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June 12, 2015

番外編 懐かしのイタリア珍道中(1984-1985 前編)

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実際に現地を訪問することで、その国に対するイメージが一変するということがあります。実は、今を去ること30年以上前、イタリアを訪問したことで、イタリアに対するイメージが大きく変わったことがあります。

Feriが、ヨーロッパへ行く前、イタリアに対するイメージは、「泥棒が多い危ない国」というものでした。実際、旅行をした友人のグループでも、スリなどの被害に遭ったという人もいたという話を聞いたことがあるものですから、このイメージができてしまったような気がします。

そのため、最初のイタリア行きは、有名な列車に乗ることを目的に、市内観光を入れないという非常識な「一撃離脱方式」でした。

そのような「一撃離脱イタリア旅行」を経験した後、1984年、イタリアで開催された航空ショーを見物するため、友人と一緒に本格的なイタリア行き(当然、オーストリアやドイツなども回っていましたが‥)を企画しました。

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北部イタリアにある在欧米軍アビアノ空軍基地で開催された航空ショーだったのですが、今と異なり情報の絶対量が少なく、基地へのアクセスも含めて不明なことだらけ。

そもそも道路地図にも基地が書かれていないのです(軍事機密であるため)。ただ、目指す地名AVIANOという駅が存在している上に、付近に広大な「空白エリア」があり、ここが会場だろうと見当をつけて、近くにある比較的大きな街CONEGLIANOに宿泊することにしました。

当然、当日、ブラリと立ち寄って宿を探すという当時、お決まりのパターンです。

CONEGLIANOは地方の街だったので、英語を話すことができる人が少なく、往生しましたが、何とかホテルを確保。翌日、列車で航空ショーの会場へ向かいました。アビアノという駅へ向かう列車はイタリア人で満席(3枚目の写真が、その時に乗ったディーゼルカーです)。

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少なくとも、私たちの予想が当たっていたことは確認できました。アビアノ駅に到着してからは、人の流れに乗って会場となっている基地へ向かいました。ちなみに冒頭の写真がイタリア国鉄アビアノ駅です。

しかし、駅の売店だったと思うのですが、記念に絵葉書を購入したところ、軍用機の写真が入っており、軍事機密が有名無実であることがわかりました。

初めての見学したヨーロッパでの航空ショーだったので、日本では見ることができない珍しい航空機が多数展示されており、アクロバットチームの飛行展示も含めて、充実した一日でした。このあたりのお話は省略‥

この時、航空ショーの会場で、偶然、航空ファンのイタリア人青年ステファノ君と知り合いになり、後日、飛行機の写真を交換しようという話になりました。

今と違って、ネットで瞬時に写真データーを送ることはできず、郵便でやり取りをする訳ですから、のんびりしたものです。

ステファノ君は、私たちが抱いていたイタリア人に対するイメージとは異なり、律儀に珍しい飛行機の写真を沢山送ってくれました。当然、こちらも日本で撮影した飛行機の写真を送ったのは言うまでもありません。

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そんな文通が続いていた頃、ステファノ君から“イタリア空軍を代表するアクロバットチーム「フレッチェトリコローリ」の創立25周年記念の航空ショーが、チームのホームベースであるUdine基地で開催される。イギリス、フランス、スイスからも空軍のアクロバットチームが参加するので、是非、来ない?”という連絡が入りました。しかも、事前にFeri一行のスケジュールを知らせてくれれば、現地まで車で案内してくれるというのです。

友人と相談の上、スケジュールを調整し、1985年9月上旬、2日間の日程でイタリアを訪問することにしました。ちなみに1985年という年は、東西ドイツで大規模な催事が行われた年なので、ドイツ、オーストリアを含めると比較的長い滞在でした。

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フランクフルト空港からアリタリア航空のDC-9でヴェネチア空港へ向かい、空港でピックアップしてもらいました。その時、はじめてステファノ君の父親とご対面。何と、父親も熱心な航空ファンだったのです。恐らく前年のアビアノにもお父様とご一緒に来ていたと思われます。

さっそく会場となるUdine基地近くのホテル「FRECCE_TIRCOLORI」に車で向かったのですが、最初に言われたのは“残念ながらホテルは満室だ。私たちの部屋のシャワーを使って良いから、この車の車内で休んでくれ”。大規模なイベントである上にホテルが極端に少ないので、これはやむを得ません。彼らからすれば最大限の優遇措置と言えるでしょう。

写真はホテル「FRECCE_TIRCOLORI」の絵葉書ですが、大規模なイベントなどは想定していない、モーテルのような施設なので、部屋数も限られています。

夕方、ホテルへ到着し、ステファノ君親子がチェックインの手続きをしたところ、何と、“今、キャンセルが出て部屋が空いた”との朗報が‥ イタリア人と日本人が喝采を揚げている場面が、そこにはありました。

