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April 12, 2020

シュテファンドーム大火災から75年(Vor 75 Jahren brannte der Stephansdom)

20200412001今日は「シュテファンドームの話題」をお届けしましょう。第2次世界大戦末期、1945年4月12日、シュテファンドームが火災に見舞われ、聖堂の屋根と鐘楼が全焼しました。

火災原因については、色々な説がありますが、シュテファンドーム周辺の家屋に略奪者(どこの人かはわかりません)が放火し、その火が燃え移ったという見方が有力です。

何世紀にもわたり、ウィーンで最も高い建物(南塔は136.7メートル)だったシュテファンドームは、かつてはウィーン市の消防署(望楼としての機能)も兼ねていました。

実際、ウィーン旧市街を上空から見ると、今でも高いシュテファンドームの存在感が抜群ですね。

20200412004そして、意外と建物が密集しており、周囲がゴチャゴチャしており、延焼しやすそうな場所であることもわかります。

1945年4月、侵攻してきたロシア軍と戦闘状態にあったナチスは、戦局が劣勢になったことから、西側へ撤退を開始。同時に消防隊に対しても、ウィーンから隊員と装備の退去する命令が出ていたそうです。

しかし、そんな中でも、命令に反抗し、住民を守るため、ウィーン市内に残った消防隊員もいました。

20200412005Leopold Meister(レオポルド・マイスター)という消防士も、その1人で、当時の模様を回想録に記述しています。

周囲の火災から発生した火の粉などが大聖堂に燃え移り、内部のオルガンも延焼。外壁から屋根に燃え移り、12日の午後、22トンの鐘(Pummerin、プムメリン)が鐘楼と共に地上に落下しました。

13日の夜には、屋根が全焼し、礼拝堂内に崩落したとされています。

皆さまもご存じのようにプムメリンは、1683年、にオスマン帝国軍が敗退した際、残していった大砲などの武器を溶かし鋳造したものです。

20200412006シュテファンドームの火災発生、数日前から連合軍の空爆により周辺の建物で火災が発生していました。

しかし、一部の消防士や聖職者、若い教師などが、限られた消防機材を使って協力して消火に当たり、シュテファンドームへの延焼を食い止めていました。

Feriは、以前はてっきり連合軍の空爆でシュテファンドームが焼失したと思っていたのですが、連合軍もシュテファンドームを攻撃目標から外していたようです。

先ほどもご紹介したように略奪者が、誰もいない近隣の建物に火を放ち、火の粉が折からの強風に煽られ、過去の攻撃で穴が開いていた屋根から礼拝堂内に侵入し、大火災に至ったとされています。

20200412003屋根の崩壊により、大量の瓦礫が主祭壇付近に落下し、大規模な被害が発生しました。戦時中なので、詳細は記録は少ないようですが、2019年4月に発生したパリのノートルダム大聖堂の火災と同じような状況だったと考えられます。

第2次世界大戦終結後、ウィーンというよりオーストリアのシンボルであるシュテファンドームは、多くの人の寄付などを受けて修復が始まります。

屋根トラスは消失前はカラ松を使っていましたが、再建に当たっては軽量鉄骨構造に変更されました。ただ、屋根の傾斜や高さは消失前のものを踏襲しており、1950年に新しい屋根が完成しました。

20200412002そして、1952年4月23日、シュテファンドームは再建され、記念式典が行われました。

そして、1952年4月23日、シュテファンドームは再建されました。大火災に遭ってから、7年という短期間での修復には驚かされます。

なお、前日にはSt. Florianで鋳造されたプムメリンがウィーンに到着。シュテファンドーム横の足場に仮設置されています。

消防本部はアム・ホーフにありますが、火災を発見するための望楼としての機能は1955年末まで継続されたそうです。

20200412007皆さまもご存じのように、戦後、火災から修復されたシュテファンドームですが、現在も継続的に修復工事が行われています。訪問する時期によっては、尖塔に足場がかかっていることもありますね。

20200413001ところで、当時、シュテファンドームの消火作業に携わったLeopold Meister消防士ですが、戦後も1966年までウィーン消防本部に勤務していたそうです。

さて、4月12日のイースター・ミサはシュテファンドームでも執り行われましたが、信徒を入れない形で行われてました。その様子はORFで中継されています。礼拝堂の席には、信徒の写真が飾られたようです。左は、当日の模様を伝える記事です。

一方、バチカンのサンピエトロ大聖堂で行われたイーサ-・ミサも信徒を入れない形で行われていますが、フランシスコ教皇は、悲観主義に陥らないように注意を促す一方、“希望は単なる楽観主義ではない。イエスが死を乗り越え、復活したことに希望があるのだ”と述べていました。

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