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April 30, 2019

オペレッタとオーストリアにはまった「Feriの平成時代」

201904300012恐らく、今日は多くのブログやホームページ、SNSで「平成」にまつわる記事が沢山エントリーされると思います。という訳で、Feriも便乗です(笑)。

今まで、改元は天皇陛下が崩御されて行われていたため、厳かな雰囲気はありましたが、華やかな雰囲気はありませんでした。

今回は、現在、生きている日本人が初めて経験する、事実上の譲位。

そのため、こちらのミレニアムに近い盛り上がりを見せているような気がします。新元号で盛り上がっても「不謹慎」という声は皆無でしょうし、逆に、経済効果を狙っているフシもありますので‥

ところで、こちらに長く住んでいる友人は、元号というものを意識していません。当たり前ですが、日常、西暦以外を使う機会がないのですから、当然ですね。

201904300003しかし、ウィーンと日本で二重生活をしているFeriの場合、日本国内の仕事では、現在も西暦に加えて元号を使うケースも多く、元号か変わることには、感慨深いものがあります。

しかし、今年限り「国民の祝日」となった4月30日と5月1日に仕事を休んでいる人がどれくらいいらっしゃるのかが気になります。サービス業は、ほぼ全て通常営業でしょうし、商品を供給する会社(工場)や物流も営業しているはずです。

インターネットで日本のニュースを見ると「10連休」を連呼して、多くの人が移動している光景が報道されますが、現役世代で10連休をとっている方は、どの程度、いらっしゃるのでしょうね。

このような歴史的出来事であるにもかかわらず、休むことができない「今の日本」に疑問を感じることがあります。

さて、Feriは、昭和時代に某大学の電気工学部を卒業して、社会へ出ました。入学当初はエンジニアを目指していたのですが、オイルショックの末期にあたり、製造業の求人は限りなくゼロ‥

同期の仲間も、教職や営業などエンジニア以外の仕事に就きました。Feriは、学生時代からお世話になっていた某出版社に、そのまま就職することになりました。

この出版社に入社直後、偶然、「ヨーロッパへの扉」が開かれました。上司の代理として出席した某大手旅行代理店の行事で行われた抽選会で、何とユーレイルパスが当選したのです。ちなみにFeriはくじ運が良くありません‥

もちろん、会社の権利ですが、社長や上司が「せっかくだからFeriさん使って良いよ」という温かい言葉をいただき、就職早々、夏に取材名目でヨーロッパへ出かけることになりました。

201904300014この時、ウィーンを含むオーストリアを訪問したのが、「オーストリアの深みにはまる」きっかけでした。

その後、ヨーロッパに魅了され、毎年、夏に休暇をいただいて、オーストリア、ドイツ、スイス、イタリアなどを巡っていました。

務めていた出版社は月刊誌を出していたので、まとまった休みをとると、先輩や同僚に大きな迷惑をかけます。

そんな中、旅費は時前ですが、取材名目で休暇を取らせてくれた社長や上司がいなかったら、ここまでオーストリアにはまることはなかったと思います。

ただ、この時期は、クラシック音楽に興味はあったものの、劇場が夏期休暇の時期だったため、現地でのオペレッタ、オペラ観賞とは無縁でした。

そう言えば、この間、平成2(1990)年に、ドイツ統一により、ドイツ民主共和国(東ドイツ)がなくなりましたが、昭和時代に東ドイツに行ったFeriとしては、想像もつきませんでした(写真は当時の東ドイツでお土産物として購入したドイツ民主共和国の国旗)。

月日は流れて昭和が終焉を迎えた頃、長年お世話になった出版社を退職し、全く新しい仕事に就きました。友人の紹介で、産業教育の分野へ転身しました。

201904300013新しい会社に就職したのは、平成元年7月。もちろん、就職した直後は休暇など取得できませんので、前の会社を辞して、新会社へ就職するまでの短い期間にオーストリアを訪れました。

忘れもしないオーストリア航空日本就航直後のことです。帰国便でオーストリア航空のA310に搭乗しました。長距離国際線でA310に搭乗したのは、後にも先にも、これ1回です。

 ところで、産業教育(社員教育)は、実施時期の変動が激しく、ピーク時はほとんど休みはとれません。反面、お盆の時期や年末年始は、全く仕事がなくなります。

そこで会社としても、その時期、まとまった休暇取得を奨励していました。ある意味、メリハリの付いた働き方です。

大正生まれの父親が、膵臓がんで亡くなったのは平成4(1992)年のこと。その後、再び母との同居が始まりました。

平成9(1997)年、Feriの直属上司が独立開業することになり、Feriにも声がかかりました。ゼロからの新会社立ち上げは色々な意味で興味があったので、上司と一緒にお世話になった会社を辞して、新会社の立ち上げにかかわりました。

新会社の立ち上げが終わった頃、母は街中で転倒し、大腿部骨折という怪我を負ってしまいます。

手術も無事おわり、リハビリも順調に進んだことから、母親に自信を付けさせるため、平成10(1998)年のクリスマスに母をウィーンとザルツブルクへ連れていくことにしました。

201904300007両親はクラシック音楽のファンで、Feriの就職後、何回か海外オペラの来日公演チケットをプレゼントしたことがあります。それが行き先をオーストリアにした理由です。

この時点では、劇場でオペラなどを全く見たことがなかったFeri。さすがに予備知識ゼロで国立歌劇場での鑑賞は敷居が高かったので、Volksoperでオペレッタ観賞を組み込みました。

