December 26, 2020

オーストリアで迎えた初めてのクリスマス(下)

1991122500日本では、12月25日が終わると、商業施設はもちろん、ご家庭でもクリスマスモードから一転、年越しモードに切り替わっていると思います。

ご存じのように、こちらでは1月6日頃まではクリスマスツリーを風っておくところが多いのが特徴。ただ、シルベスターへの転換が始まります。

ただ、今年はクリスマスマーケットとシルベスターの行事が中止になったため、大規模な転換作業は行われないことでしょう。

今日は昨日に引き続きFeriが1991年12月、初めてオーストリアでクリスマスを迎えた時の「昔話」にお付き合いください。

1991122502ご存じのようにÖBBのICやECには、なかなか洒落た列車名が付けられており、あえて、お気に入りの名称がついている列車を選んでいました。クリスマス当日、乗車した「Rosenkavalier」も、その一つ。

クリスマス当日、当たり前ですが早朝から朝食堂を利用する宿泊客は非常に少なく、事実上、Feriの貸切。

朝食後、早々にホテルを引き払い、中央駅9時00分発のEC61「Rosenkavalier」に乗車しました。当たり前ですが、クリスマス当日に移動するオーストリア人は、ほとんどいませんから、列車はガラガラ。

1991122503当初、このままウィーンへ戻る予定にしていましたが、途中で気が変わって、Linzで途中下車。こういう時、フリーパスは便利です。

Linzでは路面電車に乗って郊外にある登山鉄道Pöstilingbergbahnを見学しました。

当たり前ですが、クリスマス当日、このような鉄道に乗るお客さまは皆無。当初は山頂まで行くことも考えていたのですが、天気が悪かったため断念。

1991122505市内ではクリスマス当日のミサがお開きになった時間だったので、人が結構、出ていました。

また、25日は昼過ぎから営業を始めるレストランなどもありました。その事実を知ったのも、この時が初めて‥

当初、Linz市内での昼食も考えたのですが、食堂車利用がひらめいたので、一路、路面電車で中央駅へ。

そして、13時27分発のIC543「Hahnenkamm」で、一路、ウィーンへ。今ならピンとくるHahnenkammですが、当時はアルペンの大会が開催される有名なスキーリゾートであることを知る由もありませんでした。

1991122506その頃、ÖBBの食堂車は昼食や夕食の時間帯は予約制を採用していたので、時間帯を外して、利用しました。

グーラッシュズッペとBierという軽食。のんびり車窓を眺めながらの昼食は、乙なものです。

1991122507Westbahnhofには15時25分に到着。駅構内はU3乗り入れにそなえて一部が閉鎖され、大規模なリニューアル工事中です。

今、写真を改めて見ると、駅舎の基本構造やデザインは現在と全く変わっていません。これには驚き。

ちなみに当時、U3はErdberg-Volkstheater間で営業運転を行っており、Westbahnhofへ乗り入れたのは、2年半後の1993年9月のことでした。

1991122508という訳で地下鉄U6、U4を乗り継いでMitte近くのホテルへ戻りました。U3が開通していれば、短時間で移動できたのですが‥

最も路面電車か徒歩でVolkstheaterへ出て、U3に乗り換えるという手がありますが、その頃は、知恵が働きませんでした。

知恵が働かなかった理由は、いわゆる「土地勘」が磨かれていなかったからです。地図や路線図だけを頼りにしていると、どうしても移動リスクを避ける方向で考えがちですね。右の写真はホテルに近いLandstraßeの電飾です。

Continue reading "オーストリアで迎えた初めてのクリスマス(下)"

| | Comments (0)

December 25, 2020

オーストリアで迎えた初めてのクリスマス(中)

1991122304今日は昨日に引き続きFeriが1991年12月、初めてオーストリアでクリスマスを迎えた時の「昔話」にお付き合いください。

12月23日は朝食後、市内を散策してから、昼前にKufsteinを急行列車D281で出発。Innsbruckへ。

駅へ向かう途中、金物屋さんの店頭で写真のようなクリスマスツリースタンドを販売していました。

Kufstein-Innsbruck間は近いので13時30分に到着。 1991122302Innsbruckはスキーリゾートである上、定宿がなかったので、駅構内の案内所でホテルを紹介してもらいました。

