« Volksoperのオペレッタを憂う-「偉大なるマンネリ」は否か-(上) | Main | 話題のスポット? HUAWEIの旗艦店 »

March 04, 2019

Volksoperのオペレッタを憂う-「偉大なるマンネリ」は否か-(下)

2019_03_01_0008

今日は昨日に続き「最近のVolksoperのオペレッタについて思うこと」を書き綴ってみます。

正直なところ、Feriは、最近のVolksoperのオペレッタ演出改訂で、期待以上の仕上がりだった作品に当たったという経験がありません。それでもPremiumに“わずかな期待を持って”通ってしまうのが、ファンの悲しい性‥

もちろん、これはFeri個人の受けとめ方ですから、「そんなことはない」「この作品は良かった」という方もいらっしゃると思います。

当ブログでは、Feriは、すべてチケットを正規の金額で購入している「自前観賞」です。劇場からのご招待はありません。

しかし、少しでも多くの方にVolksoperのオペレッタを楽しんでいただけるように、問題点だけを論うというスタンスではなく、極力、良いところを数多くご紹介するように心がけています。お客さまが少しでも増えることが、オペレッタの継続上演につながりますから‥

2019_03_01_0011

特に有名作品の改訂は、惨憺たるもの。時代設定を現代に切り替えた作品(最近では「パリの生活」や「オペラ舞踏会」)は、のきなみ落胆モードです。

というのは、ファンの皆さまはご存じのように、オペレッタの多くは、階級社会を揶揄した作品が多いため、時代設定を現代にすると、Feriには、今ひとつピンとこなくなってしまうのです。

もちろん、男女の恋がベースになっているので、時代が変わっても普遍的なところはありますが、「身分社会」が背景にあると、ニュアンスが変わってくるものです。

一方、最近では、いわゆる定番オペレッタの改訂と同時に、今まで注目されていなかった作品を取り上げるケースが増えています。

これは「この作品、観たことがない」というファンを視野に入れているのかもしれません。珍しい作品でしたら、地元のオペレッタファンも、1回は劇場に足を運んでもらえますからね。

2019_03_01_0006

ただ、万人受けするかどうかは別なので、継続上演して、満席になるかどうかは疑問ですが‥

「珍しいオペレッタ」の一つに、オペレッタ映画を舞台化した「会議は踊る」。

舞台版のオリジナルがなかったため、Feriも楽しく見ることができました。しかし、個人的には本作品の山場である「ただ一度だけ」のシーンがあっさりしていたのがねぇ‥ あそこは盛り上げてほしかったところです‥。

また、「白馬亭にて」は、近年、FeriがVolksoperで観たオペレッタの中では、最も気に入った作品です。

特に演奏が素晴らしかったですね。ただ、演出については、無駄を省き、全体的に洗練されていたRobert Herzl氏による前演出の方に、軍配が上がります。

本編と無関係なお芝居が色々なところで展開するのは、どうも本筋に集中できず、最期まで好きになれませんでした。

一方、当ブログにもたびたびコメントをお寄せ頂くオペレッタファンであるSteppke様の情報では、ドイツでは「オペレッタ復活の兆し」が見えており、劇場にはウィーンと異なり、若い人の姿も目立っているとか‥

2019_03_01_0012

ただ、演出については、かなり突飛な作品が多いという話です。

「突飛な演出でもお客さまが集まる」というのは、もしかしたら国民性の違いなのかもしれません。ドイツでオペレッタが再び上演されるケースが増えている背景には、国民性を踏まえた作品づくりが関係しているような気もします。

そのように考えると、オーストリアの国民性を踏まえたオペレッタを展開すれば、観客動員を上げることは不可能ではないのかもしれませんが、そんなことは劇場関係者は十分ご承知のこと。ここが難しいところなのでしょう。

また、Volksoperがオペレッタの観客を「地元のファン」に設定しているのか、「海外を含む広い音楽ファン」を対象にしているのかが、時々、わからなくなることがあります。

もし、地元のファンに足繁く通っていただくのであれば、ウィーン子の心を捉える作品と演出に加えて、お客さまを呼べるウィーン情緒を体現したオペレッタ歌手を育成することです。

