さようならB747“ジャンボジェット”
今日は「飛行機の話題」をお伝えしましょう。
2014年3月、最後まで日本に残っていた全日空のボーイング747-400が引退することで、日系航空会社から旅客用ジャンボジェットが姿を消すことになりました。3月16日には、全日空が成田-熊本間で「引退記念チャーターフライト」を飛ばしたようで、大変な人気だったとか‥
最も日本貨物航空(NCA)では、今後も貨物専用のB747-400やB747-8を使うようですが、旅客型は姿を消すことで、一般のお客さまが乗るチャンスは大幅に減ってしまうことになります。日本国籍の旅客用ジャンボジェットとしては、皇族や総理大臣などが使う政府専用機がありますが、さすがに、あれには乗れませんからね‥
ところで、日本航空では、通算、100機以上のB747を使っていましたが、経営破綻したこともあり、全日空よりも先に全機引退してしまいました。
Feriも日本とヨーロッパを往復する際、最もお世話になった航空機はB747でした。最初の頃は、コブが短いB747-100やB747-200でしたが、1991年からは、徐々にB747-400に変わってきました。
最終的に日本とヨーロッパの往復でB747に乗ったのは、日系航空会社では2009年の秋(ANAのフランクフルト線)、が最後になりました。
ところで、需要が比較的少ない日本-ウィーン線の直行路線では、A310やA340、A330、B777-200などが使われており、直行便でB747に乗るというケースは非常に希でした。
そんな中、2001年12月、全日空の207便(成田発、ウィーン経由、パリ行き)に搭乗する機会がありました。Feriは、後にも先にも、シュヴェヒャート空港にB747で乗り込んだのは、この時だけです。
全日空は、1990年10月に成田-パリ間の路線(週2便の直行に加えて、週1便のモスクワ経由)を開設し、1996年3月31日から成田-ウィーン-パリ線を開設しました。この時は、同時に大阪-ウィーン間でオーストリア航空との共同運行(使用機材はオーストリア航空のA340)も始まりました。
その後、1997年にはモスクワ経由で運航されていた一部のパリ便が直行に変更され、ウィーン経由便も曜日が変更になっています。
Feriが搭乗した2001年12月当時は、毎週水曜日(週1便)の運行でしたが、2002年4月のサマーダイヤから、パリ直行便に変更となり、ウィーン経由は消滅してしまいました。ある意味、良いタイミングで搭乗した‥と言えるかもしれません。
余談ですが、その後、Feriがよくお世話になった全日空の成田-フランクフルト線が開設されたのは、1993年2月のことです(当初はB747-200)。開設時期がパリ線よりも遅かったのですね。
当時の記録を確認したところ、マイレージサービスのアップグレードクーポンを利用して、エコノミークラスからビジネスクラスに変更してもらったようです。座席は、ジャンボジェットではFeriがお気に入りのアッパーデッキ(二階席)、81Kを指定しました。
81列はアッパーデッキの中でも人気が高い、ドアサイド(非常口に面した席)です。アッパーデッキは頭上の物入りが狭いこともあり、窓の下にもロッカーがありました。これが座ったまま利用できるので、極めて便利。そういった理由もあってアッパーデッキが好きでしたね。当日のシップはJA8095。1990年10月に登録され、2008年4月に引退した機材です。
成田の出発は11時30分、ウィーン着は15時15分。フライトタイムは11時間45分でした。今のオーストリア航空52便に近いダイヤです(52便は冬ダイヤの場合、成田発12時35分、ウィーン着16時15分ですが‥)。
当時、運行乗務員は機長2名、副操縦士2名というフル編成でした。すでにフランクフルト線などは機長2名、副操縦士1名のマルチ編成でしたので、207便がフル編成だったのはウィーンを経由するための措置だと思われます(ウィーンでの乗務員交代を行わないため)。一方、客室乗務員は13名が搭乗していました。
Feriが利用したアッパーデッキの搭乗率は8割程度でしたので、ゆったりと過ごすことができました。機内サービスでは、9.11テロの影響が残っていたため、ビジネスクラスでもカトラー類がすべてプラスチックだったことが強く印象に残っています。
二回目の食事は、モスクワ上空を通過してから行われました。ロンドンやフランクフルト、パリ線よりは若干、早めですね。
なお、Feriが乗ったときは、定刻よりも早い30分ほど早い、14時50分にウィーン・シュヴェヒャート空港に到着しました。
元々、ウィーン・シュヴェヒャート空港にはジャンボジェットの飛来が少ないので、当時、地元でも結構、注目を集めていたようです。しかも、日本の航空会社ですし‥
気になるのはウィーンで、どの程度のお客さまが降機したのか‥という点ですが、Feriの記録には明記されていませんででした。ただ、パリまで行く人が多かったような記憶が残っています。
この時、ウィーンの滞在は、今では考えられないわずか数日。正に「弾丸ツアー」です。ただ、フォルクスオーパーでSándor Némethさんが出演した「チャールダーシュの女王」を見たくて行ったようなものなので、十分満足できる滞在でした。この時、ボニはJosef Luftensteinerさん、スタージはMartina Dorakさん、リッペルト公爵はRudolf Wasserlofさんでした。
なお、日本への帰国便については、曜日の関係もあり、ルフトハンザでウィーンからフランクフルトへ出て、当日乗り継ぎで全日空の210便(こちらもB747-400)で帰りました。
オペレッタの出演者が変わるように、飛行機も時代の流れともに変わっていくことを痛感しました。今では、ヨーロッパ路線のほとんどが双発機の大型機ですからねぇ‥
今回は航空会社が制作し、乗客に配っていた公式絵葉書の中から、B747シリーズを集めてみました。
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