当時、旅行会社が運営する駅構内案内所でホテルの予約を依頼すると、予約手数料とホテル宿泊料を、その場で支払うケースがありました。この時も、そのパターン。

1991122303ホテルにチェックイン後、雪が舞う旧市内を散策。23日なのでレストランなども通常どおり営業していました。初めて見る街中の電飾に心がときめいたのを覚えています。

1991122305夕食は市内のCaféで定番のウィンナシュニッツェルを頂きました。優勝後、腹ごなしに旧市街を散策しましたが、マリアテレジアシュトラーセや「金の小屋根」付近も人が少なく、ひっそりしていました。

宿泊したホテルは1階が朝食堂を兼ねたCaféになっているのですが、朝食時から一般のお客さまも利用しており、賑わっていました。ただ、センメルの味は今ひとつ。

1991122306当時、Heilig Abendを「雪のSalzburg」で過ごすことが夢だったので、翌、24日、市内を散策しながら中央駅へ向かい、Innsbruck9時08分発のIC563「Bregenzerwald」で一路、Salzburgへ。

Continue reading "オーストリアで迎えた初めてのクリスマス(中)"

| | Comments (2)

December 24, 2020

オーストリアで迎えた初めてのクリスマス(上)

1991122412今年のクリスマスは「Feriの昔話」にお付き合いください。誰でも「初めて」はありますが、Feriがオーストリアでクリスマスを迎えたのは、今から29年前、1991年のことです。

毎年、夏にはオーストリアを訪問していましたが、この時期の訪問は、1991年が初めて。

実は当時、務めていた会社で、Feriは専門職でした。専門職はクライアントの元へ出張して仕事をするため、クライアントが繁忙期を迎える年末年始に長期休業をとることができました。そこで、クリスマスツアーを考えた訳です。

今のように自由に安い航空券が手に入る時代ではなかったので、某大手旅行会社が販売していたフリータイムのツァー(フリープラン ウィーン8日間)を利用しました。当時、このようなツァーがリピーターの間では流行っていたような気がします。

1991122101

 添乗員はつかず、ウィーンでは空港からホテルまでの送迎だけが着いていました。ホテル到着後は、出発までご自由にどうぞ‥という感じです。

毎朝、現地の職員がツァー参加者の相談にのるためのデスクを開設していたような気がします。

日本出発は12月21日。ルフトハンザ711便でフランクフルトへ。ちなみに機材は、当時、デビューしたばかりの最新鋭機B747-400。

フランクフルトからウィーン間もフルトハンザでしたが、当時の写真を見るとエコノミークラスでも、結構、食事のボリュームがありましたね。そしてクリスマスの時期なので、季節感のあるスィーツが付いていました。

1991122102乗り継ぎでウィーンへ到着したのは、22時25分でした。チャーターバスでランドシュトラーセ付近のビーダーマイヤー様式のホテルに到着したのは、0時近く。

ここで簡単なガイダンスがあり、さっそく部屋に‥ウィーンに滞在している分には、ホテルは全日程確保されているので、費用はかかりません。ミニバーからBierを取り出して、まずは乾杯。

1991122200が、何を思ったかFeriは、夏によく訪れていたKufstein、Innsbruck、Salzburg訪問を敢行します。

当時、ÖBBではRABBIT CARDという記名式前線パスを販売していたので、これを利用しました。お値段は2等で1090シリングでした。

Continue reading "オーストリアで迎えた初めてのクリスマス(上)"

| | Comments (0)

December 21, 2020

RailJetの元祖ÖBB4010型特急電車

2020121504今日は「ÖBB特急電車の話題」をお届けしましょう。

かつて西ヨーロッパの国鉄にはオール1等の国際特急TEE(Trans Europ Express)が運行されていました。各国の国鉄が威信をかけて運行していただけあって、車両のクオリティは非常に高く、車内でのサービスも競っていました(何しろフランス国鉄が運行していた「ミストラル」には美容室が設置されていたほどですから‥)。