今と違ってチケットを直接買う手段が限られていたため、クレジットカード会社の海外チケット予約サービスを利用しています。

この時、観たのが「Die lustige Witwe」。Robert Herzl氏の演出による舞台ですが、正に「滝に打たれたような衝撃」を受けました。

“世の中に、こんなに楽しい舞台芸術が存在するのか”というのが率直な感想です。仮に、この時、Volksoperへ足を運んでいなければ、ここまでオペレッタに傾倒することはなかったことでしょう。

201904300011その後、平成12(2000)年に「Die Fledermaus」、平成13(2001)年には「Die Csárdásfürstin」という当時の「鉄板オペレッタ」を観賞したことで、深みに引き釣り込まれました。

とくに「Die Csárdásfürstin」でSándor NémethさんのFeri Bácsiに当たったのが、決定打になりました。

結果的に2012年4月に行われたSándor Némethさんの引退公演も鑑賞できたのですから、Feriは幸せ者です。

この頃から、劇場の公演スケジュールで「観たい演目」が出てくるようになりました。Feriの「凝り出すと徹底的にのめり込む」行動パターンは亡き父譲り。

また、ブダペストやドレスデンに遠征するようにもなりました。夏のメルビッシュも通うようになりました。

201904300009新会社は、プロフェッショナル集団として「社員の自由度」を重視することを基本にしていたので、自分の食いぶちを稼げば、比較的自由に休暇を取ることができました。

定番以外のオペレッタは、一度、外れると再演は難しいことを知ったのも、この時期です。そのため、もったいないのですが、観たい演目がある場合は、ジェットセッターでウィーンへ行くことが増えました。

とは、言っても組織に属している以上、完全に時間が自由になる訳ではありません。VolksoperもFeriの都合に合わせてプログラムを組んでいる訳ではありませんから、涙を呑んでウィーン行きを断念したことが何度もあります(当たり前か‥)。

ちなみに、当ブログを開設したのは平成16(2004)年です。余談ですが、この頃、Volksoperのカーテンコールで撮影した写真に、後にブログがきっかけで、知り合いとなるオーケストラ奏者さん(現在は定年で退職されています)が写っていました。

 201904300006新会社での勤務も9年目を迎えた頃、ウィーンへ訪問する回数の増加と共に、ウィーン在住の知り合いも増えてきました。

平成17(2005)年、今までお世話になったオーストリアでも、何か仕事ができないかと考え、熟慮の末、自分で会社を興すことに決めました。

もちろん、オーストリアの仕事だけで、生計を立てることは困難なので、日本でも産業教育関連の仕事を続けながら、新事業を模索することに‥

今度は自分が経営者ですから、スケジュールも含めて、ある程度、自分主導でコントロールが可能です。そのため、平成18(2006)年以降、飛躍的にウィーン詣の回数が増えると共に、滞在日数が長くなりました。

Volksoperで観たオペレッタは平成20(2008)年は18回(7演目)、平成21(2009)年は21回(8演目)と増えていきました。自分で言うのも何ですが、完全に「はまって」いますね。

201904300008しかし、平成22(2010)年頃から、Volksoperでのオペレッタ上演数が減少に転じたこともあり、観賞数が減っていきました。 

 そんな中、ひょんなことから、平成24(2012)年にルームシェアリングでアパートを借りることに‥

今までのホテルを拠点とした生活から、「ウィーンに住む」という平成の初めには考えられなかったライフスタイルが始まりました。

アパートの場合、滞在日数が旅費に大きく響くことがないため、平成25(2013)年からは長期滞在が可能です。

201904300002結局、平成時代、Volksoperで観たオペレッタは、31年間で延べ222回になりました。

Volksoperでのオペレッタ観賞100回は平成22(2010)年2月5日(演目は「Die Fledermaus」)、そして200回は平成28(2016)年9月14日(演目は「Im weißen Rößl」)でした。

この間、DirectorもRobert Meyerさんに交代し、出演者や演出も大きく変わったのは、皆さまもご存じのとおりです。

Volksoperと元号は関係ないのですが、ある意味、「激動の平成時代」と言えるかもしれません。

ウィンナ・オペレッタの世界も、いわゆる名優の引退で、後継者難に見舞われています。そして、オペレッタの名指揮者Rudolf Biblさんが鬼籍に入られたのもショックでした。

201904300004オペラの世界でも、Feriが陶酔していたグルベローヴァさんが、事実上、オペラから引退し、一つの時代が終わりました。

色々な偶然が重なって、オーストリアとオペレッタにのめり込んだFeriですが、果たして「令和の時代」は、どのような展開が待っているのでしょうか。これだけは、自分でもわかりません。

そして、平成の半分は自分が立ち上げた会社で過ごすことになりました。

まさか、昭和の時代、社会人となった頃、このような将来が待っているとは本人にも想像がつきませんでした。

これも多くの皆さまとの出会いが影響していることは間違いありません。

Feriは、今まで色々な形でお世話になった皆さまの顔を思い浮かべながら、GRÜNER VELTLINERを傾けて「平成の締めくくり」としたいと考えています。

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Comments

ご無沙汰しております。Zsupanです。回顧録興味深く拝読させていただきました。今回は取り急ぎ情報提供させていただきます。WVOのチャールダッシュの女王の新演出がYouTubeでフルでみられます。ORFの録画でしょうか、著作権の扱いは不明ですが、下記にURLを記しておきます。取り急ぎご報告まで。
https://www.youtube.com/watch?v=FQTgDzl79Xc&t=732s

Posted by: Zsupan | April 30, 2019 20:29

Zsupan様

コメントおよび情報提供、ありがとうございます。実はPremiere直後に、この映像は知っていましたが、正式な許可を得ていないと思われたため、ご紹介は控えておりました。

Posted by: Feri | May 02, 2019 05:04

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