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February 26, 2014

銀塩写真の思い出(その2)

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今日は、昨日に引き続き「銀塩写真の思い出」です。

当時、フィルムが不足した場合、現地で購入することはできますが、自分が常用している銘柄が手に入らないことが多いので、原則、日本から旅行中に使うフィルムは全数持っていくようにしていました。

というのは、当時、ヨーロッパではドイツ・アグファ社が市場を握っており、Feriが常用していたコダック社のフィルムは、専門店に行かないと入手が難しかったのです。とくにプロ用のフィルムは、更に入手が困難でした。

さて、デジタル写真世代にはピンとこないかもしれませんが、フィルムを使って写真撮影を行うと、帰国後、現像という課程が待っています。モノクロの場合、自分で現像も可能ですが、ポジカラーについては街中の写真屋さんでも対応できず、ラボと呼ばれる現像所に委託する必要があります。

この現像料金が、結構、高かったのが頭が痛かったですね。概算ですが、現像にはフィルム本体の料金程度が必要でした。

モノクロについても、本格的に観賞するためには、さらにプリントする必要があります。デジタル写真の場合、パソコン用のプリンターで簡単に印刷できますが、当時、フィルムの場合は暗室にこもってプリントをするか、写真屋さんに外注するしか手がありませんでした。

余談ですが、今でも「デジタルカメラで撮影したROWの画像データーを加工する行為を「現像」と言いますが、これは銀塩写真時代の名残ですね。銀塩写真は化学処理、デジタル写真は電気処理ですから、その内容は全く異なりますが‥

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デジタル写真と銀塩写真の根本的な違いに、「感度(ISO)」があります。銀塩写真とデジタル写真の「感度」は、厳密には違うのですが、ユーザーが迷わないように、数値は同じ基準で設定されています。

現在のデジタルカメラは、撮影の途中で自由に感度(ISO)を変更することが可能ですが、銀塩写真の場合、感度はフィルム毎に設定されているため、フィルムを交換しない限り、感度を変更することはできません。そのため、日中に撮影したフィルムを、そのまま夜間に使わざるを得ない場合、感度が低くて手ぶれなどを起こすことが多々あります。

また、最近のデジタルカメラではISO400程度で撮影しても、デジタル補正も加わって、粒状性も良好で非常にきれいですが、当時、ISO400はスナップ写真に使う35mmのネガカラーで、やっと実用的なレベルに達したところでした。

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印刷に使うポジカラーでは、感度が低いフィルムしか発売さていません35mmフィルムの場合、ISO64のコダクロームが最も解像度が高く、品質も安定しており、熱心な写真ファンの中には愛用者も多かったようです。Feriも、コダクローム64を常用していました。

モノクロに関しても感度が低い方が粒状性が良いのですが、最も人気があったのがISO400のトライX(コダック社製)でしょうか。Feriも、モノクロに関しては35mm、ブローニー版ともにトライXを常用していました。

実は「フィルムの感度が低い」と言うことは、使用する機材にも影響を及ぼします。動きの速い被写体を止めて撮影したい場合、どうしてもシャッタースピードを上げざるを得ません。その際、フィルムの感度が低いと、暗いレンズは対応できない‥という事態が生じます。今でもズームレンズの明るさはF5.6以上が多いですが、当時も同様。

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そうなるとISO64のコダクロームを使って撮影する場合、静止している被写体ならば大丈夫ですが、動いている被写体ではお手上げです。そこで、F1.8といった明るい単焦点レンズを使うことになります。そう、機材も増えてくる‥という訳です。高倍率のズームレンズ1本で済んでしまうデジタルカメラでの撮影とは、全てが異なっていました。

当時の記録を見ると、35mmカメラ本体に加えて、50mm(当時の標準レンズ)、85mm、28mm、200mmを、ブローニー版の方はカメラ本体に加えて80mm(標準レンズ)、150mmを、それぞれ持っていきました。

フィルムは滞在日数によって異なりましたが、1983年の場合、ブローニー版のモノクロを60本(何しろ1本12枚撮り)、35mm版のポジカラーを20本、モノクロを10本、それぞれ携えてヨーロッパへ行ったようです。

切手サイズのSDメモリーカードに5000枚もの写真データーが記録できる現在とは隔絶の感がありますね。Feriがオーストリアにデジタルカメラを持参したのは、1998年以降ですね。

当時、お世話になったアメリカのコダック社も、Feriが銀塩写真から事実上、足を洗った後、倒産してしまいました。銀塩写真からデジタルへの転換が遅れたのが理由‥と紹介されていましたが、正に時代のうねりに飲み込まれた‥と言っても良いでしょう。

今回、ご紹介したのモノクロ写真は1984年に北イタリアを訪問した時の写真です。観光地から離れた「渋い町」です(当時、なぜ、こんなところへ行ったのかはナイショ‥)。そして、最後の写真はオーストリア・インスブルック郊外を走っていたオールドタイマーです。赤と白のツートンカラーですが、モノクロ写真も趣があって良いものです。

なお、フィルムにまつわるエピソードは色々ありますので、これは別の記事でご紹介しましょう。

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