オーストリア内にもドイツやイタリアからTEEは乗り入れていましたが、フランス国鉄、ドイツ連邦鉄道、スイス連邦鉄道などと異なり、ÖBBにはTEE専用車両はありませんでした。

しかし、1980年代、4010型という特急線用電車が活躍していました。電車と言っても日本のような動力分散型ではなく、編成の一端に専用電気機関車を連結し、プッシュプル方式で運転する列車です。現在のRailJetの元祖のような形態です。

専用機関車(ドイツのICE1のように片運転台)を6両編成。

2020121501ただ、1等車と2等車で編成されていた上に、エアコンを装備していなかったため、TEEの基準を満たしませんでした。ÖBBを代表する特急列車ですから、当然、食堂車(一部はビュフェ)も連結されていました。ちなみに最高速度は150km/hと控え目。

4010型は4010(機関車)-7010(2等オープン客室)-7110-100(2等コンパートメント)-7110-200(2等コンパートメント)-7310-100(食堂車)-6010(制御客車、1等オープン客室)という編成でした。

1965年から1978年にかけて29編成がオーストリアを代表する車両メーカーSPG(Simmering-Graz-Pauker)で製造されました。

なお、食堂車に関しては、ビュフェと半室2等車という7110-300(301~312)も12両、製造されています。さらに7310(001~005)という2等車も5両製造されています。

20201215054010型は1965年に第1ロットが落成し、「Transalpin」(Wien-Zürich間)、「Johann Strauß」(Wien–Passau–Frankfurt am Main間)、「Bodensee」(Wien–Bregenz–St. Gallen間)、「Rosenkavalier」(Wien–München間)などの国際特急列車に投入されました。

登場当時、アイボリーとサファイアブルーのツートンカラーというスマートな塗装とあいまって、地味なカラーが多かったÖBBの車両の中で、非常に存在感がありました。

右の写真は親友と初めて、この列車に乗車し、ウィーンへ向かった時のもの。親友の撮影ですが、窓が開く列車ならではの写真です。

運用に際しては、RailJetと同じように2ユニット12両編成で運転されたこともあります。

1970年代に、塗装がウルトラマリンブルー/アイボリーに変更されましたが、塗り分けは同じでした。Feriが最初に見た頃は、この塗装でしたが、地味な色合いが多い当時のÖBB車両群の中で、その美しさ、優雅さは格別でした。
また、最終ロットの食堂車にはエアコンが装備されています。

1977年、「Transalpin」が、快適性に優れたエアコン装備の新型客車(機関車牽引)に置き換えられのを皮切りに、順次、4010型は国内運用に変わっていきます。

20201215021990年代に入ると、運転室のコーナー窓が廃止、ドアの仕様変更、客室の改装、トイレの改修(一部編成)などの近代化改修工事が行われました。

この際、ÖBB電気機関車の新塗装に準じたトラフィックレッド、アンブラグレー、グレーホワイトという塗装に変更され、イメージが大きく変わりました。

そして食堂車・ビュフェが廃止され、4010(機関車)-7010(2等オープン客室)-7110-100(2等コンパートメント)-7110-200(1等・2等コンパートメント合造車)-7110-300(2等コンパートメント)-6010(制御客車、1等オープン客室)という編成に改められています。

近代化改装を行ったとは言え、老朽化が進んだため、2008/2009ダイヤ改正で全編成がÖBBの運用から離脱します。廃車後、一部がドイツに売却され改修工事を受けましたが、最終的には運用に復帰することなく、廃車になっています。

Continue reading "RailJetの元祖ÖBB4010型特急電車"

| | Comments (0)

February 14, 2020

懐かしのWestbahn Hotel

20200214004今日は「ウィーンにまつわる思い出話」です。

Feriが初めてウィーンを訪問したのは1979年のことでした。ただ、この時は、夜行列車でウィーン入りして、1日、市内を回って、再び夜行列車で次の目的地に向かったので、ウィーン市内で宿泊はしていません。

宿泊を伴うウィーン訪問は、その翌年でした。友人と一緒に、ユーレイルパスを使ってドイツ、スイス、オーストリアを鉄道で回っていたので、ウィーン到着は、当然、WestBahnhof。

