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December 20, 2019

Mariahilfer Straße今昔物語

20191219001今日は今の時期、最も賑わうウィーンの繁華街「Mariahilfer Straßeの話題」をお届けしましょう。

先日、日本に住むFeriの親友から懐かしい写真が送られてきました。1983年夏、一緒にウィーンを訪問した際に撮影した写真です。視点が高い理由は、当時、運航されていた2階建て路線バスから撮影したため。

Feriは、この写真を一目見て、場所がすぐに特定できました。Mariahilfer StraßeとNeubaugasse/Amerlingstraßeの交差点です(Mariahilfer Straßeを境に北側がNeubaugasse、南側がAmerlingstraße)。58系統の停留所名はAmerlingstraßeでした。

写っている路面電車は、U3の開業と同時に廃止された58系統です。当時、58系統はUnter St. Veit, Hummelgasse- Mariahilfer Straße-Burgring間を結んでいました。

20191219002日本で言えば、東京の銀座通りを走っていた都電といったイメージです。58系統はU3開業後、Mariahilfer Straße区間が廃止され、Westbahnhof-Unter St. Veit, Hummelgasse間になりましたが、このブログでもお伝えしたように2017年9月に廃止されました。

ウィーンに到着した親友とFeriは、この路線バスを見つけて、乗ってみようという話なったという訳です。都心側からWestbahnhof側を撮影しているのですが、順光になっているところから、午前中の撮影で間違いありません。

さて、この手の写真で気になるのは、写っている車両だけではありません。現在、街の風景やお店がどう変化しているかという点です。

という訳で、さっそく、この写真のコピーを持ってAdventで賑わうMariahilfer Straßeへ出撃して、定点撮影と街のチェックをしてきました。

20191219003あいにくAdventの時期で、通りに屋台が多数出ているため、同じ場所で撮影しても雰囲気が若干異なるのが残念なところ。

左奥に尖塔がある建物は今も健在です。しかし、35年間も経過すると、店舗は大きく様変わり。その中で現在も営業している店舗がありました。

それが、オリジナル写真の右側に写っている薬局とタバコ屋。いずれも規制業種なので、何となく継続営業している理由がわかる気がします。

ちなみに薬局は、先日、確認したところKREUZ APOTHEKEという屋号で、恐らく屋号も変わっていないと思います。しかし、それ以外は当時、営業していたホテルもなくなり、McDonald'sに代表される外国資本の店舗が入るなど、様相が一変しています。

オリジナルの写真では、Kodakの看板が見えますが、恐らく写真店だったのでしょう。今ではKodak社そのものが、なくなってしまいました。

20191219004建物については、一部は建て替えられて伝統的な姿から一変しているところも‥
ちなみに現在、尖塔のある建物1階はBAWAG PSKの支店が入っています。ご存じのように、この銀行は郵便局の金融部門が独立して生まれた合弁会社です。

現在、Mariahilfer Straße地下を走っているU3は、1991年4月、Erdberg-Volkstheater間が開業。Mariahilfer Straßeの地下を走るようになったのは、この写真の撮影から10年後、Volkstheater-Westbahnhof間が延長開業した1993年8月のこと。

なお、U3の両端が延長されて、全面開業したのは比較的新しく、2000年11月のことです。と言っても19年前ですね。

20191219005先日、ウィーン交通博物館Remiseで開催されていAdventmarktに出かけた際、「50 Jahre U-Bahn-Bau」というパネル展を行っていました。

年ごとに1枚のパネルにまとめられており、地下鉄建設工事中の興味深い写真が多数、出ていました。そして1990年のパネルには、Mariahilfer StraßeでのU3工事中の写真がありました。

ちょうどNeubaugasse駅を作っているところで、既に駅の躯体ができあがっています。

20191219006ご利用になった方はご存じかと思いますが、Mariahilfer Straßeは両側に建物があるため、上下2段構造になっています。

ウィーンの地下鉄は地上への影響が少ないシールド工法が採用されるケースが多いですが、液部分については、どうしても液設備が必要な関係で地上から掘り下げる開削工法が採用されます。

地上から掘削しているため、路面電車の軌道が変更されていることがよくわかります。この区間の営業開始は1993年ですから、開業3年前。ちょうど、工事が最も盛んになっていた頃の写真でしょう。

写真はWestbahnhof方面を撮ったもので、奥の左側には件の「尖塔の建物」が確認できます。

20191219007一方、乗車した路線バスは、現在は13Aが継承している路線で、系統名は同じですが、当時はSüdbahnhof-Skodagasse間を結んでいました。今は道路事情が変わったため、運行ルートが若干異なりますが、系統番号が継承されているのは歴史を感じさせます。

この路線に2階建てバス(Type DDH 200/43/16)が投入されていたのは1977年7月から1990年6月まででした。現在も13Aはウィーンの路線バスでも輸送量が多い路線で、連節バスが使用されていますが、事情は、当時も同じだったわけです。

20191219008ちょうど、2階客席から前方を撮った写真にSüdbahnhof行きの13Aの2階建てバスが写っているものがありました。場所は恐らく、道路(車線)の構造から、その後、Feriがお世話になる5区、Pilgramgasseではないかと推察されます。

U3の完成後、路面電車は廃止され、通常の道路になりました。しかし、その後、緑の党などの働きかけで、Mariahilfer Straßeを歩行者優先道路に変革するプロジェクトが始動します。

20191219010結果として、このブログでも工事の進捗状況をご紹介してきたように、現在は歩行者優先区間が非常に拡大されています。13Aが一部区間、Mariahilfer Straßeを通りますが、歩行者に配慮して、速度制限がかかっています。

今の時代だったら地下鉄開業、路面電車廃止の時点で、歩行者優先道路にしたかもしれませんが、さすがに1993年当時では、そういった動きはなかったのでしょう。

そして、これからNeubaugasseとMariahilfer Straßeの交差点付近では、U2の延伸工事が本格的に始まりますが、同時にNeubaugasseのリニューアルプロジェクトも推進されます。

車道と歩道の区別をなくし、基本的に歩行者優先道路に生まれ変わります。樹木なども整備されるようです。

201912190011Neubaubasseで工事が始まるため、13Aは2020年1月13日から路線が南北分割されることになりました。

北部路線は路線図のようにAlser Straße/SkodagasseからBurggasse経由でVolkstheaterへ。ここで折り返してNeustiftgasse経由で Alser Straße/Skodagasseへ向かいます。

一方、南部路線はU3のNeubaugasseで折り返し、Schadekgasseを経由してHauptbahnhofに向かいます。このように工事中は、北部13Aと南部13Aは直接、乗り継ぎができず、U3を使って乗り継ぐことになります。

20191219009そして、工事が完了する2020年秋からU2延伸工事の関係で、13Aは新ルートを走ることになり、Mariahilfer Straßeを通ることはなくなります。

この36年の間にMariahilfer Straßeを取り巻く環境は激変しました。初めて訪問した時の写真を見て、色々な思いが頭をよぎります。

今、Mariahilfer Straßeを歩いている人の多くが、ここに路面電車が走っていたことを知らない世代でしょう。

そして、まさか1983年当時、30周年後、自分がこの街をホームグラウンドにすることになるとは、考えてもみませんでした。

それにしても1枚の写真から、このような話を膨らませることができる自分がちょっと怖いですね(笑)。

さて、40年来の付き合いになる親友も2020年には定年を迎えます。お互い、元気で動けるうちに、彼をウィーンの馴染みのホイリゲへご案内し、心ゆくまで当時のことを語り合える機会を持つことができれば‥送られてきた写真を見ながら、そんなことを考えるFeriです。

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