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July 30, 2016

Ernest-Bevin-Hof

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ウィーン17区(Hernals区)の話題が続きますが、今日は「Ernest-Bevin-Hofという住宅団地のお話」です。

17区にFeriが住んでいた頃、すぐ近くに市営アパートがありました。複数のアパートが立ち並ぶ形なので、日本で言うところの「団地」です。

例によって公園を中心としており、16棟の中層アパートが建っています。ウィーン市のデーターによると16棟に230戸の住まいがあるようです。

棟数の割に戸数が少ないのは、中層アパートである上に、一戸の面積が広いのでしょう。

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ただ、最近できた団地ではなく、1956年から建設が始まり、1958年に完成しました。ということは、築58年という物件です。

当時、この周辺は都心部に住まいをもつ人の別荘や古い建物が点在していたそうです。戦後の旺盛な住宅事情に応えるため、自然を生かしつつ、住宅団地の建設が行われました。

今でこそ、トップの写真のように周囲は住宅だらけにですが、当時は、画期的なプロジェクトだったことでしょう。

ちなみに設計を担当したのは、Walter Jaksch、Hans Jaksch、Siegfried Theiß、Franz Peydlというオーストリア工科大学出身の建築家4名です。ただ、いずれの建築家も既に鬼籍に入られています。

Ernstbevinhof

1950年代の設計なので、建物は比較的シンプルなデザインです。ただ、この団地のシンボルとなるのが二棟の「星形アパート」(9号棟と16号棟)です。

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そう言えば、日本にも、このようなデザインの住宅団地があったような気がします。

興味深いのは、各棟の玄関付近に、シンボルとなる植物のレリーフが取り付けられていることです。シンボルとなる植物ですが、ポプラ、イチョウ、トウヒ、松、栗、オリーブなどだそうです。

1950年代後半なので、効率優先ではなく、遊び心のあるデザインが採用されたのでしょう。

築50年が経過したことから、2009年から2012年にかけて、躯体の改修を含めた大規模なリフォーム工事が行われています。その際、暖房装置の取り替え、断熱性能の向上、エレベーターの改修なども行われました。

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しかし、日本の公営団地だったら、築60年になれば、当然、建て替えという話になるでしょう。その際、建て替え費用を捻出するため、高層化するというのが一般的だと聞いたことがあります。

日本の場合は、地震大国なので、築年数が古いアパートは、鉄筋コンクリート造りであっても耐震性の問題があるため、建て替えという選択肢が出てくるのだと思います。

オーストリアの場合、事実上、地震のことを考慮する必要がないとは言え、躯体をそのまま使い、リフォームで対応するというのはたいしたものです。

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Feriが、この近くのアパートで住むようになったのはリフォーム工事後だったので、建物がきれいだったのですね。納得。

モノクロ写真はウィーン市が提供しているもので、1963年撮影の作品です。当時の雰囲気がわかりますね。

と、まぁ、ここまでは「普通の住宅団地のご紹介」なのですが、気になるのは「Ernest-Bevin-Hof」という住宅団地の名称です。

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ウィーン市のホームページで調べたところ、Ernest-Bevinは人名であることがわかりました。ただ、Ernest-Bevin(アーネスト・ベヴィン)は、オーストリア人ではありません。イギリスの政治家で、労働大臣、外務大臣などを歴任している人物。

Ernest-Bevinが、このアパートに住んでいた訳ではありません。また、彼の邸宅が、この地に存在した訳でもありません。

では、なぜ、この住宅団地に「Ernest-Bevin-Hof」という名称がついたのでしょうか? 

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ちょっと調べたところ、第二次世界大戦後、オーストリアの独立に対してErnest-Bevinが多大な貢献をしたことがわかりました。

オーストリアは、戦後、イギリス、フランス、ソ連、アメリカに分割占領され、オーストリア連合国委員会によって管理されました。

終戦後、10年を経て、1955年5月15日、占領4カ国とのオーストリア国家条約が締結され、独立を取り戻し、同年10月26日に永世中立を宣言を行い、今日に至っています。

この独立にErnest-Bevinが深く関わっていたようですが、どのような貢献があったのかは、残念ながらFeriは詳しく知りません。

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ただ、住宅団地の名称になるほどですから、オーストリアにとっては恩人なのでしょう。この住宅団地建設が、ちょうどオーストリアが独立した直後に始まったプロジェクトだったことも、影響している可能性がありますね。

ちなみに、団地の敷地内には、写真のようなErnest Bevinのレリーフをはめ込んだ記念碑があります(右の写真)。

ところで、以前、このブログでご紹介した「不思議なレリーフがあるアパート」ですが、実はレリーフがあるのは「Ernest-Bevin-Hof」にある一棟(3号棟)でした。

Friedensreich Hundertwasser-Fassade」という正式名称がつけらていることからわかるようにフンデルトヴァッサーがデザインしたもので、1971年に施工されたそうです。

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せっかくなので、「Friedensreich Hundertwasser-Fassade」の写真も再度、掲載しましょう(2014年5月28日「不思議なデザイン」)。

しかし、色々と調べて見ると、Feriが住んでいた17区には、興味深い史跡が沢山あるのには驚きました。

また、余談になりますが、先日、ご紹介した「Bärenvilla(Friedrich von Schmidt-Haus)」は、Ernest-Bevin-Hofに隣接した場所にあります。

最後の写真では、奥の方に「Bärenvilla」の特徴的な建物が見えると思います。

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