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May 31, 2013

初めてのオーストリア訪問 これが珍道中の始まりに‥(後編)

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前編は、肝心のオーストリアへ入る前に終わってしまいましたね。

さて、ハンブルクでのホテルはどうしたのか‥ メッセの取材が入るので、最低でも一泊は必要です。そこで、先輩から教わった裏技は“JALの支店に行ってホテルを紹介してもらってください”というものでした(よく考えたら旅行会社に頼んでも良かったのですが、値段が高くなるので現地での紹介してもらおうと考えたようです)。

実は、昔、「JALの海外支店は現地の日本領事館より頼りになる」と言われたくらい海外の日本人にとってはありがたい存在でした。

FeriはJAL便を使っていないにもかかわらず、ハンブルクのJAL支店を訪問し、図々しくホテルの紹介をお願いしました。メッセ期間中はホテルを取るのが予想以上に困難であることは、後日、知ったのですが、職員の方が尽力して頂いてペンションを手配してくれました。

何とヨーロッパ旅行、最初の宿泊がペンション‥これが将来を予感させることに‥しかも、このペンションですが、メッセの期間中、普通の民家がやっているタイプでした(プリベートツィンマーというやつ)。今でもはっきり覚えていますが、ペンションのご家族は非常に温かく迎えてくれました。

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さて、初めてのオーストリア訪問は、ドイツ・ハンブルクでのメッセ取材を終えた翌日、6月23日です。ハンブルクから夜行列車でリンツへ。という訳で、Feriが最初に降り立ったオーストリアの土地はリンツということになります。ウィーンではないところが、ディープな世界への入り口です。

実は目的地はリンツではなく、少し離れたGarstenという街でした。なぜ、Garstenという小さな街へ行ったのかはナイショ。2枚目の写真は、Garstenの駅で見かけた狭軌鉄道の特別車両。樽を使ったバー客車です。

Garstenでの取材を終え、リンツに戻ってから、ウィーンへと向かいました。が、その年、ウィーンには宿泊していません。夕方、ウィーン西駅に到着後、ヨハンシュトラウス像でおなじみのシュタットパークへ直行。

夏の時期にクアハウスの庭園で行われているウィンナワルツのコンサートに耳を傾けました。お手軽コンサートの典型ですが、ウィーンではワルツは外せません。このあたり、変なこだわりがあるFeriですね。ご存じのように、立って見ている分には無料なので、これはご機嫌。

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そして、本場のウィンナワルツを堪能してから、再び西駅へ。深夜、西駅から再び夜行列車(23時30分発の急行列車だったと思います)でインスブルックへと向かいました。取材用の機材も35mm一眼レフに加えてブローニー版の中型カメラという二種類(それぞれ交換レンズも持っています)。

かつフィルムを大量に持っていたので、バックパッカーのような出で立ち。夜行列車の連続など、今では想像もできませんが、当時は20代。体力があった上に、さらに最初の一人旅で、宿泊の交渉などを考えると、夜行列車の方が気楽だったのでしょう。

6月24日、快晴のインスブルックへ到着。ウィーンとは、ひと味違う自然に圧倒されたことを覚えています。インスブルック周辺で写真撮影を行い、その日は、次の目的地であるスイスのChurまで移動しました。さすがに、この日は先輩に教えてもらったChurのホテルに宿泊。今までの疲れが一気に出たのか、Churでの記憶はほとんどありません。

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翌25日は、氷河急行でおなじみのレーテッシェバーンを見てから、夕方、友人が到着しているであろうチューリヒへと向かいました。

今と違い国際電話をかけるのも大変、もちろんインターネットを使ったメールなどと言う便利なものはありません。後から来る友人とは、日本出発前に待ち合わせ場所を決め、かつ、万が一のトラブルにより、そこで合流できない場合の代替案まで検討していました。

幸いなことに、友人も予定通りチューリヒに到着しており、スイス国鉄のチューリヒ駅で感動の再開(大げさですが、今でも友人は“Feriさん、あの時は本当に嬉しそうな表情で列車から降りてきたよ”と言っています)。

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これ以降の旅程は、最後のパリまで一緒なので、一気に緊張感が解けたことを、昨日のことのように覚えています。その時、友人は残念ながらオーストリアに入ることはありませんでしたが、後日、ウィーンも含めて色々なところを一緒に訪問しています。

私たち二人は、その後、列車を乗り継いでスイスから西ドイツ経由で、まだ共産圏だった東ドイツへ入りました。東ドイツでは、余りにも強烈な出来事が多く、友人とは今でも語りぐさになっています。

東ドイツにはベルリンから入りましたが、ライプチヒ、ドレスデンにも立ち寄っています。東ドイツ時代のドレスデンを体験しているだけに、最近になってドレスデンに行くと、感慨深いものがあります。東ドイツの滞在は5日間。東ドイツからは列車でミュンヘンへ出て、最後はミュンヘンから夜行列車でパリへ向かいました。

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パリの到着は7月6日。帰路は友人と航空便が異なるため、Feriは集合場所のホテルへチェックインし、視察旅行のメンバーと合流。翌、7月7日にパリ・オルリー空港からルフトハンザ・ドイツ航空でハンブルクへ向かい、当日、ルフトハンザ・ドイツ航空の650便に乗り換えて成田へと旅立ちました。

残念なのは、当時はフィルムを使うカメラしかなかったため、残っているフィルムの数を常に気にしながらの撮影でした。そのため、取材対象となっていたメインの被写体はしっかり撮影していますが、いわゆるスナップ写真は、ほとんどありません。今のように事実上、撮影枚数無制限のデジタルカメラでもあれば、色々な面白い写真が撮れたのですが、この点は残念でなりません。

という訳で、最初のオーストリア訪問は、わずか2日間と、全行程の中ではパリに次いで短いものでした。そのFeriが、30年後の今、こんなことになるとは‥当時は、自分自身も含めて、誰も予想もできませんでした。

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懐かしのオーストリア |

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Comments

Feriさん、こんにちわ。いよいよ出生の秘密が・・・という感じのお話ですね。ひょんなことから何かにはまる、というのはよく言われることですが、まさにFeriさんにとっての大転換点だったヨーロッパ行だったんですね。「語り草のある友人」というのは長続きするという意味でもあるかと思います。これからも「秘話」を楽しみにしております。

Posted by: はなこ | May 31, 2013 08:50

はなこ様、コメント、ありがとうございます。

昔話は写真が少ないのが難点ですが、何とか探してご紹介しましょう。

Posted by: Feri | May 31, 2013 20:39

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