February 15, 2020

懐かしのWestbahn Hotel

20200214004今日は「ウィーンにまつわる思い出話」です。

Feriが初めてウィーンを訪問したのは1979年のことでした。ただ、この時は、夜行列車でウィーン入りして、1日、市内を回って、再び夜行列車で次の目的地に向かったので、ウィーン市内で宿泊はしていません。

宿泊を伴うウィーン訪問は、その翌年でした。友人と一緒に、ユーレイルパスを使ってドイツ、スイス、オーストリアを鉄道で回っていたので、ウィーン到着は、当然、WestBahnhof。

ÖBBの長距離列車がHauptbahnhofへ移ってしまった今日では考えられないくらい、華やかで賑やかでした。

20200214001当時はバックパッカーのような旅をしていたので、駅の近くに泊まるのが定番。別に予約をしていた訳ではありませんが、駅を出て左側にあったWestbahn Hotelを選びました。

ホテルに荷物を置いて、旧市街へ向かい路面電車などを撮影したのも、今となっては思い出です。その後、しばらくはウィーン訪問時には定宿として利用していました。

先日、Feriの親友から、“そう言えば、西駅の近くにあったWestbahn Hotelは、今でもやっているのかな?”というメールが来ました。

20200214003以前は駅正面の出口を出ると、左側に見えたのですが、再開発で左側に大きな建物(Motel Oneが入っていますね)ができたため、見えなくなりました。そのため、FeriもWestBahn Hotelの存在を忘れていました。

という訳で、先日、所用があってMariahilfer Straßeに行った時、帰りに寄ってみました。まぁ、ネットで検索すればすぐにわかるのですが、やはり現地で確認したいものです。

Westbahn Hotelは現在も営業中でした。中には入りませんでしたが、親友との懐かしい思い出が蘇ってきました。

建物の建て替えは行われていませんが、リニューアル工事を実施したようで、窓周辺のデザインが「今風」に変わっています。

恐らく客室は、大幅にリニューアルされて、快適なホテルになっていることでしょう。しかし、屋上に掲げられた看板は、当時と変わっていないような気がします。

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December 20, 2019

Mariahilfer Straße今昔物語

20191219001今日は今の時期、最も賑わうウィーンの繁華街「Mariahilfer Straßeの話題」をお届けしましょう。

先日、日本に住むFeriの親友から懐かしい写真が送られてきました。1983年夏、一緒にウィーンを訪問した際に撮影した写真です。視点が高い理由は、当時、運航されていた2階建て路線バスから撮影したため。

Feriは、この写真を一目見て、場所がすぐに特定できました。Mariahilfer StraßeとNeubaugasse/Amerlingstraßeの交差点です(Mariahilfer Straßeを境に北側がNeubaugasse、南側がAmerlingstraße)。58系統の停留所名はAmerlingstraßeでした。

写っている路面電車は、U3の開業と同時に廃止された58系統です。当時、58系統はUnter St. Veit, Hummelgasse- Mariahilfer Straße-Burgring間を結んでいました。

20191219002日本で言えば、東京の銀座通りを走っていた都電といったイメージです。58系統はU3開業後、Mariahilfer Straße区間が廃止され、Westbahnhof-Unter St. Veit, Hummelgasse間になりましたが、このブログでもお伝えしたように2017年9月に廃止されました。

ウィーンに到着した親友とFeriは、この路線バスを見つけて、乗ってみようという話なったという訳です。都心側からWestbahnhof側を撮影しているのですが、順光になっているところから、午前中の撮影で間違いありません。

さて、この手の写真で気になるのは、写っている車両だけではありません。現在、街の風景やお店がどう変化しているかという点です。

という訳で、さっそく、この写真のコピーを持ってAdventで賑わうMariahilfer Straßeへ出撃して、定点撮影と街のチェックをしてきました。

20191219003あいにくAdventの時期で、通りに屋台が多数出ているため、同じ場所で撮影しても雰囲気が若干異なるのが残念なところ。

左奥に尖塔がある建物は今も健在です。しかし、35年間も経過すると、店舗は大きく様変わり。その中で現在も営業している店舗がありました。

それが、オリジナル写真の右側に写っている薬局とタバコ屋。いずれも規制業種なので、何となく継続営業している理由がわかる気がします。

ちなみに薬局は、先日、確認したところKREUZ APOTHEKEという屋号で、恐らく屋号も変わっていないと思います。しかし、それ以外は当時、営業していたホテルもなくなり、McDonald'sに代表される外国資本の店舗が入るなど、様相が一変しています。

