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August 06, 2016

オーストリア航空 日本撤退に思う‥機材編(上)

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オーストリア航空の「日本線休止」は、事実上の日本からの撤退だけに、やはり大きなニュースだったようで、久しぶりに当ブログでも多くの皆さまにアクセスいただきました。

後、1ヵ月ほどで日本からの撤退となりますが、連日のように遅れが出ているようです。ただ、実際の運航状況をFlightradar24などでチェックしていると、30分程度の遅れは十分、回復する余裕があるようです。

日本行きの51便に関しては、ウィーン発が遅れても、実際は成田に早着するケースが多くなっています。恐らくダイヤ上、多少、余裕を持って運航しているのでしょう。

さて、ヨーロッパの航空会社で、日本線から撤退し、該当国への直行便がなくなったケースは、今までにイベリア航空(スペイン)、オリンピック航空(ギリシャ)、サベナ・ベルギー航空(ベルギー)などがあります。もちろん、路線ごとの撤退や航空会社の撤退は、もっと沢山ありますが‥

この中で、路線復活が決まった数少ない例が、1998年12月に撤退したイベリア航空です。同社は、2016年10月から、週3便で復活するそうですね。

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今日は、航空会社の「商品」とも言えるオーストリア航空の使用機材について、振り返ってみたいと思います。

オーストリア航空の場合、オーバーシーに対応できる長距離機材として、最初に導入したのはボーイングB707-300とダグラスDC-8-63CFを、各1機です。

ただ、他社からリースでした。B707はサベナからのリースだったようで、同機を使用して、1969年にウィーン-ニューヨーク線を開設しました。しかし、太平洋線は競争が激しく、結果的に路線の維持ができず、B707が使用されたのは2年間。1971年には退役しています。また、DC-8は、貨物仕様機でした。

そのため、事実上の長距離機材としてはじめて導入したのが、1988年に受領したエアバスA310-300型です。この機材の導入に合わせて、開設した長距離路線がアメリカ線と日本線だったのは有名な話です。

このA310-300ですが、長距離路線用としては小型の機材ですが、当時は3クラス(F:12席、C:37席、Y:123席)でした。また、運行開始当初の日本線は、全日空、アエロフロートとの共同運行便で、全日空の客室乗務員が、自社の制服姿で乗務していたのは有名な話です。

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実は、Feriは、オーストリア航空が日本線を開設した1989年に転職をしたのですが、次の会社に入るまでの短い期間、ドイツとオーストリアへ旅行をしました。

行きは、当時、サービスに定評があったスイス航空(成田-チューリヒ、アンカレッジ経由)を利用。そして、ウィーンから日本へは就航間もないOS/NH/SU555便(モスクワ経由)を利用しました。当時は週3便の運行でしたね。

それでは、当時、オーストリア航空では、どのような機材を使っていたのでしょうか。

日本では平成に元号が変わった直後の1990年、オーストリア航空で旅客輸送用に保有していた機材は以下の通りでした。

-MD-87:5機
-MD-81:9機
-MD-82:5機
-A310-300:2機

A310-300については、当時、2機を追加発注中で1991年2月と1992年3月に、エアバス社から引渡予定となっていました。

当時のオーストリア航空は、日本線に並々ならぬ期待を寄せており、東京には市内営業所を設置していました。

Img_2003_02_5044

機材ですが、MD-80シリーズは、DC-9の流れを汲むマクドナルド・ダグラス社製の双発ジェット旅客機で、どちらかというと短距離・中距離路線向き。

日本では東亜国内航空(後の日本エアシステム)が使っていたので、ご存じの方も多いでしょう。

一方、元F1ドライバーであったニキ・ラウダ氏が1979年4月に立ち上げたラウダ航空(:Lauda Air)も、1985年にチャーター便の運航を開始しました。

定期便の運行は1987年からですが、には定期航空路を開設し、当時、同社は以下のような機材を保有していました。

-B737-300:3機(内、1機は発注中)
-B767-300:2機

Img_2003_09_6975

ラウダ航空は、オーストリア航空に対抗するためか、ボーイング系のフリートになっているのが興味深いところです。

なお、ラウダ航空は、当時、ヨーロッパ、北アフリカ、カリブ海、東南アジアへバカンスを過ごすお客さまをメインターゲットにしていました。

後にオーストリア航空と合併することになります。さらに同社倒産後は、受け皿会社となるチロリアン航空には、以下の機材が所属していました。

-DHC-8-100:6機
-DCH-7-100:2機

1980年に誕生したチロリアン航空は、当時、Innsbruckに本社が置くコミューター会社だったため、ボンバルディア社製のターボプロップの機材でフリート構成です。

とくにDHC-7は、当時でも珍しかった4発のターボプロップ機。短距離離着陸性能に優れていることから、Innsbruck空港を拠点とする、同社が最初に導入した定期便用の機材です。

Vo_dch7_001

ただ、その後、導入した双発のDHC-8シリーズに比べると、運行費用が高かったようで、比較的、早く退役しています。

以前、当ブログでもご紹介しましたが、Feriはチロリアン航空のDHC-7に搭乗したことがあります。区間はInnsbruck-Wien間という国内線でしたが、素晴らしい機内サービスに感激したものです。

DHC-7を使っている航空会社は少ないのですが、後日、Feriはイギリス国内線で、搭乗することになります。

余談ですが、Tyrolean Airways(略号VO)は馴染みのない航空会社であるため、その昔、日本の某航空会社の予約センターに電話した際、係員が“チロリアン”と読めなかったことがことがありました。

まぁ、航空会社の名誉のために、社名は伏せておきましょう。

ちょっと長くなったので、続きは、明日、お届けしましょう。

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