June 26, 2015

GMÜNDの思い出

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今日は「オーストリアの小さな街GMÜNDのお話」です。

普通の方はGMÜNDと言われてもピンとこないと思いますが、ニーダーエスターライヒ州にある「チェコとの国境の町」です。Feriが訪問したのは1991年夏のことでした。

Waldviertelbahnという狭軌鉄道で夏の間、ダンプフ・ブンメルツークが運転されているため、その撮影を目的に訪問したものです。

この時は日本からミュンヘンに向かい、ここでレンタカーを借りてオーストリアへ入りました。オーストリア最初の訪問地がGMÜNDです。ダンプフ・ブンメルツーク撮影のお話は、あまり面白くないと思うので、省略。

ちなみに、ダンプフ・ブンメルツークはGmünd -Groß Gerungs間で運転されていました。今でも、この狭軌鉄道は健在で、ディーゼルカーを使った定期旅客輸送やブンメルツークの運転も行っています。

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December 25, 2014

Lungauのクリスマス、20年前の珍道中(下)

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現在、Feriはアメリカからクリスマス休暇でオーストリアにやってきた親友家族のご接待中。そこで、仕込み記事でご容赦ください。

今日も、昨日に引き続き「Lungauのクリスマス、20年前の珍道中」をお届けしましょう。

翌、25日は曇り。山間なので明るくなるのも8時頃です。ホテルなので朝食は通常通り。ホテルの朝食堂には、どうやって入れたのだろという巨大なツリーが飾ってありました。

ただし、ベッカライが休みなので、センメルではなく、スライスしたブロートでした。誰もいないと思っていたら、スキー靴を履いたドイツ人家族がやってきました。これにはちょっとビックリ。

この当時、休日はMurtalbahnの旅客列車は全て運休。本数が少ない代行バスだけになります。バスの発車時刻の関係で、8時からのミサに参列しましたが、地方の街らしい、感動的なミサでした。

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December 24, 2014

Lungauのクリスマス、20年前の珍道中(上)

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今日はクリスマスイブですが、皆さまは、どのようにお過ごしになるでしょうか。

こちらの皆さんは、ご家族と過ごすのが普通なので、街は午後から静かになっていきます。

さて、今日は「田舎で過ごしたクリスマスの話題」をお届けしましょう。

クリスマスの時期、通常はウィーンに滞在していることが多かったのですが、1994年12月、いつも夏に訪問しているLungauへはじめて行くことにしました。

夏はレンタカーを使って行くのですが、さすがに冬は凍結した道路を運転する自身がないため、公共交通機関を使うことにしました。

ただ、Lungauは公共交通機関で行くのは非常に不便な場所。というのはザツルブルク州ですが、タウェルン山脈の南側、州の南端にあるためです。

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November 10, 2014

「ベルリンの壁」崩壊から25年 1989年の思い出‥

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1989年11月9日、西ベルリンと東ベルリンを区切っていた「ベルリンの壁」が崩壊し、事実上、東西冷戦が終結しました。今年で25年を迎えることになります。四半世紀前の出来事ですね。今日は、その当時の思い出話を綴ってみたいと思います。

ご存じの方も多いと思いますが、「ベルリンの壁」は、突然、崩壊したわけではありません。その前に、ハンガリー共産党政権の民主改革と、ハンガリー・オーストリア両国間の国境の自由化(国境線にあった鉄条網撤去)がありました。

その結果、当時、東ドイツに住む国民が、ハンガリーからオーストリアを経由して旧西独に亡命していったのです。つまりハンガリーとオーストリアが、「ベルリンの壁」の崩壊に大きく寄与していた訳です。

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August 09, 2014

懐かしのÖBB時刻表

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今日は「懐かしのオーストリア」の一環として、「時刻表の話題」をお届けしましょう。

1980年代、Feriはヨーロッパ旅行の祭は、移動手段に鉄道を使っていました。鉄道が好きだったこともありますが、ヨーロッパ居住者には購入できない記名式のEURAILPASSがお得な値段で販売されていたこともあります。

事前にキップを買う必要がないので、途中で予定を変更することも可能な点も魅力でしたね。実際、面白いものを発見した時など、同行した友人と「ここで、下りよう」と即決して、下車したこともたびたびありました。

さて、鉄道旅行となると必需品は時刻表です。今ではインターネット経由で時刻表や列車の検索が容易にできますが、当時は、紙ベースの時刻表に頼るしかありません。当時、日本で手に入るヨーロッパの鉄道時刻表と言えば、これまたおなじみのトーマスクックが発行しているもの。

当時、Feriは毎年購入して、事前のプランニングに役立てていました。ただ、トーマスクックの時刻表はヨーロッパ主要国をカバーしている点はありがたいのですが、ローカル線になると、事実上、お手上げでした。

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February 26, 2014

銀塩写真の思い出(その2)

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今日は、昨日に引き続き「銀塩写真の思い出」です。

当時、フィルムが不足した場合、現地で購入することはできますが、自分が常用している銘柄が手に入らないことが多いので、原則、日本から旅行中に使うフィルムは全数持っていくようにしていました。