オリジナルの写真では、Kodakの看板が見えますが、恐らく写真店だったのでしょう。今ではKodak社そのものが、なくなってしまいました。

20191219004建物については、一部は建て替えられて伝統的な姿から一変しているところも‥
ちなみに現在、尖塔のある建物1階はBAWAG PSKの支店が入っています。ご存じのように、この銀行は郵便局の金融部門が独立して生まれた合弁会社です。

現在、Mariahilfer Straße地下を走っているU3は、1991年4月、Erdberg-Volkstheater間が開業。Mariahilfer Straßeの地下を走るようになったのは、この写真の撮影から10年後、Volkstheater-Westbahnhof間が延長開業した1993年8月のこと。

なお、U3の両端が延長されて、全面開業したのは比較的新しく、2000年11月のことです。と言っても19年前ですね。

20191219005先日、ウィーン交通博物館Remiseで開催されていAdventmarktに出かけた際、「50 Jahre U-Bahn-Bau」というパネル展を行っていました。

年ごとに1枚のパネルにまとめられており、地下鉄建設工事中の興味深い写真が多数、出ていました。そして1990年のパネルには、Mariahilfer StraßeでのU3工事中の写真がありました。

ちょうどNeubaugasse駅を作っているところで、既に駅の躯体ができあがっています。

20191219006ご利用になった方はご存じかと思いますが、Mariahilfer Straßeは両側に建物があるため、上下2段構造になっています。

ウィーンの地下鉄は地上への影響が少ないシールド工法が採用されるケースが多いですが、液部分については、どうしても液設備が必要な関係で地上から掘り下げる開削工法が採用されます。

地上から掘削しているため、路面電車の軌道が変更されていることがよくわかります。この区間の営業開始は1993年ですから、開業3年前。ちょうど、工事が最も盛んになっていた頃の写真でしょう。

写真はWestbahnhof方面を撮ったもので、奥の左側には件の「尖塔の建物」が確認できます。

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December 10, 2019

Volksoperncaféの思い出

20191209005今日は「11月に閉店したVolksoper前のcaféにまつわる思い出話」です。

記事を掲載してから、パソコンに保存してある写真をチェックしたところ、Volksoperncaféの見落としていた懐かしい写真が出てきました。

「記憶ではなく、記録」と言われるように、ちゃんと整理しておかないと短時間で、必要な写真や資料を探すことができないという典型です‥

先日の記事では、Volksoperのイラストが描かれたシュパイゼカルテをご覧頂きましたが、その後、店内の写真をあしらったものに変わりました。

20191209007写真は、今から12年前の2007年に撮影したものですが、10月の休店日が印刷されています。ということは、毎月、シュパイゼカルテを印刷していたのでしょうかね。

営業時間も最近とは異なり、月曜日から土曜日までは16時~午前1時、日曜日は15時~24時となっており、日中の営業は行っていませんでした。営業時間を見ると、完全にVolksoperのソアレに的を当てて営業していることがわかります。

20191209008そして、写真の下には1958の文字が‥どうやら1958年に営業を開始したようです。庶民的なcaféとして、劇場と共に歴史を刻んできたのですね。

Feriは、当時、基本的に観劇の後、クールダウンを兼ねて、ここで軽食をとってから、ホテルへ戻るのが決まった行動パターンでした。だから従業員さんに覚えられた訳ですが(笑)。

20191209009Feriが好んでオーダーしていたのはSchinkenkäsetoast。今、シュパイゼカルテを見ると「Kleine Kaffeehausspeisen」というカテゴリーに入っていました。

ちなみに、このカテゴリーにはFrankfurterやGulaschsuppeなども入っており、充実した「軽食」が特徴。やはり場所柄、本格的なお食事よりも軽食をとるお客さまが多いことから、こういった編成になったのでしょう。しかし、カテゴリーの名前が洒落ていますね。

