番外編 懐かしの「ベルリンの壁」
昨日のTBSさんの特番、すごかったですね
。Feriは、甲斐さんがご案内していた国立歌劇場のバックステージが一番興味深かったですね(さすがのFeriも、あそこまでは入れませんので…
亜の番組で、インタビューに答えていたウィーンの皆さんは、おおむね、「街のサイズが手頃」というニュアンスの発言をしていました。これは、実は、「ウィーンの魅力」の本質だと思います。このテーマは、いずれ改めて…![]()
)。考えて見ると、「2時間丸々ウィーンのご紹介」という番組は、今まで例を見ないのではないでしょうか。皆さま、ぜひぜひ、お越しください(このブログにも…
)。
さて、今日は、Feriの昔話です。11月9日は「ベルリンの壁」が崩壊して20周年ということで、日本のテレビでも特集を組んでいる局もありましたね。
Feriは旧東ドイツ(DDR、Deutsche Demokratische Republik、ドイツ民主共和国)にも行ったことがあるのですが、最初に訪問したのは1979年のことでした。当時、出版関係の仕事をしていたため、その取材に関連して、訪問したのです。
その10年後に壁が崩壊した訳ですが、当時は、Feriが生きているうちに東西両ドイツが統一されることはないだろうという思っていました
。
その後、何回が旧東ドイツにも訪問していますが、「ベルリンの壁」が崩壊した翌年、1990年の8月、友人とオーストリア滞在中、“壁が崩壊したベルリンに行ってみない?”という話になり、急きょ、オーストリアのKufsteinからミュンヘン空港(当然、昔のリーム空港)へ行き、日帰りでベルリン訪問を行うことにしました。
忘れもしません。Kufsteinの小さな旅行会社に突然、日本人がやってきて、“ベルリンまで日帰りで往復”と言ってチケットを購入したのですから、さぞ、相手も驚いたことでしょう。ちなみに直前なので正規料金となり、593.5マルク(DM)もしました。
当時、壁は崩壊したものの完全な統一はなされていませんでしたから、交通機関などは基本的に昔のままです(当時、西ドイツの航空会社は、ベルリンへ乗り入れができませんでした)。
ミュンヘンからベルリン・テーゲル空港までは、ユーロベルリン・フランス(EUROBERLIN France)という会社を利用しました(乗った飛行機はイギリス国籍のボーイング737でしたね)。
とにかく日帰りなので、空港からブランデンブルグ門あたりまでいって、様子を見るのが精一杯でしたが、余りの変わりように2人とも唖然とした記憶があります(冒頭の写真はブランデンブルグ門近くで買った絵はがきです。壁際で警備兵が子どもを抱き上げている絵柄と、警備兵自らが壁を砕いているという「自虐的な絵柄」です)。
かつては、東ドイツの警察官や警備兵にカメラを向けるだけで、大変なことになったのですが、訪問した時は、観光客にとっては「絶好の被写体」に変身していました。今風に言えば、当時のブランデンブルグ門周辺はアミューズメント・パーク状態でしたね
。
壁が崩壊してから半年以上も経過しているため、壁は完全な「観光名所」となっており、ご覧のような写真を撮る観光客で溢れていました。当初、ブランデンブルグ門をくぐるつもりで出かけたのですが、残念なことに補修工事中で、下をくぐることは叶いませんでした。しかも、ブランデンブルグ門のシンボル、「クアドリガ(四頭馬車)と女神ヴィクトリア」も、補修のため、どこかへお出かけになっていました
。
すでに「壁のかけら」や「東ドイツ警察や警備隊の制帽」などがお土産物として販売されていたのには、驚きましたが…「壁のかけら」はわかりますが、本来、官給品である制帽をナイショで販売しているところに、経済的に苦しくなっていた東ドイツの状況が垣間見えますね。
そういえば、当時、東ドイツで入手した地図を見ると「西ベルリン」はあっても「東ベルリン」という記述はありません。そう、東ドイツの首都なので「ベルリン」となっていたのです(もちろん東ドイツ内での話です
)。
まだ、完全な再統一は官僚していませんでしたが、今から振り返ってみると、この年の3月、東ドイツで自由選挙が実施され、ドイツ統一を主張する保守連合「ドイツ連合」が勝利し、7月には東ドイツに西ドイツの通貨・ドイツマルク導入、東ドイツの「県」廃止などが行われていました。そして、Feriがベルリンを訪問した直後の8月23日、「ドイツ統一条約」の調印が行われています。そのように考えると、Feriがベルリンを訪問した時、すでに東ドイツは事実上崩壊していた訳です。