というのは、当時、ヨーロッパではドイツ・アグファ社が市場を握っており、Feriが常用していたコダック社のフィルムは、専門店に行かないと入手が難しかったのです。とくにプロ用のフィルムは、更に入手が困難でした。

さて、デジタル写真世代にはピンとこないかもしれませんが、フィルムを使って写真撮影を行うと、帰国後、現像という課程が待っています。モノクロの場合、自分で現像も可能ですが、ポジカラーについては街中の写真屋さんでも対応できず、ラボと呼ばれる現像所に委託する必要があります。

この現像料金が、結構、高かったのが頭が痛かったですね。概算ですが、現像にはフィルム本体の料金程度が必要でした。

モノクロについても、本格的に観賞するためには、さらにプリントする必要があります。デジタル写真の場合、パソコン用のプリンターで簡単に印刷できますが、当時、フィルムの場合は暗室にこもってプリントをするか、写真屋さんに外注するしか手がありませんでした。

余談ですが、今でも「デジタルカメラで撮影したROWの画像データーを加工する行為を「現像」と言いますが、これは銀塩写真時代の名残ですね。銀塩写真は化学処理、デジタル写真は電気処理ですから、その内容は全く異なりますが‥

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February 25, 2014

銀塩写真の思い出(その1)

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ソチオリンピックも閉幕し、冬のお祭りも一段落‥といったところですね。今年はイースターが遅いので、国立歌劇場の舞踏会は27日に開催されます。

さて、今日は「懐かしい写真の話題」をお届けします。

先日、甲斐 栄次郎さんの写真集を見ていて、Feriもフィルムを使って写真撮影を行っていた頃の思い出がよみがえってきました。今でもウィーンの写真用品専門店では、ショーウィンドウにフィルムが展示されているなど、こちらではフィルム(いわゆる銀塩写真)の需要も高いようです。

今でこそ、日本ばかりではなく、世界的にもデジタル写真が主流になり、その撮影方法も、いわゆるカメラからスマートフォンやタブレットなど幅広くなりましたが、Feriが写真撮影を始めたことは、いわゆるフィルムを使ったカメラを使うのが「常識」でした。

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August 04, 2013

マリアヒルファーシュトラーセの路面電車

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今日は「懐かしのオーストリア・シリーズ」として「ウィーンの繁華街 マリアヒルファーシュトラーセを走っていた路面電車のお話」をお届けしましょう。

このブログでもマリアヒルファーシュトラーセの話題はよく取り上げますが、その際、昔は路面電車が走っていたことをご紹介したことがあります。

1993年9月に地下鉄U3系統がVolkstheaterからWestbahnhofまで延長されたのに伴って、マリアヒルファーシュトラーセを走っていた52系統、58系統の都心部への乗り入れ区間が廃止になりました。

先日、古い写真を整理していたところ、1982年7月にウィーンを訪問した時のものが出てきたのですが、その中にマリアヒルファーシュトラーセをさっそうと走る52系統の路面電車がありました。懐かしいですねぇ。

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July 21, 2013

1980年代のウィーン その1

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今日、日本では参議院議員選挙の投票日ですね。さて、どんな結果になるでしょうか。

「懐かしのオーストリア・シリーズ」、今日は「1980年代のウィーン」をお届けしましょう。以前もご紹介したようにFeriが初めてウィーンを訪れたのは1979年6月のことです。ただ、この年は実際には宿泊をしていないので、本当に数時間、立ち寄っただけ‥という感じでした。

その後、1980年、81年の夏にウィーンを訪問した際は、宿泊もしています。三日間有効の市内交通パス「3-Tage-Wien Netzkarte」(55シリング)を購入して、市内を回っています。例の「二階建て路線バス」に乗車したのも82年の出来事でした(二階建て路線バスについてはこちらから)。

1980年、81年とも旅行期間は、6月末から7月中旬と、ほぼ同じでしたが、ルートは異なっていました。80年はパリ経由でスイスへ。81年はコペンハーゲン経由で、フランクフルトに入りました。

当時、Feriはスイス方面から夜行列車でオーストリア入りするパターンが多く、80年、81年とも寝台車も連結されていた夜行列車「Wiener Walzer」(列車名が気にいっていたので‥)でオーストリアに入っています。80年はLinzで下車しましたが、81年は一気にウィーンまで来ました。

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July 10, 2013

謎の超大型連接バス その正体は?

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今日は「懐かしのオーストリア・シリーズ」の一つとして1982年7月にウィーンの観光名所、シェーンブルン宮殿で見かけた「謎の超大型二階建て連接バス」をご紹介しましょう。

ご存じのようにシェーンブルン宮殿は、世界各国から訪れる観光客で年中、賑わっていますね。Feriも、1982年のウィーン滞在中、初めて友人と一緒にシェーンブルン宮殿へ出かけました。最高に天気が良かったのですが、如何せん、暑くてまいりました。

U4のシェーンブルン駅で下車して、徒歩で宮殿へ向かいました。通常、観光客の皆さまが利用するバスは宮殿の構内には入れず、宮殿に面した通りに止めるのが一般的です。また、地下鉄駅近くには駐車場もありますが、通常、観光客の皆さんの滞留時間は当時から短かったので、道路脇に止めているケースが多かったですね。

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