番外編 懐かしのイタリア珍道中(1988 後編)
今日は「イタリア珍道中 後編 1988」です。
1988年の夏、Feriは親友とオーストリアを中心に旅行しました。が、この年は「トラブル続きの異常な夏」でした。
当時としては、珍しく8月下旬から9月上旬の日程だったのですが、日本からドイツに到着した前日、何と、ドイツにある在欧米軍ラムシュタイン基地で行われた「Flugtag Ramstein 1988」に、参加していたイタリア空軍のアクロバットチーム・フレッチェトリコローリが、展示飛行中に3機が空中衝突し、墜落。そのうち、1機が観客席側のエリアに墜落したのです。
日本でも大々的に報道されたので、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、死者70名、負傷者1500名という大惨事になってしまいました。
Feri一行は、このニュースを最初の到着地ハンブルクで知りました。実は、この年、翌週に某所で開催される航空ショーを見学する予定だったのですが、大惨事の後だけに、航空ショーは中止になってしまいました。
この大事故を契機にドイツ国内では、空軍基地での航空ショーは全面的に中止となりました(ベルリンなどで行われるトレードショーは別ですが)。
他国へ遠征して大事故を引き起こしたわけですから、当然、チームは解散と考えるのが日本人ですが、フレッチェトリコローリは、事故翌年の1989年、見事に復活を果たします。
日本人の感覚では考えられないのですが、欧米では困難なことに挑戦する姿勢を尊ぶ気風があるようです。アクロバットフライトも、チームを廃止することは、過去の挑戦者を否定することにつながると考える傾向があるため、復活を遂げたようです。
ただ、犠牲者への哀悼の意を表すのは、世界各国共通。現地には慰霊碑が建立されている他、事故から四半世紀が経過した2013年にはラムシュタインでしめやかに慰霊祭が行われています。
さて、予定が狂ってしまったFeri一行。とりあえず、当初の計画通り、ハンブルクから乗り継ぎ便でミュンヘンへ行き、ミュンヘン・リーム空港(今の空港ではありません)でレンタカーを借り、ザルツカンマーグートへ向かいました。
ところが、到着、翌日、レンタカーのタイヤがパンク。フォルクスワーゲン・ゴルフだったので、修理工場に赴きタイヤを購入することに‥さらに、テレビのニュースを見るとÖBBでは、列車同士の正面衝突事故が発生していました。
ザルツカンマーグートでは、写真撮影のためにシャーフベルクバーンを訪ねたのですが、何と目の前でディーゼルカーが追突事故を起こしてしまいました。
2011年7月にブログでもご紹介しましたが、先行するディーゼルカーが途中で停車していることに気づかず、続行のディーゼルカーがぶつかったものです。速度が遅いため怪我人が出なかったのが不幸中の幸い(詳しくはこちらをご覧ください)。
ちなみに左の写真は同行した親友のSさんが撮影したものですが、事故でディーゼルカーが動けなくなったため、線路がふさがれてしまい、事故現場でお客さまが一旦下車して、救援列車に乗り換えているという貴重なシーンです。
もちろん、ここは駅ではないので、お客さまの乗り換えも大変です。事故で動けなくなったディーゼルカーは、お客さまが全員、下山した後、応急修理を行って、麓の車両基地へ回送したようです。
余りのトラブル多発に頭の痛かったFeri一行ですが、実は、その後、イタリアの友人ステファノ君を訪ねる予定があったのです。ただ、航空ショーが中止になったため、単純にステファノ・ファミリー訪問になってしまいました。
今回はドイツで借りたフォルクスワーゲン・ゴルフに乗って、初の自動車によるイタリア遠征です。今のように携帯電話やインターネットと言った通信手段が皆無なので、現地に着いてからステファノ君との連絡は電話しかありません。
到着日に改めて連絡をすることにしたのですが、移動日が日曜で、オーストリア側の両替所が閉まっており、シリングからイタリアリラへ換金できずに、イタリアへ入らざるを得なくなりました。
結局、高速道路沿いのインフォメーションに事情を話して、ステファノ家へ電話をしてもらい、最寄りのインターチェンジまで迎えに来てもらうことに‥ちなみに写真の小屋がお世話になったインフォメーションです。
ステファノ君の住まいは、高速道路A22沿いにあるトレント(Trento)という街にあります。前回、訪問した際は、航空ショーの会場から戻ったのが夜間、出発が朝だったため、街の中は全く見ることができませんでしたが、トレントはトレンティーノ=アルト・アディジェ州の州都という歴史のある街でした。
インターチェンジで無事、ステファノ君と再会しましたが、すでに自分で車を運転できるようになっており、自分の車(Fiat)も持っていました。彼の車に案内されて、まずは市内のホテルへ。その後、彼の車に同乗して、市内の有名(らしい)ピザ屋へ向かいました。
