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August 14, 2009

シュタットバーンの跡を訪ねて

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今日は「ウィーンに残る建築遺産のお話」です。

現在、ウィーン市内の鉄道は、路面電車地下鉄が主体で、郊外から乗り入れているSバーン(S-Bahn)がネットワークの一翼を担っています。ただ、Sバーンは基本的にÖBBの近郊路線なので、市内の中心部(特に旧市街)へは乗り入れていません。そのため、観光客の皆さまには余り縁がないかもしれません。ちなみにSバーンのSは「シュタット」(Stadt)シュネル(早い、schnell)から来ているのですね

ところで、その昔、今のSバーンとは全く異なるシュタットバーン(Stadtbahn)なるものがウィーン市内を走っていました。現在、シュタットバーンのインフラは、その一部がU6およびU4に転用されています(冒頭の写真はシュタットバーンのインフラを転用したU6の鉄橋です。また、二枚目の写真はU6に転用された市内の高架区間ですが、下は  店舗になっています)。

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ただ、シュタットバーンの面影が残っているのは、車両も路面電車スタイルのU6の方でしょうか。ちなみにシュタットバーンの路線は、おおむね現在のU6とU4を合わせたものでした。

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ウィーンのシュタットバーンですが、1918年に開業しました。当然、最初は電気鉄道ではなく、蒸気機関車が使用されていました。しかし、都心部を走る鉄道ということから、1925年には電気鉄道に切り替えられ、本格的な都市内高速鉄道としてスタートを切りました。

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電気鉄道になってからの車両は短い電車を連結した路面電車型です(今でも、シュタットバーン時代の車両はウィーン路面電車博物館に保存されています)。

さて、路線ですが、ウィーンの旧市街を取り巻くような形で、1925年にHütteldorf - Meidling間、Meidling - Alser Straße間、Alser Straße - Heiligenstadt間、Meidling - Hauptzollamt (jetzt Landstraße)間、Hauptzollamt - Heiligenstadt間、Friedensbrücke -Nußdorfer Straße間がそれぞれ開業しました。古い路線図を見ると、東京の地下鉄大江戸線のような路線だったことがわかります。

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シュタットバーンですが、1981年12月にHeiligenstadt -Hütteldorf間全線がU4へ衣替えしています。Feriが最初にウィーンに行った頃は、U4へ転換した直後だったため、駅にはシュタットバーン時代の面影(主に架線の後)が残っていました。

一方、シュタットバーンからU6への転換は、U4よりも若干遅れて、1989年から開始されました。工事は3期に分けて行われたようで、1989年にGumpendorfer Straße — Philadelphiabrücke間、1995年にPhiladelphiabrücke — Siebenhirten間、そして1996年にNußdorfer Straße — Floridsdorf間が、それぞれ開業しています。

Philadelphiabrücke — Siebenhirten間とNußdorfer Straße — Floridsdorf間は、シュタットバーンが走っていなかった区間なので、完全な新線ということになります。実際に乗ってみると、近代的な高架線方式で建設されています。

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さて、今は無くなってしまったシュタットバーンですが、今でもU6の路線で、「その遺構」を見ることができます。最も興味深いのはU6とU4が接続するSpittelau駅付近です。というのは、U6は今でこそドナウ運河を越えてフロリツドルフ(Floridsdorf)まで行っていますが、シュタットバーン時代はハリゲンシュタット(Heiligenstadt)方面に行っていたのです。

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先日、Spittelau駅に行って、改めて確認するとハイリゲンシュタット方面へ向かう路線跡が、今でも残っているのです。とくに二層になっている道路の上をまたいでいるシュタットバーン時代の鉄橋は圧巻です(写真が、その鉄橋です。一番下の道路には路面電車のD系統が走っています)。

ただ残念ながら、この鉄橋は現在、全く使用されていません(ちょっと上からの眺めを楽しみたいところですが、歩道としても使用されていません)。

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しかも、興味深いのは、一部区間はシュタットバーンの構造物をそのまま使い、その上にビルディングを建設しているのです (下の写真が、そのビルディングです)。鉄道の線路跡ですから必ずしも直線ではありません。そのため遺構の上に建てられたビルディングも微妙にカーブを描いています。日本でしたら、遺構は完全に取り壊して、その上で再開発をすると思うのですが、このあたりはメンタリティの違いでしょうか

このほか、遺構が比較的残っている理由としては、当時の土木工事がしっかりしていたため、取り壊すのに巨額の費用がかかることが考えられます。後は、各種の権利が複雑に絡んでいるかもしれません。

いずれ、本格的な再開発という話になれば、高架線の遺構を完全に撤去するという話も出てくるかもしれません。しかし、本来の用途がなくなった建築遺産が残っているところが、ウィーンらしいところですね

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Comments

Feriさん、お久し振りです。Steppkeです。
この時期の「故郷」の田舎..良いですね。

Stadtbahnは、懐かしいです。私も1986年に行った際、Volksoperからの帰りに何回か乗りました。Feriさんのお話で、U6には未だ転換されず、U4は転換されていた時期だったことが分かります。

