米線(就航地はニューヨーク)と日本線の運行用として、最終的に4機のA310-324を導入しています(1988年、1989年、1991年、1992年に各1機を受領しています)。

やはりニューヨーク線の方が、期待が大きかったようで、1989年当時、週6日運行されていました。ところで、北米線と日本線開設の運行が始まった1989年当時、使用機材のA310-324はわずかに2機。正に「予備機ゼロ」という自転車操業状態だったのです。そのため、当時の時刻表を見ると、恐らくOS502便(ニューヨーク発、ウィーン行き)としてウィーンに到着した機材が、その日の午後、OS501便ですぐにニューヨークへ出発していた日もありそうです。

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1987年2月のオーストリア航空機内誌「flighiguide」が、たまたま手元に残っていました。これによると、当時のフリートはDC-9シリーズで構成されていたことがわかります。Fokker50は国内専用(オーストリアン・エア・サービス)です。北米線・日本線向けにオーダーしているA310が掲載されているのがご愛敬といったところでしょうか。

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なお、ルートマップを見ると、当時のオーストリア航空はヨーロッパ内と北アフリカ、中東にしか路線を開設していなかったことがわかりました。これらの路線構成からは、ビジネスのお客さまを中心に考えていたのでしょう。

なお、これはうわさ話ですが、当初、OSは日本のJ社に共同運行をしないかと声をかけたというのです。何と言っても、自社便が就航していないにもかかわらず、J社はウィーンに支店を持っているくらいですからね。ところが、当時、ナショナルフラッグキャリアであったJ社は、基本的に共同運行をせず、自社運行にこだわっていました(一節には、ウィーン線は需要が少ないから乗り気ではなかったという話もあります)。そこで、やむなく?OSはN社に声をかけました。当時、A社は国際線の定期便に進出したばかりで、自社機材による運行はごくわずか。少しでも、就航地を増やしたかったため、OSの話に乗り、共同運行が実現したというものです(実際、当時のA社の時刻表を見ると、OS以外にもスカンジナビア航空、サベナベルギー航空などとも共同運行を行っていたことがわかります)。あくまでもうわさ話ですから、真偽のほどはわかりません。今のように国際的なアライアンスができる前の「昔話」です。

一方、以前、当ブログでもご紹介したラウダ航空ですが、こちらはオーストリア航空とは、かなり性格が異なっていました。有名なF1レーサーであるニキ・ラウダ氏が、1979年4月に創業したラウダ航空は、1985年にチャーター便で運航を開始しました。

1987年には定期航空路を開設しましたが、長距離路線の就航地は主にアジア・オセアニアを中心としてリゾート地でした。何しろ1997年当時、北米線の就航地はマイアミだけでしたからね。その後、経営難に陥り、オーストリア航空に経営権が譲渡され、実質的には消滅してしまいました。現在、ラウダ航空は、オーストリア航空傘下のチャーター便会社という位置づけになっているようです。

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経営権をオーストリア航空に譲渡したニキ・ラウダ氏は、航空業界に再参入するために2003年、ドイツのアエロ・ロイド航空のオーストリア子会社であるアエロ・ロイド・オーストリア(Aero Lloyd Austria)を買収し、自らのファーストネームをつけた「ニキ航空」(NIKI Luftfahrt GmbH)を設立しています。こちらは、「低価格かつ高品質のサービス」を売りに、現在もがんばっているようですね(何しろ、御大自らが広告塔ですから bleah )。

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オーストリアは、基本的に観光を中心とした国なので、長距離路線を利用する外国からのお客さまは観光客が中心です(もちろん、ビジネスマンもゼロではありませんが)。そうなると、どうしても団体などが多くなり、収益性が悪化しやすいような気もします。その点、ルフトハンザなどは、ビジネス主体のお客さまが多いので、収益性が高いのかもしれません。

日系の航空会社が、格安運賃で利用するお客さまが多い海外のリゾート路線から相次いで撤退していることと、一脈通じるものがあるような気がします。

さて、この記事をまとめている時、オーストリア航空さんからメールが来ました。東京線就航20周年を記念して、2009年1月1日から3月31日までの期間、東京・ウィーン線で“東京・ウィーン線就航20周年記念ブルマイルキャンペーン”を実施するそうです。

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Comments

こんばんは!
そして、あけましておめでとうございます。

それにしてもFeriさんの博学多才には、ただ ただ・・ただ頭が下がります。成程!そうだったのか、そんな事があったんだ、話を聞けば聞くほどに
興味津々で眼が点になってきそうです。

余談ですが、A310のNRT-SVO間の運行乗務員は確か3名編成だったと記憶しています、それにアェロフロートのナビゲーターで計4名。
あの狭いコクピットの中で屈強の大男4人・・想像するだに(汗)。

ラウダの赤いキャップが心に沁みます、懐かしい~。

Posted by: | January 03, 2009 at 07:08 PM

コメント、ありがとうございます。

まだまだ面白い昔話もあるので、おいおいご紹介したいと思います。しかし、航空会社も合理化などでつまらなくなりましたね。

Posted by: Feri | January 03, 2009 at 11:22 PM

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