75周年を迎えたMA48
今日は「誕生75周年を迎えたMA48の話題」をお届けしましょう。
ゴミ収集や道路清掃、冬期除雪から廃棄物の各種リサイクルまで、現在では幅広い住民サービスを提供しているMA48(Magistratsabteilung 48)が、2021年3月1日、創立75周年を迎えました。今回は、誕生にまつわるエピソードも交えてご紹介しましょう。
1946年3月1日、Körner市長の下、「Magistratsabteilung 48 - Fuhrwerksbetrieb und Straßenpflege」が設立されました。
当時、ウィーンは、第2次世界大戦の戦災で「廃墟の街」と化していました。創立されたMA48、最初の仕事は爆撃で破壊された約85万平方メートルの戦災瓦礫と、約20万平方メートルの路上ゴミを一掃することでした。
日本の大都市も連合軍の空爆で破壊されましたが、木の住まいが多かったことから、焼夷弾が使われました。
余談ですが、米軍では焼夷弾攻撃に際して、アメリカ本土に日本の木族家屋の街並みを再現し、そこで効果的な焼夷弾攻撃を実行するための燃焼実験を行ったという記録も残っています。
一方、ウィーンをはじめとするヨーロッパの場合、空爆の対象となる大都市は石造りの住まい(集合住宅を含む)が多いため、爆弾が使われましたが、戦災瓦礫の処理が大きな問題になったのでしょう。
当時、使用可能な車両は11台しかなかった上に、3ヵ所あった車庫も占領軍に接収されたり、戦災を受けて使えなくなっていたようです。また、瓦礫の処理に必要な機材やゴミ箱も不足している中での、作業だったようです。
このような困難な状況下、MA48の職員は創意工夫で困難を乗り切りましたが、この精神が、今日まで引き継がれています。
当時からゴミ収集に加えて、道路清掃、冬期除雪や凍結防止、公衆トイレの運営、官用車の運行なども担当していました。
設立、数年後には消防関係を除く車両調達、廃棄物不法投棄防止、廃棄物アドバイス、廃棄物リサイクル、廃棄物処理、レッカーサービス、遺失物サービスといった新しい業務が追加されました。
Feriは、MA48設立のきっかけが戦災瓦礫処理だったいう事実を初めて知りました。
さて、戦後復興と経済の好転により、廃棄物の量が大幅に増加しました。当時、ウィーンでは、廃棄物は穴に詰める処理する埋立式でした。
しかし、1950年代末になると、使用済み埋立地の有限性が認識され、廃棄物処理の新しい方法としてサーマルリサイクルが採用されました。さらに環境意識の高まりを受けて、ウィーンの廃棄物処理のエコロジー化が急速に進展します。
1963年、ウィーン初のごみ焼却施設がFlötzersteigに開設されます。同施設は、Spittelau 、Pfaffenauの両清掃工場とともに、現在も稼働中です。
現在、ウィーンでは、年間57万5000トンの廃棄物がリサイクルされています。また、52万6000トン以上の廃棄物(粗大ゴミを含む)は、排気ガス浄化システムを持つ焼却プラントで焼却処分されていますが、そのエネルギーは電力や地域暖房に活用されています。
なお、ウィーン市では、廃棄物処理は、可能な限り市内で実施しています。
このブログでもお伝えしているように生ゴミについては、MA48自身が肥料などに再生し、住民に提供されています。これは園芸や家庭菜園を行っているウィーン子には人気があります。
そして、現在、再活用可能なものを回収して、MA48が運営するリサイクルショップで販売するようになりました。これもゴミの削減に一役買っています。
Recent Comments