さっそく部屋に撮影機材を運び込み、夕食に向かったのですが、今でも印象に残っているのは、父親の息子に対する一言。“泥棒が多いから車の鍵は確認したか。”イタリア人から、この言葉を聞くとは思いませんでした。

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夕食はステファノ君親子と一緒に地元のピザ屋へ。さすがイタリア人が吟味した炭火焼きピザお店だけあって、美味しかったですね。

翌朝、朝食もそこそこに航ショーの会場へ。朝食の際、父親がエスプレッソを一気飲みする場面を目撃し、イタリア人の食生活を垣間見た気がしました。

ステファノ君は基地に入場できるスペシャルパスを持っていたのですが、父親と私たちはパスがなく、基地に隣接したピクニックエリアで見学することになりました。

このピクニックエリアこそ「イタリア万歳、ビバ・イタリア」と言えるような素晴らしい空間でした。というのは、大人数のイタリア人グループが多数来場しており、皆さま、航空ショーはそっちのけで大量のワインや食事を持ち込んで盛り上がっているのです。

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食事も、その場でサンドイッチなどを作るのが基本のようで、食べることに関して気合いが入っているイタリア人の本質に触れた気がします。しかも真夏なので、男性は上半身裸の方が大多数。まるでビーチのようです。

その時、Feriは、日本で販売されている自衛隊のベースボールキャップをかぶっていたのですが、隣のグループのおじさまの目にとまり、“それとワインを交換しない?”とのオファーが‥ 

ステファノ君のお父様(Feriの右に写っている人がステファノ君のお父様)曰く、“そのワインが良いワインだから、交換しても損はないよ”。物々交換成立です。ちなみに4枚目でFeriがかぶっている帽子がワインに化けました。

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ちなみに、右の写真でFeriがかかえているのが、ベースボールキャップとワインを交換したグループです。周囲の人が少ないように感じますが、これは航空ショーが終わって、かなり時間がたっているため、お客さまが撤収してしまった時のものです。

さて、ヨーロッパではスポーツの試合でも国別対抗になると、とにかく異様に盛り上がるのが常。日本の国体ではありませんが、地元のアクロバットチーム・フレッチェトリコローリが、コンペティションの結果、優勝となり、戻ってきた時観客の盛り上がりは半端ではありません。

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ワインで酔っ払っている人が多いことも影響しているのでしょうか、上半身裸になってシャツを振っている男性が多数。さすがラテンの国です。フレッチェトリコローリの看板前ではFeriが物々交換で入手したワインを手にしています。

無事、航空ショーも終わり、ステファノ君が戻ってきましたが、イタリア人の友人グループと一緒でした。その後、ステファノ君親子とFeri一行、友人グループは2台の車に分乗して、いざ、ステファノ君の自宅があるトレントという町へ向かいました。

早く帰るため、高速道路ではなく、山間部の迂回路を使ったらしいのですが、途中で大型トレーラーを追い抜くなど、イタリア人のドライビングテクニックには脱帽。

なお、この記事をまとめるにあたってGoogleでルート検索をしたところ、恐らくFeri一行が通ったと思われるルートが表示されました。30年間の進歩はたいしたものです。

それによるとRivolto-Trento間の道路距離は204km~227km。所要時間は2時間54分~56分でした。当時の記録と照らし合わせると、途中休憩を入れて3時間強でしたから、このルートで間違いないと思います。

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かなり遅い時間(21時を回っていたと思います)にステファノ君の自宅に到着し、マンマがFeri一行を大歓迎。友人も交えて夕食会が始まりました。オーストリアと同じく、夕食は冷菜になりますが、さすがイタリア。ハムやワインが美味しかったことを覚えています。

さて、このマンマこそ、イタリアのお母様の典型。英語はまるっきりできないので、私たちとの会話はステファノ君経由なのですが、とにかくフレンドリーなこと。恐らく、同家を訪れた初めての東洋人だと思いますが、永年の友人のような「おもてなし」でした。

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夕食会の後は、お父様が撮影した飛行機の映像鑑賞大会(当時なので8mmフィルム)。友人グループも熱心な航空ファンなので、まぁ、盛り上がること。深夜、ホテルまで車で送っていただき、長い長い1日が終わりました。

翌日、ステファノ青年の見送りを受けて、Feri一行はトレント駅から列車で次の目的地、ドイツのミュンヘンに向かったのでした。ICでも5時間ほどかかりましたが‥

ミュンヘンで一泊したFeri一行は、翌日、列車でザルツブルクへ移動し、クールダウンのため、レンタカーでザルツカンマーグートを訪れたました。というのは、その後、当時の西ドイツで大規模なイベントがあるため、一休みという感じです。イタリアの興奮を抑えるには、ザツルカンマーグートの静寂がピッタリでした。

さて、「イタリア珍道中」には、まだまだ続きがあるのですが、それは後日‥


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