ところで、Stadtbahnは確か左側通行だったような気がするのですが、憶えていらっしゃいませんか?
..と言うのも、次のような経験があるからです。
Volksoperからホテルに戻る際にStadtbahnからU4に乗り継いだのですが、Nußdorfer StraßeでHeiligenstadt方面とFriedensbrücke方面の二手に分かれており、1駅違いですがHeiligenstadtに行ってしまうと駅間が長く時間が掛かるので、特に夜遅い時には気を付ける必要がありました。最初の晩、首尾良くFriedensbrücke行きに乗ったのですが、U4に乗り換える時、同一方向なので行き先を確かめずに急いでそのまま左側に乗ったら逆方向に行ってしまい、結局Heiligenstadtまで行って長く待つ破目に陥りました。
この辺り記憶が定かでないのですが、確かStadtbahnは左側通行で、右側通行のU-Bahnと混乱したように思えるのですが..(今でも、S-Bahnは左側通行なので、たまに混乱します)

Spittelau駅の手前からは、Hundertwasserのゴミ焼却場の方へ、Friedensbrückeに向かっていた路線の高架も残っています。Spittelauで乗り換える時、これを見ると、今でも気になります。

Posted by: Steppke | August 15, 2009 14:58

Steppke さま、
(Feri さん、すみません、先に出てきて・・・)

よくぞお気付きになりました(笑)
実は、この都市鉄道、1年か1年半程、運行中止にして
U6 になる前に、左右の通行を反対にしました。

ヨーロッパが右側通行になった歴史はかなり浅く
その前は、すべて左側通行だったためのなごりです。

Feri さんの方が詳しいと思うのですが
確か、まだヨーロッパの鉄道は左側通行ではなかったでしたっけ?

都市鉄道が運行中止になった期間が非常に長く
その後、結構、ウィーン中で派手な宣伝をして
「新しい地下鉄 U6 開通!!!」とぶち上げて
開通したのは、左右逆になった都市鉄道線が
ちょっと U4 と繋いだだけで(当時の路線は今より短く、Heiligenstadt までだったのは、Feri さんが書かれている通り)「何だ、新しい路線じゃないじゃん!」と呆れた記憶があります。

Posted by: はっぱ | August 16, 2009 00:56

Steppkeさま、はっぱさま、お返事が遅れて済みません。

はっぱさんに解説していただいた通りですね。当時、Feriはオーストリアには行っていましたが、ウィーンには短期間の滞在だったので、実体験としてはSteppkeさまのようなことはありませんでした。

ちなみに地下鉄は流石にありませんが、本線の方は、右側、左側が突然変わることがよくあります(主に工事のためですが)。そのためかどうか知りませんが、運転台が真ん中に着いている車両が多いような…

Posted by: Feri | August 16, 2009 07:59

はっぱさん
有難うございました。永年気になっていた疑問が、氷解しました。

Feriさん
6月、BadenにDer Zigeunerbaronを観に行く際にLokalbahn(バーデン行き電車)に乗りましたが、途中、工事の為に何箇所か左側通行になっていました。
Lokalbahnは、駅/停留所に行き先や時刻等の電光表示がありますが、幾つかの停留所では行き先の他に波のような図形が表示されていました。最初は何の印だろうと疑問に思っていましたが、左側通行に変わっている区間だったので、右側通行から左側に移り、また右側に戻ることをかたどっているのだと理解できました。同じプラットフォームに両方向行きの電車が来るので、注意をうながしているのでした。

Posted by: Steppke | August 16, 2009 08:49

ウィーンから帰ってきたばかりですが、これを見に行きたくなりました( ̄▽ ̄)
Spittelau駅のものなんか、こんな鉄橋が大胆に残されているんですね。

先日U4でハイリゲンシュタットまで乗りました。その際にUバーン車庫の付近でかつてのU6の高架橋が一部残っているのを見かけました。その後歩道橋を新設した都合もあって、その部分はさすがに取り壊されていましたが…。

初めてウィーンに行った15年前に、ベートーベン「遺書の家」を訪ねた帰り、間違いなくハイリゲンシュタットからU6に乗って中心部へ戻っているので、15年前の自分はこの鉄橋を乗り越えていたんですね。

Posted by: K.Horikiri | August 16, 2009 14:51

皆さまからの反響が多いので、ブログ主も驚いております。

オーストリアに限らず、ヨーロッパの鉄道(いわゆる本線)は、複線でも基本的に単線を並べた形になっているところが多いようです。

そのため、営業中に片側の路線を閉鎖して工事が可能です。このあたり、日本とは考え方がかなり違います。ただし、リスクもあり、昔はこのために正面衝突事故も発生していました。

産業遺産については、またウィーンで色々と調べてお知らせしましょう。

Posted by: Feri | August 16, 2009 18:20

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