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May 30, 2013

初めてのオーストリア訪問 これが珍道中の始まりに‥(前編)

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今日は、「Feriが初めてオーストリアを訪問したときの思い出話」をご紹介したいと思います。今でこそ、オペレッタをはじめとする「オーストリアの話題」を色々と提供しているFeriですが、誰でも「初めて」はある訳です。という訳でFeriがオーストリアを初めて訪問したのは1979年6月のことでした。

当時、Feriは某出版社に就職したばかりの新人でした(もっとも、学生時代から、その出版社でアルバイトをしていたので、純粋な新入社員ではありませんでしたが‥事実、4月1日に行っても、前日と何も変かなし…)。

1979年は入社2年目ですが、出版社の取材を兼ねて、ヨーロッパ旅行をすることになりました。小さい出版社なので、当時は完全な業務出張は難しく、旅行費用は自前で、特別に取材名目での休暇をいただく‥という形に落ち着きました。

実は、この年、某大手旅行会社のイベントに先輩の代理で出席したことがあったのですが、その時の抽選で、何と1ヶ月間有効の1等EURALILPASSが当たってしまいました(くじ運の良くないFeriにしては画期的な出来事!)。当たり前ですが、会社に報告したところ、当時の上司から“せっかくだから、このパスを使ってドイツやスイスなどを見てきたら。それにオーストリアは外せないね‥”という温かい言葉をかけて頂きました。

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ただ、それまでヨーロッパどころが海外旅行はまったくしたことがなかったので、いきなりの個人旅行は不安がいっぱい‥ 幸い、ヨーロッパでの取材経験を持つカメラマンの先輩が一緒に行ってくださることになった上に、別の会社に勤める友人も途中から合流できることになり、当時は慎重派だったFeriも計画を進める決心がつきました。

ちょうど、ドイツのハンブルクで出版社の本業に関係するメッセが開催されるため、その取材を組み込むことになり、3週間弱の日程でスケジュールを立てました。

20代で、会社に勤めたばかりなので、資金的な問題もあります。そこで、途中は夜行列車の移動も数回入れて、宿泊費を節約することに‥

しかし、最初のヨーロッパ旅行は出発前から、いくつものアクシデントに見舞われました。今から考えると、このアクシデントを何とか乗り越えたことが、色々な意味で自信につながりましたね(くそ度胸とも言えますが…)。

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まず、最初のアクシデントは、日本から一緒に行くはずだったカメラマンの先輩が出発の一週間前になって急病に‥結局、ドクターストップがかかり、Feriと同行できないことになりました。あいにく友人と合流するのは、Feriがヨーロッパに入ってから5日後。

つまり、最初の5日間は、いきなり単独で行動しなくてはならなくなってしまったのです。ヒェーッ。正直、この段階で計画を中止しようかと思いましたが、周囲からの“大丈夫だよ”という半ば強引な後押しもあって、計画続行を決心。

まず、病気で休んでいる先輩カメラマンのご自宅まで押しかけて、最初の5日間を乗り切るための情報を徹底的にうかがいました。具体的にはお勧めのホテルの場所や各種の注意事項です。とにかく言葉も十分話せる訳ではないので、現地で問題が発生しないように、先輩のアドバイス通りに行動することにしました。

そして、アクシデントの二つ目は、日本からヨーロッパに向かう航空便変更です。当時は今と異なり、個人旅行向けの格安航空券などは販売されていませんでした。やっとJALパックなどで、フリープランが誕生した頃です。そこで、Feriが利用したのは、当時、旅行通の間で流行っていた「エアーオンリー」という方法です。

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これは、いくつかのパターンがあるのですが、Feriが最初に利用したものは、実は某大手旅行会社が受託した視察旅行(Feriの場合は教職員の視察旅行でした)に一般のお客さまを潜り込ませて、ヨーロッパ往復をするというものです。

もちろん、往復は視察旅行のメンバーと一緒ですが、現地到着後は、完全にフリーで、指定日(Feriの場合、1979年7月6日)に視察旅行のメンバーが最後に宿泊しているホテルへ集合します。ちなみに集合地点はフランスのパリでした。実は、この仕組みに問題があったのではなく、使用する航空機に問題が発生したのです。

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この視察旅行では日本からヨーロッパまでルフトハンザ・ドイツ航空を使うことになっており、機材はDC-10でした。ところが、1979年5月25日、アメリカン航空のDC-10がシカゴで墜落する事故が発生、事故直後は原因が不明だったため、アメリカ連邦航空局(FAA)はDC-10の耐空証明の効力を一時停止し、全世界のDC-10が飛行禁止になってしまったのです。2枚目の写真は、結局、乗れなかったルフトハンザのDC-10。

実は1974年、トルコ航空のDC-10が貨物ドアの不備で墜落したため、FAAも慎重になったようです。アメリカン航空の墜落事故は整備ミスで、機材の欠陥とは無関係だったのですが‥ 耐空証明無効化による運行停止は、今、話題のB787と同じ状態です。

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視察旅行を受託していた某大手旅行会社側も大慌てで、ルフトハンザ・ドイツ航空と一緒に代替えルートを探したようで、代替案として提示されたルートが、何と成田-香港、香港-フランクフルトという乗り継ぎでした。

しかも成田-香港間はキャセイパシフィック航空(今はなきロッキード・トライスターL1011を使ったCX551便)。香港-フランクフルト間のLH661便(こちらはB747-200)までの乗り継ぎ時間が非常に長いため、旅行会社は、この間、香港市内の観光と飲茶の夕食を入れてきました(さすが視察旅行。待遇が違います)。

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という訳で、Feriが手にした最初のパスポートには香港の入国スタンプが押されることに‥ いきなりドイツに行くはずが香港とは‥ しかし、当時の添乗員さんは素晴らしかったですね。乗り継ぎで香港に入国するためイミグレーションで問題が発生したのですが、その対応も見事でした。格好良かったですね。正にプロの仕事。今の契約社員とは訳が違います。

到着地がフランクフルトになったため、視察旅行のメンバーとはここで分かれて、Feriはドイツ国鉄のIC578「Diplomat」に乗り換えハンブルクに向かいました。さっそくEURALILPASSを活用し、ドイツ国鉄の乗り心地を体験しました。話には聞いていましたが、乗り心地の良さには感激しましたね。

さて、一人の間は、ホテルに泊まるよりも夜行列車で移動した方が安心(変な論理ですが)なので、2日間、ハンブルクのメッセを取材してから、夜行列車でオーストリアに入ることにしました。

notes 長くなってしまったので、後編は明日に‥

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懐かしのオーストリア |

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