20191209001ダウンライトが印象的なカウンター席。こちら仕様のカウンターなので、カウンターも高めで、足の短いFeriなどは、椅子に座ると不安定でした。

そのため、基本的にテーブル席を使っていましたが、開演前の混雑時には、やむを得ず、カウンター席を利用したこともあります。ちなみに、カウンターの奥に写っている男性が当時のオーナーさんだと思います。

20191209004ところで通常、シャニガルテンには歩道上でもビーチパラソルや天幕が設置されているケースが多いのですが、トップの写真をご覧になるとわかるように、この店は単純に椅子とテーブルを置いただけでした。

なお、後年になってビーチパラソルを設置していた時期はありました。

もう一つ、全回の記事では、“Feriが利用するようになった頃には「Kegelbahn」は既に営業中止になっていた”と書きましたが、その後、同店の窓に「Kegelbahn Frei」と書かれた看板が掲げられている写真が出てきました。

20191209010撮影したのは2004年5月。手で窓に掛ける看板(鹿も2枚)なので、営業していたのは間違いありません。

ということは、少なくともFeriが通い始めた頃には、まだ営業をしていたことになります。

オーストリアでは、一時期、ボーリングに似たゲーム「Kegelbahn」が大変な人気を集めたようで、地方の街でも競技場が開設されていたようです。ちなみにFeriが夏に訪れるLungauになるTamswegのホテル地下にも、かつてKegelbahnの競技場があったようです。

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June 26, 2015

GMÜNDの思い出

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今日は「オーストリアの小さな街GMÜNDのお話」です。

普通の方はGMÜNDと言われてもピンとこないと思いますが、ニーダーエスターライヒ州にある「チェコとの国境の町」です。Feriが訪問したのは1991年夏のことでした。

Waldviertelbahnという狭軌鉄道で夏の間、ダンプフ・ブンメルツークが運転されているため、その撮影を目的に訪問したものです。

この時は日本からミュンヘンに向かい、ここでレンタカーを借りてオーストリアへ入りました。オーストリア最初の訪問地がGMÜNDです。ダンプフ・ブンメルツーク撮影のお話は、あまり面白くないと思うので、省略。

ちなみに、ダンプフ・ブンメルツークはGmünd -Groß Gerungs間で運転されていました。今でも、この狭軌鉄道は健在で、ディーゼルカーを使った定期旅客輸送やブンメルツークの運転も行っています。

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December 25, 2014

Lungauのクリスマス、20年前の珍道中(下)

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現在、Feriはアメリカからクリスマス休暇でオーストリアにやってきた親友家族のご接待中。そこで、仕込み記事でご容赦ください。

今日も、昨日に引き続き「Lungauのクリスマス、20年前の珍道中」をお届けしましょう。

翌、25日は曇り。山間なので明るくなるのも8時頃です。ホテルなので朝食は通常通り。ホテルの朝食堂には、どうやって入れたのだろという巨大なツリーが飾ってありました。

ただし、ベッカライが休みなので、センメルではなく、スライスしたブロートでした。誰もいないと思っていたら、スキー靴を履いたドイツ人家族がやってきました。これにはちょっとビックリ。

この当時、休日はMurtalbahnの旅客列車は全て運休。本数が少ない代行バスだけになります。バスの発車時刻の関係で、8時からのミサに参列しましたが、地方の街らしい、感動的なミサでした。

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December 24, 2014

Lungauのクリスマス、20年前の珍道中(上)

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今日はクリスマスイブですが、皆さまは、どのようにお過ごしになるでしょうか。

こちらの皆さんは、ご家族と過ごすのが普通なので、街は午後から静かになっていきます。

さて、今日は「田舎で過ごしたクリスマスの話題」をお届けしましょう。

クリスマスの時期、通常はウィーンに滞在していることが多かったのですが、1994年12月、いつも夏に訪問しているLungauへはじめて行くことにしました。

夏はレンタカーを使って行くのですが、さすがに冬は凍結した道路を運転する自身がないため、公共交通機関を使うことにしました。

ただ、Lungauは公共交通機関で行くのは非常に不便な場所。というのはザツルブルク州ですが、タウェルン山脈の南側、州の南端にあるためです。

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November 10, 2014

「ベルリンの壁」崩壊から25年 1989年の思い出‥

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1989年11月9日、西ベルリンと東ベルリンを区切っていた「ベルリンの壁」が崩壊し、事実上、東西冷戦が終結しました。今年で25年を迎えることになります。四半世紀前の出来事ですね。今日は、その当時の思い出話を綴ってみたいと思います。

