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March 08, 2014

番外編 “あなたを外国為替法違反容疑で拘束する”(前編)

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今日は「昔、Feriが経験したフィルムにまつわる出来事」をご紹介しましょう。番外編としたのは、その経験がオーストリアではないからです。

事件が起こったのは、当時の東ドイツ。正式にはドイツ民主共和国(DDR:Deutsche Demokratische Republik)と呼ばれていました(まさか、自分が生きているうちに過去形で紹介するとは、当時、想像もできませんでした)。Feriは、1979年から何回か東ドイツを訪問していますが、東西冷戦の最前線の共産国なので、外貨獲得のために観光客を積極的に誘致しているにもかかわらず、それなりに規制や制約がありました。

まず、宿泊を伴う訪問の場合、出発前にビザの取得が必須でした。ビザを取得するには、先にインターホテルと呼ばれる外国人が宿泊できるホテル(決済はすべてドル建てで、バウチャーが発行されます)の予約をとり、予約情報(バウチャーの情報)を添えて在日大使館に申請します。

もちろん個人でもできたのですが、手間が大変なのでFeriはインターホテルの予約からビザの取得まで、一貫して大手旅行代理店にお願いしていました。

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ビザが取得されると、同時に写真のような注意が列挙されたリーフレットが渡されます。ここには共産圏以外の国籍の人間が入国する際、出国する際の手続きや注意が記載されています。

共産圏諸国が最も警戒していたのは、通貨に関することです。ヤミでドルを持ち込まれると、国内経済に大きな影響を及ぼすため、外国為替管理に関しては、非常に厳格でした。

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というのは、大都市部では、外貨獲得を目的とした「ドルショップ」と呼ばれる店舗がホテル内などにあり、ここでは西側の商品などもドルで購入することができました。アメリカドルが強かった時代ですね。

さて、当時、東ドイツに滞在するには、1日当たり最低13マルク(これは通称オストマルク(単位はM)とよばれるドイツ民主共和国マルク。西ドイツの通貨DMではありません)を公式両替所で西側の通貨から両替することが義務づけられていました(東ベルリンの日帰り観光では6.5マルク)。

ところで、東ドイツ国内でのマルク(M)とドイツマルク(DM)の公式交換レートは1:1となっていました。が、実勢はかなりMの方が弱く、西ドイツなどで非公式にDMをMに変えると、結構な金額が手に入りました。これを「ヤミマルク」と称していますが、国境で見つかれば、大変なことになります。

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当然、「最低額の交換を完了した」という証明書が発行されます(公式両替記録ですね)。この最低交換によって取得した金額は、出国の際、再び外貨に交換することはできません。まぁ、オストマルクを使うのは食事や鉄道の乗車券ぐらいに限定されますが‥

さて、公式両替所で両替を行うと、当然、「最低額の交換を完了した」という証明書が発行されます(公式両替記録ですね)。この最低交換によって取得した金額は、出国の際、再び外貨に交換することはできません。まぁ、オストマルクを使うのは食事や鉄道の乗車券ぐらいに限定されますが‥

さらに、入国の際には、持っている外貨(種別と金額)を申告し、証明書をもらいます。そして、出国の際、オストマルク両替証明書と外貨所持の証明書を税関に提出し、東ドイツ内で不正に外貨を流通させていないことを当局に自分で証明する訳です。

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また、税関法で、持ち込みや持ち出しが禁止されている物品も細かく規定されています。今から見ると、正直、笑ってしまうような物品が並んでいます。例えば、「軍国主義的性格のおもちゃ」(入国時に持ち込めないもの。モデルガンとかは完全にアウト。戦車や戦闘機のおもちゃもアウトみたいです)、「カレンダー」・「郵便切手カタログ」(理由は不明‥)。

出国時には「壁紙やのり」・「メリヤスものの下着」(きっと貴重品だったのでしょうね)、「木の実、干しぶどう」などが列挙されていました。

この中には観光客にとってやっかいなものがあります。それは西側の印刷物と写真用フィルム‥つまり西側で発行されたガイドブック類の持ち込みも厳密には禁止。写真用フィルムに関しては、スチール、シネマの両方とも撮影・未撮影を問わず禁止です。

これでは、観光旅行はできません。しかし、1980年代になると、通常、税関の検査で、これらの物品を廃棄させられることは、まずありませんでした。

つまり、これらの規定は、何か嫌疑がある場合、当局が被疑者を拘束するために使うための法令なのです。これは共産圏では、よく使われていた手段です(いわゆる別件逮捕のネタ)。

notes ちょっと長くなってしまったので、事件の内容は、明日「後編」でお伝えしましょう。

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Comments

私も旧東ドイツには2回入ったことがありますが、日本で予約はしませんでした。東ベルリンに日帰りビザで入国して、アレキサンダー広場の国営旅行社で東ドイツ内の予約を取っていました。旅行部門のカウンターでホテルバウチャーが発行されると並びの警察カウンターにパスポートと一緒に持って行って手数料払うとその場でビザが発行されるのは、奇妙な感じがしました。
東独ではヤミ両替に手を出すのはやばいと聞いていましたので手は出しませんでした。チェコやハンガリーあたりではもっとおおっぴらにヤミ両替が行われていましたね。ホテルやレストランでもふつうにヤミレートで米ドルでの支払いができた記憶があります。

Posted by: Hunger | March 11, 2014 at 05:34 PM

Hunger様

懐かしい話題にコメントをいただき、ありがとうございます。

実は、この時はベルリンから入りましたが、それ以外の都市は、西ドイツから東ドイツの地方都市に夜行列車で入るため、事前の手続きが必要だったという背景があります。

東ドイツの地方都市では東洋人は珍しく、「北朝鮮から来たのか?」と言われたこともありました。

Posted by: Feri | March 12, 2014 at 08:13 AM

私は北朝鮮から来たのか?といわれたことはないですが、東独や統一後の旧東独地域でもベトナム人かといわれたことは何度かあります。旧東独は、労働研修という名目でベトナム人を安く働かせていたようですね。それで統一後もそのまま居着いてしまったベトナムの方も多いようです。フランスは旧宗主国であったのでパリには美味しいベトナム料理店が多くあるようですが、ベルリンなどでもそういった店はあるのでしょうか?ウィーンはどうですか?

Posted by: Hunger | March 13, 2014 at 11:28 PM

Hunger様、こんにちは。お返事が遅くなり、申し訳ございません。

東西冷戦時代、北朝鮮は東独に優秀な人を留学させていたようで、多かったみたいです。

ところでベトナム人ですが、私はウィーンではあまりお目にかかったことはありません。逆に中国系の方が多いですね。

Posted by: Feri | March 15, 2014 at 09:26 AM

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