彼の話によると、市内にも沢山ピザ屋があるが、これから行くところは、トレントでも一、二を争う美味しい店とのこと。その店は山の中腹にありました。
その時、ふとイタリアのピザ屋というのは、日本のそば屋と似ていると思ったものです。つまりそば屋も、スタンドそばから、伝統と格式を誇る店まで幅広いですが、それと同じということです。
さすがに地元民推奨のお店。非常に美味しかった記憶があります。その後、市内を案内してもらってから、一旦、ホテルへ。夜はステファノ・ファミリーによる歓迎夕食会です。
ご両親とお姉様も交えての、心温まる夕食会でした。ただ、当初、ステファノ家を訪問する予定がなかったため、ご家族用のお土産を日本から持ってきませんでした。しかし、手ぶらで訪問するのも日本人として気が引けるので、友人の発案で、オーストリアでチョコレートを購入し、プレゼントしたことを覚えています。
例によって、夜のお食事は基本的に冷菜中心です。ただ、集合住宅(コンドミニアム)ながら、地下にはワインセラーがあるというセレブなお宅でした。
当初は、翌朝、オーストリアに戻る予定だったのですが、例のマンマから“明日、おいしい昼をご馳走するから、是非、もう一度いらっしゃい”と強く勧められ、図々しくも翌日もお伺いすることに。
翌日も良い天気でしたが、ステファノ君のお宅を訪問する前に市内観光を‥ 市内の名所をステファノ君に案内してもらいました。
市内観光後、お宅へ向かうと、“今日は、天気が良いから屋上で昼食をとるよ”という話になり、屋上に案内されました。その時、屋上から見える景色のすばらしさに絶句。
美人のお姉様は、彼氏とのデートがあるらしく、途中で退席しましたが、さすがにイタリアの昼食。パスタはもちろん、お肉や魚など、温かい手料理をご馳走して頂きました。
イタリアなので、当然、昼からワイン大会。が、Feri一行は、この日、昼食後、オーストリアに戻る予定になっているので、ワインを飲むのは遠慮する旨をお父様に伝えると、お父様曰く“イタリアの高速道路では、飲酒運転の取り締まりはしていなから大丈夫だよ”と心強いお言葉‥
今だったら、“それでは、一杯だけ”とか言ってご相伴にあずかるところですが、当時は、何事にも慎重なFeri一行。しかもトラブル続き立ったため、辞退しました。
こちらの方は、明確にお断りすると、それ以降は一向に勧めなくなるので、助かります。でも、お父さんは、お客さまが来たのを口実にフルボトルをバンバン開けて、ワインを召し上がっていました。ただ、マンマがお土産に‥といってワインとお菓子をプレゼントしてくれたのが印象的でした。
また、ステファノ君がラコステのポロシャツを着ていたのですが、友人と“イタリア人も本当にラコステを著るんだねぇ”と話したのを覚えています。
オーストリアへ戻るため、写真撮影機材をすべて持っての訪問でしたので、昼食後は、お父様も含めてカメラ談義になり、Feriが持っていたキヤノンF-1を見せてくれと言う話になりました。
望遠のLレンズをつけてお渡ししたところ、お父様が私たちをパチリ。当たり前ですが、コンパクトカメラではないので、バックがきれいにぼけていて良い感じの写真に仕上がりました。
お名残惜しかったのですが、オーストリアへ戻る関係もあるため、日の高いうちにご両親に見送られてステファノ君のお宅を後にしました。ステファノ君にはA22のインターチェンジまで誘導してもらい、ここで次の再会を祈ってお別れ。
Feri一行は、A22を北上し、ドイツ国境に接する街Kufsteinに向かったのでした。Kufsteinは、山頂の教会に巨大なパイプオルガンが設置されていることでも有名ですね。幸い、イタリア訪問以降は、ステファノ・ファミリーによる厄落とし功を奏したのか、トラブルは皆無で、無事、日本へ戻ることができました。
また、レンタカーを返却する際、念のためタイヤを購入した際の領収書を提出したところ、代金を返却してくれました。これはラッキーでしたね。
実は、現地人のお宅でお食事を頂いたのは、ごく最近までステファノ君の住まいだけでした。今、当時の写真を見ても、皆さま、本当に素晴らしい笑顔をしています。
これがイタリア人のイメージを一変させた体験だったのは言うまでもありません。とくにマンマは、絵に描いたようなイタリアのお母様。記念写真でも常に自分が中心。何しろご覧のように記念撮影では、お父さんを押しのけているくらいですから‥ 本当に明るく、温かい女性でした。
その後、残念ながらFeri達は、ステファノ君と疎遠になってしまいましたが、最後に得た情報は、彼がイギリスに留学しているというものでした。恐らく今は立派なビジネスパーソンとしてご活躍のことでしょう。
こういった人とのつながりが、Feriのヨーロッパ滞在を大きく左右したのは、言うまでもありません。恐らく、他の国でも、素晴らしい人との出会いがあれば、印象が変わると思いますが、その後はオーストリア以外では、経験はありません。
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