2019_03_01_0010

しかし、オーケストラメンバーですら、オーストリア出身者が激減している現状では、歌手の場合、もっとハードルが高いと思います。

ただ、安易に客演に頼ると、結果として、アンサンブルのレベルが上がらず、長期低落傾向に歯止めがかからなくなります。

しかも、一流のオペレッタ歌手を育成するのには、時間がかかります。何しろ、オペレッタの場合、歌はもちろんのこと、お芝居単独の部分も多いため演技力も重要。更にスプレットやブッフォの場合は、派手なダンスシーンが入りますから、ダンスの素養も不可欠。ある意味、オペラ歌手よりも難しい面もあります。

一方、演出に関しては、素朴な疑問なのですが、Volksoperで「こうもり」のような演出が、なぜできないのか‥ということです。

もちろん、「こうもり」も何度か演出改訂を行っていますが、極端な変更はなく、非常に安心して観ることができる作品に仕上がっています。

2019_03_01_0001

ただ、「こうもり」については、地元のファンというより、海外からのお客さまを中心に置いているため、このような演出を続けている可能性もありますが‥

演出に関しては「偉大なるマンネリ」なのですが、出演者が気心の知れたアンサンブルであるため、状況に応じたアドリブなどが多く、Feriは、何度観ても飽きません。

最も、最近は、出演者のレベルが下がっているという話も耳にしたことがありますが‥鉄板オペレッタ「こうもり」ですら、アンサンブルで魅力的なキャストが揃えられないとすると、これは非常事態と言えるでしょう。

そう言えば、以前よりも「こうもり」も上演回数が減っていますね。Feriも最近は、ご無沙汰です。

かつて人気が高かったオペレッタの場合、出演者のレベルが高く、かつ魅力的であれば、演出はあえて大胆に改訂しなくても、お客さまがついてくる‥というものです。これが「偉大なるマンネリ」の真髄だと思っています。

もちろん、より、魅力的な作品にブラッシュアップするのは吝かではありませんが、奇をてらった演出を採用する必要はないと思います。

2019_03_01_0005

現在は、鬼籍に入られてしまいましたが、長年、オペレッタを深く研究していた中部地方にお住まいの大先輩がいらっしゃいました。

ご存命中に「最近のオペレッタの演出」についてのご感想を伺ったところ、やはりご不満を持っていました。「歌舞伎を現代の舞台設定や舞台装置で演じるようなもの」という表現を遣っていらっしゃったのが印象的です。

正直、最近のVolksoperは面白いオペレッタを上演していないから、足が向かないという日本人ファンの声をよく、耳にします。Feriの訪問回数が激減しているのは、個人的な事情もあるのですが、「万難を排して馳せ参じなくては」と思わせる作品が上演されていないことも遠因です。

20年間、Volksoperに通い続けたFeriですが、曲がり角にさしかかったような気がしている今日この頃です。

本当ならば「お客さまとの集い」でDirectorのRobert Meyerさんに、直接、この疑問をぶつけたいところですが、最近は日程が合わず、参加が実現していません。

このテーマについて、皆さまのご意見などがありましたら、是非、お伺いしたいと思っています。

※「人気ブログランキング」に登録しています。この記事がお気に召しましたら、下記のバナーをクリックしていただくとFeriの励みになります

Br_decobanner_201105_v_02

オペレッタ, in フォルクスオーパー |

« Volksoperのオペレッタを憂う-「偉大なるマンネリ」は否か-(上) | Main | 話題のスポット? HUAWEIの旗艦店 »

Comments

Feri さん、こんにちは。Steppke です。

登場させていただいたので、少々..

