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March 11, 2019

3月11日に寄せて

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今日、3月11日は、2011年に東日本大震災が発生した日。8年目を迎え、被災した各地でも追悼行事が行われることと思います。

現在も2500名以上の方が行方不明というニュースに接すると心が痛みます。改めて被害に遭われた皆さまにお見舞いを申し上げます。

さて、このブログを古くからご覧になっている方は、ご存じのように、地震発生時、Feriはウィーンに滞在中でした。

こちらの時間では、早朝に地震が発生したこともあり、地震発生による大被害を知ることなく、市内観光に出かけた皆さまも多かったようです。

ちなみにORFの臨時ニュースで「東日本で巨大地震発生」の報を受けて、ウィーンから日本の実家に電話を入れましたが、当然、着信規制がかかっており、全くつながりませんでした。

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当日は週末の金曜日。Feriは、友人宅へ行く途中、地下鉄で移動中、偶然、ご一緒になった日本人観光客の方に「日本で大規模な地震があったようですよ」とお伝えしたところ、明確な反応が返ってこなかった記憶があります。

恐らく、まさか、これほどの大規模災害になっているとは想像ができなかったのだと思います。

友人宅に到着後、日本での震災被害を心配する方からのお電話が入っていたのが印象的でした。

当然、友人宅でも震災の話題になりましたが、この時点では詳細な情報(被害の本意など)が、はっきりせず、不安が募るばかりでした。

こちらでは、ORFの臨時ニュースでも色々な映像を交えて報道しているのですが、震源や被害範囲といった位置関係が全くわからないため、被害の全容がつかめないのです。

これは、こちらの方は、日本の地理に詳しくない訳なので、やむを得ないでしょう。

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当日は、夜、Badenでオペレッタ「シュヴァルツヴァルトの娘」を観賞する予定になっていました。日本の実家も心配でしたが、こちらでは何もすることができず、夕方、友人宅を後にBadenへ向かいました。

味のあるオペレッタでしたが、やはり連絡が全くつかない留守宅のことが気になり、作品に集中できませんでした。

オペレッタがお開きになり、Badenからウィーン市内へ戻ると、こちらでは深夜ですが、日本では12日の早朝。そこで再度、日本へ連絡を入れたところ、まず兄宅に電話がつながりました。

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兄の住まいとFeriの留守宅は近くなので、兄が留守宅に様子を見にいってくれたようです。

人的被害がなかったこと、建物も大きな被害ななかったことなどを聴き、まずは一安心。その後、留守宅にも電話がつながりました。

また、都内に勤めている親友からもメールで、東京の様子を伝えてきました。親友は勤務先から自宅へ戻ることができず、都内で一夜を明かすことになったようです。ウィーンでも、すでに日付は3月12日になっていました。

ウィーンでは3月12日も朝からORFが震災関連のニュースを流していました。ORFでは、主にCNNの画像を使って津波被害の報道をしていました。

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オーストリアは原子力災害に対して神経質な国なので、福島第一原子力発電所で問題が発生した頃から、歩道の中心は原発事故に移りました。

こちらについては、ORFの記者や専門家も交えて、詳細な報道をしていたのが印象的です。

3月12日は、以前から先輩宅で、午後から誕生パーティを行う予定になっていました。不謹慎ではありますが、とりあえずFeriの関係者の安否確認ができたこともあり、予定どおり、先輩宅へ向かいました。

先輩宅に集まったのはウィーン在住の日本人なので、その時、話題になったのは震災と原発事故のことでした。

地震で原発の建屋が倒壊した訳ではなかったので、Feriはてっきり緊急装置が作動し、原子炉が停止。

炉心の冷却も順調に進んでいるものと思っていました。その頃、現地では電源喪失により、炉心冷却が機能しなくなっていたとは、夢にも思っていませんでした。

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当日、Feriは夜、Volksoperで「チャールダーシュの女王」を観賞する予定になっていました。劇場では、知り合いの日本人オーケストラメンバーとお目にかかりましたが、話題は当然、震災のこと‥

この晩の「チャールダーシュの女王」ですが、指揮は、今は鬼籍に入られたRudolf Biblさんでした。

そして、シルヴァはシュタット・オペレッタ・ドレスデンからの客演Ingeborg Schöpfさん。そして、Anita Götzさんがアナスタシアでハウスデビューを果たした公演でもあります。

この時、3幕の「ヤイ、ママン」のリフレインが1回だけだったので、ガッカリしたことを覚えています。

しかし、日本ではFeriの想像を絶する大変な事態が進行しているのに、災害の全貌が見えなかったとは言え、のんびりオペレッタ見物とは‥知らぬとは言え、不謹慎なFeri。

2011年は、3月13日の日曜日が四旬節最初のミサでした。Feriはシュテファン教会のミサに参列しましたが、ミサの冒頭、日本の大地震にも触れていたのが印象的でした。

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当初から、当日、日本へ戻る予定になっていたため、ミサに参列後、シュヴェヒャート空港へ。まずはフランクフルトへ。ここで、日本航空の成田行き(JL408便)に乗り換える手はずです。

幸い成田からフランクフルトへの便は予定どおり運行しており、折り返し便も定刻とのこと。ただし、成田空港の状況が良くわからないという案内がありました。

実は、この時、Feriは極度の体調不良に陥っていました。どうやらインフルエンザにかかっていたようです(日本到着後、自宅近くの医院でインフルエンザとの判定が下りました)。

日本で多くの方が苦しんでいる時、遊びまくっていたので罰が当たったのかもしれません。

JL408便は定刻にフランクフルトを離陸。しかし、機内の雰囲気が非常に静かだったのが印象的です。また、外国人の乗客はほとんど見かけませんでした。日本人乗客も、日本の家族が心配なのでしょう。

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JL408便は順調にフライトを続け、新潟上空から被災した本州を横断し、15時30分、成田空港に到着しました。到着直前、地上交通がかなり混乱している旨の機内アナウンスが入りました。

ただ、停電の影響でイミグレーションが一カ所閉鎖になっていました。バゲイジクレイムなどでは大規模な被害は見受けられませんでしたが、到着ロビーに出て、驚きました。

JRは運休、京成は17時まで計画停電の影響で運休という案内が‥ Feriの場合、実家が京成線の沿線なので、とりあえず京成線の運転再開を待つことに‥

航空機は、ほぼ予定どおり到着しても、空港からの地上交通が機能していないため、空港駅や到着ロビーには人がどんどん増えていきました。

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Feriは、第2ビルからでは乗車が難しいと判断し、第1ビルへ移動。ここで京成線の運転再開を待つことにしました。

結局、予定よりも30分ほど遅れて京成線の運転が始まりましたが、当然のことながら、大混雑。

ちなみにFeriの実家がある最寄り駅は、大勢のお客さまが下りる駅ではなかったので、お客さまにご協力いただいてなんとか電車から出ることができました。

何とか日本の自宅へ戻ったFeriですが、インフルエンザで、しばらくは床から離れることができませんでした。そのため、当ブログの更新もお休みせざるを得ませんでした。

東日本大震災に際しては、その後、背か各国から様々な支援が行われましたが、オーストリアでも官民挙げて支援活動が行われたことは、このブログでもご紹介したとおりです。

ところで、当ブログのコメント欄を通じて、ウィーンでFeriと会いたいというリクエストをいただきました。日程調整を行っておりましたが、この時期、どうしてもウィーンを離れざるを得なくなり、今回はリクエストにお応えすることができなくなりました。

Feriも本当に残念です。また、機会があれば、お声かけくだされば幸いです。

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