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January 11, 2014

これであなたも楽友協会通 「ウィーン楽友協会 二〇〇年の輝き」

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今日は「日本で発売された新刊本のご紹介」です。

今年も華やかなウィーンフィルのニューイヤーコンサートが行われたウィーン楽友協会大ホールですが、このブログでもご紹介したようにウィーン楽友協会は2012年に創立200年を迎えています(2012年6月に行われた「ウィーン楽友協会200周年記念演奏会」の記事はこちらから)。

さて、NHKで放送された2014年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートでも収蔵資料を活用したすばらしい解説で映像出演されたウィーン楽友協会資料館館長のオットー・ビーバ博士(Dr Otto Biba、2枚目の写真の方)が、副館長のイングリード・フックス博士(Dr Ingrid Fuchs、3枚目の写真の女性)と共著で「ウィーン楽友協会二〇〇年の輝き」という書籍を日本で出版されました。

一見すると難しそうな本というイメージがありますが、実は資料館に収蔵されている貴重な資料の写真をふんだんに使っている上に、わかりやすい文章なので、クラシックファン、オーストリアファンの皆さまには気軽に楽しむことができる本に仕上がっています。

読んでの感想ですが、「楽友協会の歴史を語るには、このお二人以外、考えられない」‥という見事な内容です。

ところで、日本ではウィーン楽友協会というと、「ウィーンフィルの本拠地」「ゴールデン・ザーレがあるコンサートホール」といったイメージが強いのですが、実は音楽の普及と発展に大きく寄与している組織です。

この本を読むと、ウィーン楽友協会とは、どのような経緯で生まれた組織で、今日までウィーンの皆さまと、どのように関わってきたのかが、よくわかります。本書は四章で構成されています。

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第一章 ウィーン楽友協会とは何か~その歴史を振り返る~」では、元々は貴族などが宮殿や邸宅でプライベートで行っていた演奏会や音楽を生業とする指揮者や奏者自身が企画していた演奏会を、広く一般の人達に提供するために楽友協会が設立されたいきさつが綴られています。

楽友協会設立のきっかけとなったのが、1812年11月29日にスペイン乗馬学校乗馬ホールを借り切り、600名の奏者を集めて行われた慈善演奏会(ナポレオンとの戦争で住まいや財産を失ったウィーン郊外アスペルンの住民を支援するための演奏会)だったというのが興味深いエピソードです。なお、この慈善演奏会ですが、実際には「ナポレオンに対するオーストリア戦勝記念大演奏会」という位置づけでもあったとか‥

また、発足当時、会員の中心はディレッタントと呼ばれるアマチュア音楽家(と言っても優れた芸術的才能を備えながらも、芸術を愛する故にあえて生業としなかった人達。当時はプロの音楽家よりも上の地位だったとか‥ 今でも、オーストリアには、この流れを汲む方々が多数いらっしゃいます)だったそうです。

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つまり、アマチュア音楽家の協会だった訳です。その後、支援会員(これが現在の定期演奏会会員につながります)が加わったという話も掲載されています。定期演奏会の会員が、楽友協会発足からまもなく誕生したのですから、長い歴史がある訳ですね。

この章ではウィーンフィルと楽友協会の関係、楽友協会会館建設のいきさつなども紹介されています。第一章からトリビア満載です。

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第二章 楽友協会と演奏会」。現在も楽友協会主催で様々な演奏会が開催されていますが、その歴史と演奏指揮者の変遷などが紹介されています。ウィーンフィル定期演奏会と楽友協会主催演奏会の違いもよくわかります。

興味深いのは、楽友協会設立当時は、ウィーンには演奏会専用ホールがなかったという話です。また、演奏会線用のプロの楽団はなく劇場の座付きオーケストラを出演させていたというエピソードも紹介されています。当たり前ですが、座付きオーケストラのメンバーのスケジュールが全員揃うわけではないので、ディレッタントとの混成だったようです。