ご存じの方も多いと思いますが、「ベルリンの壁」は、突然、崩壊したわけではありません。その前に、ハンガリー共産党政権の民主改革と、ハンガリー・オーストリア両国間の国境の自由化(国境線にあった鉄条網撤去)がありました。

その結果、当時、東ドイツに住む国民が、ハンガリーからオーストリアを経由して旧西独に亡命していったのです。つまりハンガリーとオーストリアが、「ベルリンの壁」の崩壊に大きく寄与していた訳です。

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August 09, 2014

懐かしのÖBB時刻表

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今日は「懐かしのオーストリア」の一環として、「時刻表の話題」をお届けしましょう。

1980年代、Feriはヨーロッパ旅行の祭は、移動手段に鉄道を使っていました。鉄道が好きだったこともありますが、ヨーロッパ居住者には購入できない記名式のEURAILPASSがお得な値段で販売されていたこともあります。

事前にキップを買う必要がないので、途中で予定を変更することも可能な点も魅力でしたね。実際、面白いものを発見した時など、同行した友人と「ここで、下りよう」と即決して、下車したこともたびたびありました。

さて、鉄道旅行となると必需品は時刻表です。今ではインターネット経由で時刻表や列車の検索が容易にできますが、当時は、紙ベースの時刻表に頼るしかありません。当時、日本で手に入るヨーロッパの鉄道時刻表と言えば、これまたおなじみのトーマスクックが発行しているもの。

当時、Feriは毎年購入して、事前のプランニングに役立てていました。ただ、トーマスクックの時刻表はヨーロッパ主要国をカバーしている点はありがたいのですが、ローカル線になると、事実上、お手上げでした。

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February 26, 2014

銀塩写真の思い出(その2)

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今日は、昨日に引き続き「銀塩写真の思い出」です。

当時、フィルムが不足した場合、現地で購入することはできますが、自分が常用している銘柄が手に入らないことが多いので、原則、日本から旅行中に使うフィルムは全数持っていくようにしていました。

というのは、当時、ヨーロッパではドイツ・アグファ社が市場を握っており、Feriが常用していたコダック社のフィルムは、専門店に行かないと入手が難しかったのです。とくにプロ用のフィルムは、更に入手が困難でした。

さて、デジタル写真世代にはピンとこないかもしれませんが、フィルムを使って写真撮影を行うと、帰国後、現像という課程が待っています。モノクロの場合、自分で現像も可能ですが、ポジカラーについては街中の写真屋さんでも対応できず、ラボと呼ばれる現像所に委託する必要があります。

この現像料金が、結構、高かったのが頭が痛かったですね。概算ですが、現像にはフィルム本体の料金程度が必要でした。

モノクロについても、本格的に観賞するためには、さらにプリントする必要があります。デジタル写真の場合、パソコン用のプリンターで簡単に印刷できますが、当時、フィルムの場合は暗室にこもってプリントをするか、写真屋さんに外注するしか手がありませんでした。

余談ですが、今でも「デジタルカメラで撮影したROWの画像データーを加工する行為を「現像」と言いますが、これは銀塩写真時代の名残ですね。銀塩写真は化学処理、デジタル写真は電気処理ですから、その内容は全く異なりますが‥

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February 25, 2014

銀塩写真の思い出(その1)

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ソチオリンピックも閉幕し、冬のお祭りも一段落‥といったところですね。今年はイースターが遅いので、国立歌劇場の舞踏会は27日に開催されます。

さて、今日は「懐かしい写真の話題」をお届けします。

先日、甲斐 栄次郎さんの写真集を見ていて、Feriもフィルムを使って写真撮影を行っていた頃の思い出がよみがえってきました。今でもウィーンの写真用品専門店では、ショーウィンドウにフィルムが展示されているなど、こちらではフィルム(いわゆる銀塩写真)の需要も高いようです。

今でこそ、日本ばかりではなく、世界的にもデジタル写真が主流になり、その撮影方法も、いわゆるカメラからスマートフォンやタブレットなど幅広くなりましたが、Feriが写真撮影を始めたことは、いわゆるフィルムを使ったカメラを使うのが「常識」でした。

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