ÖBBの長距離列車がHauptbahnhofへ移ってしまった今日では考えられないくらい、華やかで賑やかでした。

20200214001当時はバックパッカーのような旅をしていたので、駅の近くに泊まるのが定番。別に予約をしていた訳ではありませんが、駅を出て左側にあったWestbahn Hotelを選びました。

ホテルに荷物を置いて、旧市街へ向かい路面電車などを撮影したのも、今となっては思い出です。その後、しばらくはウィーン訪問時には定宿として利用していました。

先日、Feriの親友から、“そう言えば、西駅の近くにあったWestbahn Hotelは、今でもやっているのかな?”というメールが来ました。

20200214003以前は駅正面の出口を出ると、左側に見えたのですが、再開発で左側に大きな建物(Motel Oneが入っていますね)ができたため、見えなくなりました。そのため、FeriもWestBahn Hotelの存在を忘れていました。

という訳で、先日、所用があってMariahilfer Straßeに行った時、帰りに寄ってみました。まぁ、ネットで検索すればすぐにわかるのですが、やはり現地で確認したいものです。

Westbahn Hotelは現在も営業中でした。中には入りませんでしたが、親友との懐かしい思い出が蘇ってきました。

建物の建て替えは行われていませんが、リニューアル工事を実施したようで、窓周辺のデザインが「今風」に変わっています。

恐らく客室は、大幅にリニューアルされて、快適なホテルになっていることでしょう。しかし、屋上に掲げられた看板は、当時と変わっていないような気がします。

Continue reading "懐かしのWestbahn Hotel"

| | Comments (0)

December 19, 2019

Mariahilfer Straße今昔物語

20191219001今日は今の時期、最も賑わうウィーンの繁華街「Mariahilfer Straßeの話題」をお届けしましょう。

先日、日本に住むFeriの親友から懐かしい写真が送られてきました。1983年夏、一緒にウィーンを訪問した際に撮影した写真です。視点が高い理由は、当時、運航されていた2階建て路線バスから撮影したため。

Feriは、この写真を一目見て、場所がすぐに特定できました。Mariahilfer StraßeとNeubaugasse/Amerlingstraßeの交差点です(Mariahilfer Straßeを境に北側がNeubaugasse、南側がAmerlingstraße)。58系統の停留所名はAmerlingstraßeでした。

写っている路面電車は、U3の開業と同時に廃止された58系統です。当時、58系統はUnter St. Veit, Hummelgasse- Mariahilfer Straße-Burgring間を結んでいました。

20191219002日本で言えば、東京の銀座通りを走っていた都電といったイメージです。58系統はU3開業後、Mariahilfer Straße区間が廃止され、Westbahnhof-Unter St. Veit, Hummelgasse間になりましたが、このブログでもお伝えしたように2017年9月に廃止されました。

ウィーンに到着した親友とFeriは、この路線バスを見つけて、乗ってみようという話なったという訳です。都心側からWestbahnhof側を撮影しているのですが、順光になっているところから、午前中の撮影で間違いありません。

さて、この手の写真で気になるのは、写っている車両だけではありません。現在、街の風景やお店がどう変化しているかという点です。

という訳で、さっそく、この写真のコピーを持ってAdventで賑わうMariahilfer Straßeへ出撃して、定点撮影と街のチェックをしてきました。

20191219003あいにくAdventの時期で、通りに屋台が多数出ているため、同じ場所で撮影しても雰囲気が若干異なるのが残念なところ。

左奥に尖塔がある建物は今も健在です。しかし、35年間も経過すると、店舗は大きく様変わり。その中で現在も営業している店舗がありました。

それが、オリジナル写真の右側に写っている薬局とタバコ屋。いずれも規制業種なので、何となく継続営業している理由がわかる気がします。

ちなみに薬局は、先日、確認したところKREUZ APOTHEKEという屋号で、恐らく屋号も変わっていないと思います。しかし、それ以外は当時、営業していたホテルもなくなり、McDonald'sに代表される外国資本の店舗が入るなど、様相が一変しています。