いつも言われている通り、主役級の男性歌手に人が居ないのが、ヴィンナ・オペレッタ衰退の主要な原因でしょうね。
王道の作品の多くは、ハプスブルク帝国の時代設定で、男性主人公は貴族や王族、或いは裕福な市民といった上流階級の人です。
没落していることも多いですが、立居振舞いから自然とその時代や階級の雰囲気を醸し出さねばなりません。

第一次大戦終結から100年を経た現代に於いては、Peter Minich さんや Waldemar Kmentt さん、或いは Sándor Németh さんのように、登場するだけでその時代を感じさせるような人は、もう望むべくもないのでしょう。
1985年に初めて日本で上演された Die Csárdásfürstin の Edwin 役だった Franz Waechter さんは、血筋もあって期待していたのですが、声を失った為か早々に脇役に回られてしまいました。
Kurt Schreibmayer さんや Morten Frank Larsen さんも良かったのですが、ちょっと雰囲気が違う感じでしたし、Sebastian Reinthaller さんは..(以下省略)

ヨーロッパには階級社会が厳然と残っており、生まれつき、そのような雰囲気をまとっておられる方もいらっしゃるのでしょうが、オペレッタ歌手にはなられないでしょうね。
それに、オペレッタで成功してオペラに行ってしまう歌手も多く、徐々に身につけるということもありません。


『ドイツでは「オペレッタ復活の兆し」』についてですが、「復活」かどうかは分かりません。
私が Komische Oper Berlin や Musikalische Komödie Leipzig に嵌ったのはせいぜい4年前くらいからで、Metropol-Theater Berlin が1996/97シーズンを最後に倒産して以来、暫くドイツではオペレッタに行っていませんでした。
つまり、ドイツでオペレッタが凋落して最近「復活」したのか、ずっと同じような傾向なのかは、不明です。

ただ、OPERABASE などで、ある1日、特に週末にドイツで上演されるオペラ等の演目一覧を見ると、オペレッタが結構多いことが分かります。
例えば、3月30日(土)には、以下があります。《 》内は上演される都市です。
・Der Bettelstudent (Millöcker)《Annaberg》
・Das Land des Lächelns (Lehár)《Heilbronn》
・Der Opernball (Heuberger)《Aschaffenburg》
・Orpheus in der Unterwelt (Offenbach)《Mannheim》
・Prinzessin Nofretete (Dostal)《Leipzig》
・Der Vetter aus Dingsda (Künneke)《Bautzen》《Passau》《Radebeul》(3都市)

今でも、それだけの需要があるのでしょう。私が行った限りでは、いつも満席かそれに近い入りでしたし、若い人も結構来ています。


また、演出に「かなり突飛な」ものが多いというのも、当たっていません。
Komische Oper は、オペラでもかなりぶっ飛んでいる舞台が多いのは確かですが、それ以外は突飛だとは感じられません。
まあ、そもそも最近のドイツ、特に大都市では、オペラでも伝統的な演出はほぼありませんし、セットや衣装にあまり経費も掛けられないでしょうから、「近代的な」舞台になってしまいますが。

それに、私が行っている作品はヴィンナ・オペレッタの王道ではなく、ベルリン・オペレッタや、ヴィーンで初演されたとしてもほとんど上演されて来なかった珍品の類(例えば Die Perlen der Cleopatra)です。
ハプスブルク帝国に対するノスタルジーは無く、伝統的な舞台である必要もありません。
Volksoper でも、近々再演される Axel an der Himmelstür や、6月に Wiederaufnahme となる Orpheus in der Unterwelt などが同様で、これらの作品には勢いが感じられます。

両方とも行く予定を立てており、どれだけの入りとなるかの興味も含めて、楽しみです。

Posted by: Steppke | March 11, 2019 21:12

Steppke様

久しぶりに長文のコメント、ありがとうございます。

私は近年、ドイツ詣は行っていないため、ドイツの現状は肌実感がありません。

一方、ウィンナオペレッタについては、階級社会がベースにあるのは事実で、これがネックになっているのかもしれません。

しかし、演出で、時代設定を現代にするなど、階級社会の色を薄めてしまうと、私個人としては魅力がなくなってしまうので、頭の痛いところです。

このあたり、Robert Meyerさんが、どのように考えているのかをうかがいたいところですね。

Posted by: Feri | March 13, 2019 13:26

Post a comment



(Not displayed with comment.)




« Volksoperのオペレッタを憂う-「偉大なるマンネリ」は否か-(上) | Main | 話題のスポット? HUAWEIの旗艦店 »