さて、帰りは、これまた懐かしいパン・アメリカン航空(PAN AM)のボーイング727でベルリン・テーゲル空港からミュンヘン・リーム空港へ戻りました。
Feriは、以前、フランクフルトからベルリンまでパン・アメリカン航空に乗ったことがありますが、この時の機内サービスを見て、“パンナムも終わりだね”と実感したことを覚えています。それくらい質素なサービスだったのですよ ![]()
最近、ドレスデンへ行った時、都市の変貌ぶりに驚きましたが、ドイツの国力をもってしても、インフラ整備に20年もかかった訳です。そして、今でも東西格差は完全には解消されておらず、新しい問題も発生していることを見ると、いかに大変な事業だったかが予想できます。
ところで、「ベルリンの壁崩壊」のきっかけには、オーストリアも一枚絡んでいますね。1989年8月に「汎ヨーロッパ・ピクニック」がオーストリアに隣接したハンガリーのショプロンで開かれました。
当時、ハンガリー国民のために開放されていたオーストリア・ハンガリー国境を多くの東ドイツ市民が集団で
越境し、オーストリアを経由して、西ドイツに亡命した事件がありましたね。オーストリアの協力なくして、大量の東ドイツ市民の西ドイツ行きはなかった訳で、感慨深いものがあります。
すでに当時のことを知らない若い世代も増えてきていますが、昨日のニュースを見ていて、昔のことを思い出した次第です
。








Comments
Feri様
今回の旅行がドレスデン、ライプツィヒ、ベルリン、ウィーンということでした。ウィーンとベルリンのフィルハーモニー以外は旧東独を見て回ったことになります。
観光地ということもあり、歩いたところは小綺麗で街並みもしっとりして良い街ばかりでしたが、街から街への移動の途中廃墟と化したり崩壊寸前の建物を見かけたような気がします。ライブツィヒが見渡せるところをバスが通った時、街がくすんで見えたのが印象的でした。
この夏に、NHKで「東独の崩壊」についての番組があったのを見たこともあり、ライプツィヒの自由化の拠点だった聖ニコライ教会やベルリンの壁は感慨深く見ました。
ドイツの国力をもってしても、20年で問題が解決できないないのは、東西ドイツの経済力の差が大き過ぎたことが原因かもしれませんね。早く解決することを願うばかりです。
Posted by: QQ | November 11, 2009 at 01:25 PM
QQさま、コメント、ありがとうございます。
その昔、旧東ドイツに行った頃、地方に行くと、まるで第二次世界大戦終了直後のような雰囲気がありました。
一方、都市部では国営企業が経済活動をになっていたのですが、再統一後は、ご存知のように国営企業は競争力がなく、ほとんどつぶれています。その結果、旧東ドイツ側では就職難になったという話を聞いたことがあります。
Posted by: フェリ | November 11, 2009 at 06:15 PM
Feri様
このことについて語れば長くなると思います。
2点だけ書き留めておきたいと思います。
国民が国民を監視しなくてはいけない国、国民が他国へ逃げたくなるような国は国として失格であること。
共産主義という思想と共産主義を詐称した国家とは全く別なものであること(すべての人間が聖人であれば共産社会が実現可能かもしれない)。
Posted by: QQ | November 11, 2009 at 08:51 PM
Feri様
ブランデンブルク門の前にあるベルリンの壁の跡にある煉瓦を跨いだところを友人に撮ってもらった写真を完全削除しました。
ドイツ特に旧東独の人には嫌な思い出でしょうに、愚かなことをしました。
今回の旅行で一緒になった方の中に、ブランデンブルク門のベルリンの壁が崩壊した日に現場に居合わせたという年配のご婦人がいました。
第9を歌う会(労音だとか)があり、東ベルリンの音楽ホールにいた時にあのベルリンの壁が崩壊する事件が起こったとのことです。
Posted by: QQ | November 11, 2009 at 09:42 PM