オリジナルの写真では、Kodakの看板が見えますが、恐らく写真店だったのでしょう。今ではKodak社そのものが、なくなってしまいました。

20191219004建物については、一部は建て替えられて伝統的な姿から一変しているところも‥
ちなみに現在、尖塔のある建物1階はBAWAG PSKの支店が入っています。ご存じのように、この銀行は郵便局の金融部門が独立して生まれた合弁会社です。

現在、Mariahilfer Straße地下を走っているU3は、1991年4月、Erdberg-Volkstheater間が開業。Mariahilfer Straßeの地下を走るようになったのは、この写真の撮影から10年後、Volkstheater-Westbahnhof間が延長開業した1993年8月のこと。

なお、U3の両端が延長されて、全面開業したのは比較的新しく、2000年11月のことです。と言っても19年前ですね。

20191219005先日、ウィーン交通博物館Remiseで開催されていAdventmarktに出かけた際、「50 Jahre U-Bahn-Bau」というパネル展を行っていました。

年ごとに1枚のパネルにまとめられており、地下鉄建設工事中の興味深い写真が多数、出ていました。そして1990年のパネルには、Mariahilfer StraßeでのU3工事中の写真がありました。

ちょうどNeubaugasse駅を作っているところで、既に駅の躯体ができあがっています。

20191219006ご利用になった方はご存じかと思いますが、Mariahilfer Straßeは両側に建物があるため、上下2段構造になっています。

ウィーンの地下鉄は地上への影響が少ないシールド工法が採用されるケースが多いですが、液部分については、どうしても液設備が必要な関係で地上から掘り下げる開削工法が採用されます。

地上から掘削しているため、路面電車の軌道が変更されていることがよくわかります。この区間の営業開始は1993年ですから、開業3年前。ちょうど、工事が最も盛んになっていた頃の写真でしょう。

写真はWestbahnhof方面を撮ったもので、奥の左側には件の「尖塔の建物」が確認できます。

Continue reading "Mariahilfer Straße今昔物語"

| | Comments (0)

December 09, 2019

Volksoperncaféの思い出

20191209005今日は「11月に閉店したVolksoper前のcaféにまつわる思い出話」です。

記事を掲載してから、パソコンに保存してある写真をチェックしたところ、Volksoperncaféの見落としていた懐かしい写真が出てきました。

「記憶ではなく、記録」と言われるように、ちゃんと整理しておかないと短時間で、必要な写真や資料を探すことができないという典型です‥

先日の記事では、Volksoperのイラストが描かれたシュパイゼカルテをご覧頂きましたが、その後、店内の写真をあしらったものに変わりました。

20191209007写真は、今から12年前の2007年に撮影したものですが、10月の休店日が印刷されています。ということは、毎月、シュパイゼカルテを印刷していたのでしょうかね。

営業時間も最近とは異なり、月曜日から土曜日までは16時~午前1時、日曜日は15時~24時となっており、日中の営業は行っていませんでした。営業時間を見ると、完全にVolksoperのソアレに的を当てて営業していることがわかります。

20191209008そして、写真の下には1958の文字が‥どうやら1958年に営業を開始したようです。庶民的なcaféとして、劇場と共に歴史を刻んできたのですね。

Feriは、当時、基本的に観劇の後、クールダウンを兼ねて、ここで軽食をとってから、ホテルへ戻るのが決まった行動パターンでした。だから従業員さんに覚えられた訳ですが(笑)。

20191209009Feriが好んでオーダーしていたのはSchinkenkäsetoast。今、シュパイゼカルテを見ると「Kleine Kaffeehausspeisen」というカテゴリーに入っていました。

ちなみに、このカテゴリーにはFrankfurterやGulaschsuppeなども入っており、充実した「軽食」が特徴。やはり場所柄、本格的なお食事よりも軽食をとるお客さまが多いことから、こういった編成になったのでしょう。しかし、カテゴリーの名前が洒落ていますね。

20191209001ダウンライトが印象的なカウンター席。こちら仕様のカウンターなので、カウンターも高めで、足の短いFeriなどは、椅子に座ると不安定でした。

そのため、基本的にテーブル席を使っていましたが、開演前の混雑時には、やむを得ず、カウンター席を利用したこともあります。ちなみに、カウンターの奥に写っている男性が当時のオーナーさんだと思います。