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Feriはディレッタントは、「プロになり損なったアマチュア」という捉え方をしていましたが、当時は全く逆で、ディレッタントの活動が音楽の底上げに大きく貢献していたそうです。

この章では、楽友協会オーケストラ部(オーケストラフェライン)、合唱部(ジンクフェライン)の成り立ちなども紹介されています。当たり前ですが、ブラームスを始め多くの音楽家が、楽友協会の発展に寄与していますが、その当たりも詳しく紹介されています。これを読むと小ホールが「ブラームス・ザーレ」と呼ばれている背景がよくわかります。

そう言えば、楽友協会ホールが、なぜウィーン子からムジークフェラインと呼ばれているのかも紹介されています。
さらに楽友協会演奏監督として活躍したカラヤンのエピソードも面白いですね。かぜ、カラヤン以降、演奏監督が誕生していないのか‥その理由もわかる気がします。

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第三章 楽友協会音楽院」では、今は存在しない楽友協会音楽院設立の経緯と、音楽院が果たした役割、その指導方法などが紹介されています。

Feriは、この章を読んで、楽友協会音楽院が、実は音楽演劇アカデミー、ウィーン音楽演劇総合大学の前身だったということを始めて知りました。内外から高い評価を受けていた楽友協会音楽院ですが、最終的に楽友協会は国に譲り渡しました。その理由はネタバレになるので、本書でお確かめください。

この章で興味深いのは、リヒャルト・シュトラウスが学んでいたころのエピソードです。彼の才能を音楽院の指導者達が一目置いていたことがよくわかります。どんなエピソードがあったのか‥興味があるでしょう? ちなみに左はリヒャルト・シュトラウスの成績表が掲載されているページです。

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第四章 ウィーン楽友協会資料館」は、著者が最も得意とするジャンルなので、資料収集に関する興味深いエピソードが盛りだくさんです。

一般的にコンサートホール付属の資料館というと、片手間にやっている施設のようなイメージがあります。しかし、楽友協会は「音楽に関わるあらゆる事柄を網羅する」という理念で設立されているため、資料館も「オマケ」ではなく、重要なセクションであることがわかります。

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現在、資料館は、資料室=楽譜、図書室=書籍、収集室=楽器・絵画・記念品の3つのセクションで構成されています。

この構成を見てもわかるとおり、楽譜や楽器に代表される「音楽そのもの」に関する資料だけではなく、音楽生活を今に伝える多種多様な品々が収集されていますが、その背景が詳しく紹介されています。

実は、音楽生活を伝える資料の数々が、素晴らしいのですよね。また、どのような経緯で資料が楽友協会に集めることができたか‥といったエピソードも興味深いところです。

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なお、楽友協会で収蔵している楽器の写真も掲載されていますが、非常に珍しい楽器も多数紹介されています。
収蔵資料をうまく活用すれば、奥行きのある音楽番組の解説ができることは間違いありません。

今回、NHKで放送されたニューイヤーコンサートでも、この資料が活用されていましたが、日本でももっと活用して、知的好奇心をくすぐるような「奥行きのある番組」を制作してもらいたいものです。日本通のビーバ博士ならば、色々とご協力頂けることでしょう。

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実はオーストリア国内を旅行していると、各地に楽友協会を見かけることがあります。それも小さな山間部の街にも‥特に地方の楽友協会では、楽団(ブラスバンドが多いですが‥)を持っているところが多いのですが、この本を読むと、その理由がよくわかります。

そういう意味では、本書はウィーン楽友協会に関する知識に留まらず、オーストリアの「音楽文化の背景」を知ることができる貴重な一冊です。

新書版なので、ムジークフェラインでコンサートを聴く予定のある皆さまは、ウィーンへ向かう飛行機の中でお読みになると、会場での一時がより楽しめること間違いありません。また、資料館を見学したくなるかもしれませんね。

もちろん、友人にムジークフェラインの土産話をする時、本書のトリビアを織り交ぜて紹介したくなること間違いなし。久々にFeri、おすすめの一冊に出会いました。一読をお勧めします。



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