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January 17, 2015

番外編 阪神・淡路大震災から20年

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今日、1月17日、フォルクスオーパーではGaetano Donizetti作曲のオペラ「ビバ・ラ・マンマ」(Viva la Mamma)のプルミエが行われます。こちらでは、ヴィラソン(Rolando Villazón)さんが演出を担当するため、プルミエ前からマスコミにも取り上げられて、話題になっています。

Feriはプルミエには行きませんが、ドニゼッティには珍しいコミックオペラなので、フォルクスオーパー向きかもしれません。観賞が実現したら、また、このブログでご紹介する予定です。

さて、オーストリアに比べて、自然災害が圧倒的に多い日本ですが、今日、1月17日は1995年に阪神・淡路大震災が発生してから20年になります。

このような大規模自然災害に関連して、皆さまも、色々なご経験をなさっていると思います。

今日は番外編として、当時にFeriの体験をご紹介したいと思います。Feriは、生まれてから日本では関東地方以外に住んだことがないので、阪神・淡路大震災を直接、経験していません。

ただ、当時、東京に本社がある某コンサルティング会社に勤めており、何と1月17日から4日間の予定で、四国・高松にあるクライアントへの出張が入っていました。

地震の発生が5時46分という早朝でしたが、Feriは、地震発生時、高松出張のため、自宅から羽田空港へ向かっている途中でした。

羽田空港に到着した段階で、地震の発生を知ったのですが、その時は、「関西地区で大きな地震があった」という程度で、被害の全容がまったくわかりませんでした。

その日、Feriは、なぜか羽田から高松への直行便ではなく、関西国際空港を経由するという変わったルートを選択していました。というのは、前年の1994年9月に関西国際空港が開港したものの、利用するチャンスがなかったので、空港の見学も兼ねて、このような変わったルートを選んだのです。

羽田から関西国際空港までは、日本航空113便を利用しましたが、記録を調べたら当時はB747-300SRが投入されていたようです。

関西国際空港に到着すると、さすがに地震の影響で、混乱している状況でした。施設については、一部の天井が剥がれ落ちた程度で、大きな被害はなく、航空便はほぼ正常通り運航されていました。

ところが、空港へのアクセスが地震の影響で大きな被害を受けたため、航空機の搭乗員が空港に来ることができない‥といった事態も発生し、徐々に遅れや欠航が出るようになりました。

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Feriは、エアーニッポン721便で関西国際空港から高松に向かう予定でした。ほぼ予定通り関西空港を離陸したエアーニッポン721便の左側からは、火災で煙が上がっている神戸市内が見えたことを覚えています。

721便は、高松空港上空まで来たのですが、何と高松空港の天候が悪く、上空で待機していたものの、着陸できず、関西国際空港へ引き返すことになってしまいました。これは震災の影響ではなかったので、想定外の展開となりました。

当日は、夕方から高松でクライアントの責任者と事前打合せが入っていたので、関西国空港到着後、客先に連絡を入れたのは言うまでもありません。

代替案として、航空会社から提示されたのは、関西国際空港から松山まで飛び、陸路、高松へ向かうというものでした。

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ところが、松山行き全日空783便の搭乗員が震災の影響で、空港への到着が遅れたため、出発もかなり遅れた記憶があります。

幸い、出発後は大きな問題もなく、1時間ほどで松山空港へ到着。その後、連絡バスで松山駅へ向かい、JRで高松へと向かいました。

1月17日の打合せは、結局、飛行機の遅れなどもあり、翌朝に延期となりました。その晩、高松の宿泊先で阪神・淡路大震災の惨状を目の当たりにして、非常にショックを受けたのを、今でも鮮明に覚えています。

翌1月18日、クライアントを訪問しましたが、全国規模で事業展開している会社の支社なので、震災で大きな被害を受けた神戸に、高松の社員を救援に向かわせることが本社で検討されている‥という話でした。

とりあえず、本社で結論が出るまでは、予定通り業務を進めることになり、クライアントとのミーティングに入りました。

しかし、20日になって、被害規模が非常に大きいことから、関西地区の支社だけでなく、四国からも神戸方面へ救援の社員を派遣することが本社で決まりました。ただ、

Feriの方は、できる範囲で業務を継続することになり、最終的に1月21日の午後、高松から直行便で羽田に戻りました。なお、トップの写真は、その時の搭乗整理券です(その他の写真は、その後、お客さまを訪問したときのものです)。

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後日、当時、私の上司が、自社の支社があった大阪市内に宿泊していて、震災の直撃を受けたことが、判明しましたが、幸い、上司も含めて自社の社員には犠牲者はいませんでした。

Feriは、出張の多い仕事についていたため、友人が震災の直撃を受けた2004年10月に発生した中越地震の時は、札幌に滞在していました。また、2007年7月に発生した新潟県中越沖地震の時は、なぜかイギリスにおりました。

そして、東日本大震災の際は、ウィーンで第一報に接し、ウィーンの友人と日本の状況を心配したものです。

阪神・淡路大震災から20年。その後、2011年3月に東日本大震災が発生したため、都市部を襲った巨大地震の阪神・淡路大震災の記憶が薄れつつありますが、20年目を迎えて、あらためて日本は自然災害が多いことを実感する今日この頃です。

なお、今日の記事は個人的な話なので、コメント欄を綴じております。ご了承ください。

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