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May 09, 2016

番外編 叔母が天に召されて‥

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今日は個人的なお話でご容赦ください。

4年前から東京の多摩地区にある某特別養護老人ホームに入所していた叔母が、ゴールデンウィーク中に急死しました。

昨年、体調が悪くなり、一旦、近くの病院に入院しましたが、その後、退院し、特養に戻っていたのですが、体調が急変したそうです。享年97歳ですから、大往生と言えるでしょう。

実は、叔母は独身だったため、家族は兄姉だけでした。今では、妹であるFeriの母が、唯一の親族です。

その関係もあって、現役をリタイアした段階で、東京の某区が運営している公立老人ホームに入所して、悠々自適な生活を送っていました。ただ、区営の老人ホームが合理化のため、統合され都営になったため、途中で、引越をした経緯があります。

6年ほど前、都営の老人ホーム内で転倒事故を起こし、これで体が不自由になってしまったため、通常の老人ホームに収容できなくなってしまいました。これは介護職員の数が足りないためだそうです。

そこで、特別養護老人ホームへの入所を検討したのですが、当時、窓口になっていた某区の担当者に相談したところ、要介護レベルによる順番で、叔母は三桁の後半とのことで、とてもすぐには入所できる状況ではありませんでした。

そこで、区の担当者とも相談の結果、一時的に介護老人保健施設に入所することになりました。ただ、老健は、入所期間が短いため、長期間の入所は困難です。

まず、都内の老健に入所しながら、長期間の対応が可能な老健を探す、特養の空きを待つという展開に‥

ところが、ここで大きな問題が発生しました。というのは、老健入所時、代理人を立てる必要が出てきたのですが、Feriの母も高齢のため、代理人になることはできないという話に‥ 結局、実際は血縁関係にないFeriが代理人になるのであれば、入所が可能という結論に至りました。

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日本とウィーンを行き来する生活をしている事情も説明して、仮に不在の場合は、母が対応するという了解を取り付けて、何とか都内の老健入所が実現しました。

この老健の入所期限が近づいた頃、幸いなことに千葉県にある老健が受け入れてくれることになりました。もし、次の受け入れ先がなければ、Feriの実家で受け入れることになっていたので、これで一安心。

しかも、千葉県の老健は、入所期間の延長は事実上、無制限にできるという話だったので、特養の空きが出るまで、待機できることになりました。

叔母がついているところは、このように次から次へと入所できる機関が出てくるところ。ただ、この頃から、叔母に痴呆の症状が出てきたようです。

さらにびっくりしたのは、千葉県の老健に入って半年後、東京で叔母の特養を探してくれていた区の担当者から、多摩地区にある区と提携している民間の特養に空きが出たので、入所しますかという奇跡的な連絡が‥

ご存じのように、特養は空きが少なく、何年も入所待ちをするというのが一般的です。叔母の場合、独身であったこと、都内でも財政状態の良かった区に永年住んでいたこと、痴呆が始まり要介護レベルが上がったことなどが、結果として幸いしたようです。

当然、特養への入所でも、私が代理人になりました。特養はスタッフも充実しており、ほとんど、お任せ状態でした。

特養の職員の皆さんは、本当に親身に対応してくれたため、痴呆の症状も余り進まなかったようですが、やはり自分で動くことができないため、体の方には色々と問題が出てきたようです。

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結果として、昨年、秋に特養では対応できなくなり、近くの専門病院に入院しました。

この段階で、召される日は近いと思っていたので、Feriも年末年始は日本で待機。しかし、退院して特養に戻ったとの話を耳にして、こちらもウィーンへ戻りました。

実は、5月は日本で重要な仕事がある上に、フォルクスオーパーの来日公演もあるので、日本へ戻る計画を立てていたのですが、叔母の急変で、予定よりも早く日本へ来ることになりました。

余談ですが、ウィーンの友人に、Feriが日本に戻っている時、フォルクスオーパーの来日公演を観るという話をしたら、以下の反応が‥

“Feriさんは、いつもこっちのかぶりつきで観ているのだから、わざわざ日本まで行って観ることないじゃないですか。日本公演が満席になっても、ならなくても、フォルクスオーパーの実入りは変わらないのだから‥”と言われてしまいました。それは、ごもっとも‥

そう言えば、特養に入所したのは、前回のフォルクスオーパー来日公演が行われた2012年4月でした。桜の写真は、その特養の庭に咲いていたものです。

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日本到着後、各種手続きのために叔母が入所していた特養を訪ねましたが、職員の方から温かい対応を受け、頭が下がりました。そして、今までの介護について、心からお礼を申し上げました。

仮に受け入れ施設が見つからずに、Feriの実家で引き取ることになっていたら、Feriも今のような生活は不可能だったと思います。実際、そういう生活をしている方も多いとうかがっています。

なお、施設でうかがった話では、叔母が入所した頃が最も競争率が高かったようで、最近では特養への入所基準の見直しなどにより、以前よりも簡単に入所できるようになったそうです。

Feriは、オーストリアの老人ホームの実態は詳しく知りませんが、キリスト教の博愛精神が基本であるだけに、恐らく同じようにきめ細かい対応をされていることでしょう。

ただ、日本の場合、介護の現場は意識の高い職員の方が多い反面、待遇面で報われないことが多く、離職率が高いとも聞いています。それだけに、高い意識を持った介護職員の方の生活が安定することを祈ってやみません。

叔母の人生も波瀾万丈だったようですが、日本の友人と話をすると、老人ホーム入所から始まって、特養での生活まで、現在の日本の状況を考えると、本当に恵まれていたと感じる、今日この頃です。

また、しばらくは本業と並行して、叔母に関する各種手続きをするために奔走する日が続きそうです。

という訳で、しばらくは、以前に仕込んだネタで対応させていただきますことを、お許しください。

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