20191209004ところで通常、シャニガルテンには歩道上でもビーチパラソルや天幕が設置されているケースが多いのですが、トップの写真をご覧になるとわかるように、この店は単純に椅子とテーブルを置いただけでした。

なお、後年になってビーチパラソルを設置していた時期はありました。

もう一つ、全回の記事では、“Feriが利用するようになった頃には「Kegelbahn」は既に営業中止になっていた”と書きましたが、その後、同店の窓に「Kegelbahn Frei」と書かれた看板が掲げられている写真が出てきました。

20191209010撮影したのは2004年5月。手で窓に掛ける看板(鹿も2枚)なので、営業していたのは間違いありません。

ということは、少なくともFeriが通い始めた頃には、まだ営業をしていたことになります。

オーストリアでは、一時期、ボーリングに似たゲーム「Kegelbahn」が大変な人気を集めたようで、地方の街でも競技場が開設されていたようです。ちなみにFeriが夏に訪れるLungauになるTamswegのホテル地下にも、かつてKegelbahnの競技場があったようです。

Continue reading "Volksoperncaféの思い出"

| | Comments (1)

June 25, 2015

GMÜNDの思い出

1991_08_504_001

今日は「オーストリアの小さな街GMÜNDのお話」です。

普通の方はGMÜNDと言われてもピンとこないと思いますが、ニーダーエスターライヒ州にある「チェコとの国境の町」です。Feriが訪問したのは1991年夏のことでした。

Waldviertelbahnという狭軌鉄道で夏の間、ダンプフ・ブンメルツークが運転されているため、その撮影を目的に訪問したものです。

この時は日本からミュンヘンに向かい、ここでレンタカーを借りてオーストリアへ入りました。オーストリア最初の訪問地がGMÜNDです。ダンプフ・ブンメルツーク撮影のお話は、あまり面白くないと思うので、省略。

ちなみに、ダンプフ・ブンメルツークはGmünd -Groß Gerungs間で運転されていました。今でも、この狭軌鉄道は健在で、ディーゼルカーを使った定期旅客輸送やブンメルツークの運転も行っています。

Continue reading "GMÜNDの思い出"

| | Comments (0)

December 24, 2014

Lungauのクリスマス、20年前の珍道中(下)

1994_12_23_101

現在、Feriはアメリカからクリスマス休暇でオーストリアにやってきた親友家族のご接待中。そこで、仕込み記事でご容赦ください。

今日も、昨日に引き続き「Lungauのクリスマス、20年前の珍道中」をお届けしましょう。

翌、25日は曇り。山間なので明るくなるのも8時頃です。ホテルなので朝食は通常通り。ホテルの朝食堂には、どうやって入れたのだろという巨大なツリーが飾ってありました。

ただし、ベッカライが休みなので、センメルではなく、スライスしたブロートでした。誰もいないと思っていたら、スキー靴を履いたドイツ人家族がやってきました。これにはちょっとビックリ。

この当時、休日はMurtalbahnの旅客列車は全て運休。本数が少ない代行バスだけになります。バスの発車時刻の関係で、8時からのミサに参列しましたが、地方の街らしい、感動的なミサでした。

Continue reading "Lungauのクリスマス、20年前の珍道中(下)"

| | Comments (0)

December 23, 2014

Lungauのクリスマス、20年前の珍道中(上)

1994_12_23_004

今日はクリスマスイブですが、皆さまは、どのようにお過ごしになるでしょうか。

こちらの皆さんは、ご家族と過ごすのが普通なので、街は午後から静かになっていきます。

さて、今日は「田舎で過ごしたクリスマスの話題」をお届けしましょう。

クリスマスの時期、通常はウィーンに滞在していることが多かったのですが、1994年12月、いつも夏に訪問しているLungauへはじめて行くことにしました。

夏はレンタカーを使って行くのですが、さすがに冬は凍結した道路を運転する自身がないため、公共交通機関を使うことにしました。

ただ、Lungauは公共交通機関で行くのは非常に不便な場所。というのはザツルブルク州ですが、タウェルン山脈の南側、州の南端にあるためです。

Continue reading "Lungauのクリスマス、20年前の珍道中(上)"

| | Comments (0)